過去① リド十四歳

 ウラシア大陸にある小さな村。平時はのどかなこの村が、この日はやけに騒がしかった。騒ぎの元は村の広場だった。広場と言っても街の広場のように噴水や花壇があるわけではなく、中心に大きな樫の木があるだけの空き地であった。

 広場では、樫の木のそばで何かを囲むように人だかりが出来ていた。人だかりと言っても、大人はこの時間は大抵働いているため、ほとんどは十歳から十五歳くらいの子供だった。あとは働いていない大人が何人かいた。


「お集まり頂きましてありがとうございまス。私はアスタリア大陸から来た商人でス」


人だかりの中心にいたのは、長髪に髭を蓄えた怪しい男だった。ウラシア大陸の共通語を喋ってはいるが、発音が少しぎこちなかった。足元に大きな鞄を下ろしており、開いた口から瓶や書物が覗いていた。


「アスタリア大陸でハ、魔法という技術が日常的に使われていまス。今日は、皆さんにその魔法を体験してもらいに来ましタ」


 魔法。

 村民達はそれを知識としては持っていたが、誰も見たことはなかった。

 アスタリア大陸では魔物と戦うために使われている技術であったが、人間同士の戦争においての使用は国際法で禁じられていたため、魔物のいない他大陸では基本的に使用されることがなかった。


「体験って、使えるの?」


 子供の一人が商人の男に尋ねる。「そうでス」と商人が答えると、子供たちが、わぁ、と歓声を上げた。


「しかし、そんなに簡単に魔法が使えるのですか?」


 疑問を口にしたのは村長の息子だった。息子と言っても歳は二十代後半であり、子供ではなく働いていない大人に分類される。息子に子供達の注目が集まる。彼は痩身に似合わない腕組をしながらこう続けた。


「街へ行ったときに、旅人から聞いたことがあります。魔法を使うには魔力というものを身体に蓄える必要があり、魔法の扱い自体にも訓練が必要だとか」


 子供達は答えを求めるように、視線を商人の方に移す。


「その通り、よくご存じデ。しかし、今回お試し頂くのは照明ルミネスという初歩的な魔法でス。その上、私がサポートしますのデ、訓練は要りませン。ただし、素質によって出来る人と出来ない人がいまス」


 子供達がどよめく。自分が素質のある人間かどうか不安、といった内容を口にしている。


「また、身体に魔力を蓄えられるようにするためには本来、全身の血管に魔力を通す手術のようなものが必要でス。これをしないと、魔力を身体に入れてもすぐに散って無くなってしまいまス。ですが、今回は一瞬だけ魔法が使えれば良いのデ気にしなくて大丈夫でス。そして、魔力を入れるためにコレを使いまス」


 そう言って、商人は鞄から注射器を取り出した。注射への恐怖に子供たちが悲鳴を上げる。


「魔力を補充するには、飲み薬や魔法を使うと聞きましたが?」


 村長の息子が言う。


「それは魔力を身体に蓄えられる人間が行う方法ですネ。今回は局部にのみ魔力を通すので、こちらの方が都合がいいでス」


 笑顔で答える商人に対し、子供達は不満げな顔だった。「それでは、体験したい方はいますカ?」という商人の問いかけに、子供達の心は魔法への興味と注射への恐怖の間で揺らいだ。


「では、僕が」


 名乗り出たのは村長の息子だった。

 子供達が小さくどよめく。


「こちらへどうゾ」


 商人に促されて村長の息子が木陰に入る。商人は慣れた手つきで、息子の前腕と肘の間を縄で締める。鞄から小瓶を取り出し、中身の液体を注射器の二分目程度まで補充した。


「では、注入しますネ」


 商人が息子の前腕に注射を刺した。刺されてもいない子供たちが悲鳴を上げる。

 薬液を注入し終えると、商人は息子の人差し指に自分の手を添えた。


「今から、私が照明ルミネスの使用をサポートしまス」


 そう言うと、商人の目が翡翠色に変わった。子供達が興奮の声を上げる。


「どうです、指先に何かが流れていく感覚が分かりますカ?」


 商人が尋ねる。村長の息子は言われた通りの感覚があったようで、「は、はい」と上ずった声を返した。


「では、あなたがするべき事は二つでス。一つは頭の中に明るい光をイメージするこト。もう一つは、身体に感じる流れを指先から放つことでス」

「放つ、ってどうすれば良いんですか?」

「感覚なので説明のしようがありませン。そこが出来るかどうかが素質ですネ」


 息子はくっ、と歯を食いしばり、指先に力を入れた。小刻みに震える人差し指に、全員の注目が集まる。

 数秒の間を置いて人差し指の先が仄かに光った。木陰でなければ分からないような薄い光だったが、村の住民が騒ぐには十分なものだった。今までで一番大きな歓声が上がる。指を光らせた本人も興奮している様子だった。


「俺もやりたい!」「私も!」


 魔法を目の当たりにした子供達は注射の恐怖を払拭したようで、次々に体験を申し出た。その後は一人ずつ順番に魔法を体験していったが、商人の言った通り素質の違いがあり、指先が光らない者もいた。光っても、せいぜい村長の息子と同じ程度のものだった。

 そんな中、一人の少年の指が他とは明らかに異なる輝きを放った。薄明かり程度と構えていた周りの人間は一様に目をしかめた。


「リドすげぇ!」「めっちゃ光ってる!」「どうやったの?」


 リドと呼ばれた少年は注目を浴びたことが恥ずかしいようで、空いている方の手を使って羽織っていた外套のフードを目深に被った。


「これは中々素質がありますネ」


 商人は目を細めて笑う。


「あなた、アスタリアに来て冒険者になる気はありませんカ?」

「冒険者?」


 リドはフードの奥から返事をした。


「アスタリア大陸の魔王を倒すべく旅をする者でス。成果に応じて国から報酬が貰えまス。アスタリアで武術か魔法に才のある者ハ、みんな冒険者になりまス」


 商人は懐から一枚の地図を取り出してリドに渡した。


「私はナトリストという国の城下町でエーテル屋を営んでいまス。魔力の補充をしたリ、エーテルという魔力を回復する薬を売っていまス。魔法使いになるなラ、是非いらして下さイ」


 魔法使い、という言葉に子供達が沸いた。

 リドも地図を眺めながら、「魔法使い……」と呟いた。


「興味はあるんですけど……」

「もちろん、今すぐにとは言いませン。どちらにせよ、我が国では冒険者になれるのは十六歳からと決まっていまス。リド君、あなた、歳はいくつですカ?」

「十四です」

「では、次に会えるとしたら二年後ですネ。それまで間は言葉を勉強するのがよろしいでス」


 そう言うと商人は鞄から一冊の本を取り出した。この国で売られている、アスタリア大陸の共通語の教本だった。リドも街で見かけたことがあるものだ。

「ありがとうございます」とリドが本を受け取ると、商人は自分の手の平をリドに差し出した。意図がわからず、リドはその手の平を見つめる。


「教本代、五〇〇ウーロでス」


 商人はウラシア大陸の通貨を請求した。ケチんぼだ、と周りの子供達が商人を非難した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る