過去② リド二十歳

 ナスタリア城の一室で、二人の男が机を挟んで向かい合っていた。


 一人は元冒険者のリド。先刻、軍の入隊試験を受けたばかりの彼は表情に倦怠感を浮かべている。

 もう一人は元冒険者のカルバ。魔王を討伐したパーティのリーダーであり、近々この国の王子となることが決まっている。カルバの前には紙の束が積み重なっていた。


「これがくすねてきた君の測定結果だ」


 カルバが束から一枚の紙を取り出した。紙にはリドの名前が書かれており、その下に体力測定の項目と結果の数値を示した表が記入されていた。


「軍の入隊試験は、さっき君が受けた体力測定と、来週行われる模擬戦闘の実技試験。この二つだ。合否は二つの試験の結果を踏まえて判断される。実技試験は明確な数値が出ない分、試験官が注視しているため印象に残りやすいので、結果を不自然に改竄すると目につきやすい。それに実技試験を終えたらすぐに合否の検討を始めるはずなので、書類をこっそり盗んで元に戻すのは時間的にも厳しい」

「だから体力測定の結果を出来るだけ水増ししようってことだな」

「そうだ」


 カルバが懐からペンを取り出す。


「体力測定の結果はほとんどが五段階評価だ。『1』に横と斜めの線を書き加えて『4』に、『2』の下に曲線を書き加えて『3』に変えていけばかなり水増しできるはずだ」

「悪いな、次期王子のお前にこんなことさせちまって」

「水臭いことを言わないでくれ。共に戦ってくれた君のためにこの程度のことしかできなくて不甲斐ないと思っている」


 カルバが目を伏せる。透き通った金色の髪が悲しげに揺れた。


「俺が貧弱なのが悪いんだよ。お前が気に病むことなんて何もない。さぁ、見つからない内に終わらせちまおう」


 そうだな、とカルバが試験用紙にペンを走らせる。

 順調に改竄を進めた二人は、五段階評価の項目を書き換え終えた。後は、測定結果の実数値が記入されている項目をいくつか残すだけとなった。

 カルバが手の動きを止める。


「握力は筋力の指標にされる項目だ。出来れば六十キロは欲しいところだが……」

「俺の測定結果は四十キロか……。『4』は変えようがないな。『0』をなんとか『8』にしてみるか?」

「四十八では、正直不安だな……」


 カルバは顎に手を置いてしばらく悩んだ。

 数秒悩んだ結果、『4』の隣に『1』を書き加えた。


「おい、それだと俺の握力が百四十キロあることになるだろ!」

「仕方がないだろう! 君が実技試験で悲惨な結果を出すのは目に見えてるんだ! こっちで出来るだけ水増しをしなければ!」

「だからって百四十キロはおかしいだろ! 熊か、俺は!」

「そもそも、君がこんな結果を出すからいけないんじゃないか!」


 二人が言い争いをしていると、ぎぃ、と音を立てて部屋の扉が開いた。扉の向こうから軍服を着た大柄な男が姿を現す。


「ああ、こちらにいらしたんですか、カルバさん。それにリドさんも。ええと、えらく仲の良いご様子ですね」


 二人はとっさに試験用紙を隠していた。机の上の試験用紙に覆いかぶさった二人は、傍から見れば机に突っ伏して顔を近づけ合っているように見えた。


「いやぁ、パーティの中でも、僕とリドは特に仲が良かったんですよ」

「カルバの言う通りです。二人の時はこうして顔を近づけて、互いの鼻を擦り付けあいながら話すんですよ。恥ずかしいので秘密にしてくださいね」

「はっはっは。そいつは確かに他言できませんね。姫様がやきもち焼いちまう」


 豪快に笑う男にカルバが「僕に何か用ですか?」と尋ねる。


「おっと、そうだった。さきほど闘技場で行われた体力測定についてなんですが、第十二班の試験結果表が見当たらないんですよ」


 びくん、と二人が同時に肩を震わせた。


「カルバさんも試験の運営を手伝って下さってたので、何か知らないかと思いまして」

「イヤァ、シラナイデスケドネェ」


 青ざめたカルバが小鳥のさえずりのような声を出す。普通にしろ、と言う代わりにリドがカルバを睨む。


「そういえば、リドさんは第十二班で試験を受けていらしたんですよね。あなたの試験結果も行方不明なんですよ」

「エェ、ソレハタイヘンダァ」


 滝汗を流したリドが笛の音のような声を出す。普通にしろ、と言う代わりにカルバがリドを睨む。


「すみませんねぇ、すぐに見つけるようにします。何せ、魔王を倒したパーティの一員であるリドさんの試験結果ですからね。妬んだ奴が結果を改竄したりするかもしれません」

「まさかぁ。プロートやラルミネならともかく、俺の事を知ってる奴なんて、そうそういませんよ」


 リドは必死に愛想笑いを返した。心臓が破裂しそうなほど脈打つ。鼓動は机を通してカルバに伝わった。その逆も同様だった。

 このままではバレるのも時間の問題か、と二人が腹をくくり始めたとき、城内に似つかわしくない大きな足音が響いた。

 何事かと振り向いた男の目の前を、少女が走り抜けていく。


「隊長、そいつを捕まえてください!」廊下の奥から声がする。

「またあの娘か……!」


 軍服の男は「失礼します」とカルバ達に一礼したあと、少女を追って走り出した。少し遅れて、同じく少女を追って走る給仕の人間が数名通る。さらに遅れて通ったのはこの国の姫だった。何故か頭の先からドレスの裾までずぶ濡れになっていた。


「怒らないであげて! ちょっと遊んでただけだから!」


 姫は少女をかばう言葉を叫びながら、水音を鳴らして給仕達を追いかけて行った。

 全てが過ぎ去ったことを確認した後、二人は谷よりも深い溜息を吐いた。


「あの子に助けられたな」


 カルバが額の汗を拭う。


「ああ。今度会うときは土産に甘菓子でも持っていくよ」


リドが急いで扉を閉める。


「急ぐぞ。もう俺の試験結果が熊になろうが虎になろうが構わん。早急に書き換えてくれ」

「ああ、分かった」


 カルバが再び試験用紙に筆を走らせる。いくつか数字を書き換えたところで、カルバが「あっ!」と声を上げた。「どうした」とリドが尋ねる。


「長距離走の時間も一桁増やしてしまった」


 リドが試験用紙を覗き込んで確認する。


「……これだと、俺は今も闘技場で走り続けてることになるな」

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