第二章 少女(前編)
色々と考えてみた結果、甘菓子を買いに行こうという結論に至った。
エーテル屋から家に戻った俺は、押し付けられた珈琲味のエーテルを飲んでみる事にした。せっかく保存の利く状態で魔力を手に入れたのだから、本来は必要な時までとっておくのが合理的だ。しかし、はたしてこのエーテルと珈琲を混ぜた液体に魔力を補充する効能があるかは非常に怪しい。なので試しに一本飲んでみようと思ったのだ。
というのも、今の俺に「魔力が必要なとき」というのは、雇い主に「じゃあ、試しにお前の魔法を見せてくれ」と言われたときである。そのときに用意していたエーテルが紛い物だったので魔力が補充できません、では困るのだ。
そんなわけで俺はエーテル屋から受け取った三本の内一本を開け、一口飲んだ。
飲んだところで、思わず噴き出してしまった。
とてつもなく苦かったのだ。
よく考えればエーテルは元々苦いものであり、そこに珈琲が混ざっているのだ。苦いものが苦手というわけではないが、それにしてもこれは難易度が高い。
というか、こんなの飲める奴いるんだろうか。店主は「エーテルよりはマシな味」と言っていたが、こうなると本当に飲んでいたかどうかは怪しくなってくる。もしくはあの男の味覚がイカれているかだ。
少なくとも俺にとっては、効能が薄い上に死ぬほど不味い最低最悪の飲み物だった。
どうやって飲み干そうか、と考えた。
もうこの時点で、必要時に使用する携帯エーテルとしての使い道は捨てていた。雇い主の顔に珈琲を噴きかける事態になりかねないからだ。いつも通り魔力移動(トラジス)法で店頭補充したものと思って、この場で飲み干そうと決心した。
砂糖を入れればマシになるだろうか、と考えたが、それは憚られた。エーテルは繊細な構造で成り立っている薬品だ。不純物を混ぜると魔力が散ると聞いたことがある。珈琲を混ぜるにしたって、専門的な調合を行ったはずだ。いくらあの男でも。
同様の理由で、水で薄めるのも却下した。
鼻をつまんで飲んでみたが無駄だった。むしろ匂いを感じない分、苦さが際立ったような気がした。
やはり、このまま飲むしかないようだった。非常に辛いが、地道に少量ずつなら飲めないこともないだろう。
それにしても、瓶三本分もの量を飲むのであれば、合間に甘味でも口にしないと、とてももちそうにない。
というわけで、俺は菓子屋へ行くことにした。
珈琲の量が多いので、甘菓子の方もそれなりに量が必要だ。少し早いが、昼食代わりにでもしよう。
俺は家を出て、街の少し外れの東通りにある菓子屋へ向かった。菓子屋は大通りにもあるが、大通りにはさっき行って帰ってきたところだ。さっき行ったばかりのところにもう一度行くのは、二度手間をかけているようで気が乗らなかった。それに、どうせなら普段あまり足を運ばない場所へ行くのも良いだろうと思った。思いがけない何かが見つかるかもしれない。就職先とか。
そんな滑稽な夢物語を描きながら東通りを歩いていると、後ろからぽん、と肩を叩かれた。
振り返ると、少女の姿が目に入る。歳は十六か十七くらい。吊り眉で目が大きく、笑顔の映える顔つき。麻の服の肩に栗色の長い髪がかかっている。
「おはよ。久しぶりだね。二月ぶりくらい?」
気さくに話す少女と目を合わせながら、俺はわざとらしく額を押さえた。
「悪い、やかましい声に聞き覚えはあるんだが、名前だけがどうしても出てこない」
「あはは、名乗ったことはなかったからね」
名前の分からない少女は、軽快に笑った。
今から約一年前、俺がまだカルバ達と共に冒険をしていたときの話になる。大陸の各地を旅し、魔王に対抗しうる力を得た俺達は、とうとう魔王城へ向かおうとしていた。魔王城はこのナトリスト王国から北に位置するが、その道のりを断ち切るように山脈が走っている。魔物の巣窟となっているその山は、魔王城へ向かうには攻略しなければならないエリアだった。
北の山は魔王城に近い場所であったので、能力が高く手強い敵が多かった。知性も高く、人語を解する魔物が多かったことに驚いた。
しかし最も驚いたのは、ダンジョン内に人間が捕えられていたことだった。
魔物が喰い散らかした人間の死体なんかはよく見たものだが、生きた状態の人間を発見したのは、俺を含むパーティのメンバー全員にとって初めての経験だった。
捕えられていたのは一人の少女だった。目立った外傷はなかったが、酷く怯えた様子でまともに話が出来る状態ではなかった。
俺たちは少女を自国へ連れて帰り、彼女はナトリスト城で保護されることとなった。魔物が人間を生け捕りにしたケースが確認されたのは始めてであったため、少女から聞き取り調査をすることが主な目的だった。いつ、どこで遭遇した魔物に、何の目的で連れ去られたのか――――奴らの行動原理を知るための有力な情報源になりうると考えたのだ。
しかし、調査の成果はほとんど得られなかった。
少女は過去の記憶を失っていたのだ。魔物に襲われ、連れ去られるという出来事のショックによるものだろうと推測された。魔物に捕らわれていた間の記憶も定かではなかったようで、期待していた城の魔物学者が大層がっかりしていた。
その後、少女は城で面倒を見ることになった。記憶を失っているため故郷も分からず、帰す当てがなかったのだ。言葉が通じていたので大陸内の人間ではあるはずだが、調べた限りでは少女が魔物に連れ去られたという報告は届いていなかったらしい。
俺も拾ってきたよしみもあるので何度か城へ顔を見には行っていた。少女は最初は塞ぎ込んだ様子だったが次第に元気を取り戻したようで、会う度に別人のように明るくなっていった。
「三回目に会った時くらいが一番可愛らしかったなぁ」
「なに、私がお城にいたときの話?」
隣に並んで歩いている少女が僅かに眉をひそめる。
「あれくらいの時は適度にしおらしさも残っててさ、俺も多少は世話を焼いてやろうって気になったもんだよ。それがこんな生意気になりやがって」
「保護した人間が元気になったんだから、喜ばしく思うべきでしょ。あ、それと」
歪んでいた眉がぱっと伸びる。表情の差異が非常にくっきりしている。
「名前だけど、今はイリアって名乗ってる」
少女改めイリアは自慢げに胸を張った。
「なんだ、思い出すのは諦めたのか」
「一向に思い出せそうにないからね。名前ないと不便だしって、姫様がつけてくれた」
「へぇ」
城にいる間、こいつは妙に姫と仲が良かった。同年代の女が城に少なかったので、姫も遊び相手を求めていたのだろう。こいつが生意気に、もとい元気になってからは姫に平気で失礼な物言いをするので、その度に周りの人間は肝を冷やしたらしい。
「それにしてもイリアか。なんか聞いたことある気がする名前だな」
「姫様が前に飼ってた鳥の名前だって」
「……あ、そう」
姫様の方も大概なようだった。
「ところでお前、何で俺に付いて来てるんだよ」
「いや、付いて行ってるつもりはないよ。進む方向が一緒なだけで。リドはどこ行くの?」
「菓子屋だけど」
「菓子屋って、この通りの? だったら目的地一緒じゃん」
「なんだ、城からお使いでも頼まれたのか?」
「あれ、言ってなかったっけ。私、もうお城には住んでないよ?」
俺が顔を見ていない二月の間に、名前が付いたり住処が変わってたり、色々とあったようだ。
「追い出されたのか」
「いや、自分から出たんだよ……いつまでもお城で世話になってるわけにもいかないし」
「そうか、意外と偉いじゃないか。だけど、姫様は寂しがってただろう」
「まぁ、寂しがってはいたけど……」
イリアは少し口ごもった。
「ほら、私がいると、姫様とカルバさんの邪魔になっちゃいそうな気がして」
「……あー」
俺達のリーダーであるカルバは、魔王を倒した勇者としてこの国の王子となることが決まっている。あいつは元々王下の騎士学校の選良生であり、王家ともそれなりに関わりがあった身だ。お互いに満更でもなさそうな感じだったし、順当だろう。
「というかお前、そういう雰囲気分かるんだな」
「分かるよ……私の事をなんだと思ってるのさ」
「一国の姫に辛子入りの饅頭を食わせた女」
「いや、あれは姫様が先にやったんだよ」
「だとしてもやり返すなよ。姫だぞ」
聞いた話なのでどこまで本当かは分からないが、その日は城下町の医者が全員城に集められる事態にまで発展したらしい。それは流石に使用人達の心配が過剰だと思うが、似たようなことは何度かあったと聞く。こいつが城を出て、使用人達はほっとしているだろう。
「あれ、じゃあお前、今どこで世話になってるんだ? 給仕の誰かのとこにでも転がり込んだのか?」
「いや、街外れの集合宿で一人暮らしだけど」
「え?」
こめかみから嫌な汗が垂れた。
「一人暮らしって、お前……家賃はどうしてるんだ。いや、家賃だけじゃない、生活するには金がかかるだろう」
「どう、って……働いてるんだけど。あんたが今から行こうとしてる菓子屋で」
眩暈がした。
冗談だろう。こんな鳥の名前を付けられるような奴でも職に就いてるというのか。未だ無職の俺はなんなんだ。明日から虫の名前を名乗ったほうがいいだろうか。
「顔色悪いけど、大丈夫?」
鳥女が俺の顔を覗き込む。先ほどまでは小馬鹿にしていたこの女が今は恐ろしく感じる。
「大丈夫だ、ちょっと気分が悪くなっただけだ」
「私に先を越されたのがぁ、そんなにショックだったぁ?」
顔を上げるとイリアが目を細めて笑っていた。
なんだこいつ。殺してやろうか。
「リドさんはぁ、新しいお仕事決まったんですかぁ?」
「その喋り方やめろ。腹立つんだよ」
「カルバさんも心配してましたよぉ」
その名前を出されると辛い。国軍の入隊試験に落ちて以来、城には顔を出していない。特に点数の水増しを手配してくれたカルバには合わせる顔がない。
「俺のことは良いんだよ、ほっとけ」
「大変だよね、勇者ご一行も。世界を救ったようなもんなんだから、一生遊んで暮らせる報酬金くらい貰っても良いもんだよね」
「仕方ねぇよ。国にそこまでの余裕がないことくらい分かってる」
魔物との戦いは終わったが、次は人間との戦いに備えないといけない。
アスタリア大陸にはこの国を含む四つの大国と十二の小国がある。魔王城の探索については四大国で結成した連合が仕切っているので争いは起きていないが、それが終われば直に領土を巡る人間同士の戦争が始まるだろう。他の大陸ではしょっちゅうやっていることだし、この大陸でも魔王が現れる前にはやっていたことだ。
そう考えると、一番の貧乏籤を引いたのはカルバだろう。王子になることを羨ましいとはとても思えない。
「それにしてもお前、このご時勢によく就職できたな」
「まぁね。たまたま欠員が出たところだったみたいで。菓子屋は良いよ」
「へぇ」
「甘菓子がタダで好きなだけ食べられるから」
「…………」
そんなことはないと思うが。
こいつ、ちゃんと仕事出来ているんだろうか。
(後編へ続く)
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