第一章 エーテル屋

 魔族と人間との戦いは、約千年前を起源にすると言われている。


 アスタリア大陸に突如として魔王なる存在が現れ、以後、手下となる魔物達が出現するようになり、侵略が始まった。魔物には多様な種類が存在し、強靭な爪や牙を持つものもいれば、武器を用いるものもいた。

 しかし、人間が最も恐れたのは、魔物達が使う不思議な力だった。時には火球を放ち、時には雷を呼び、時には自らの傷を瞬く間に癒す。魔物達は、それらを何の道具も使わずにやってのけた。

 人間は、自分達の持つ技術では到底実現し得ない力に蹂躙され、その力を「魔法」と呼び恐れた。


 魔王の出現から五百年ほど経った時だった。

 魔物に蹂躙され、あるいは魔物から逃げて海を渡ったために、大陸の人間の数は三割ほどにまで減少したとされている。それでもなお大陸に残り、魔物を打倒すべく研究を進めていた者達がいた。


 動物学者ブラインもその一人だった。彼は魔物達の使う魔法について、その仕組みを研究していた。魔物の死骸を類似の動物と比較し、魔法の使用を実現たらしめている要素を探した。

 そして、二十年に及ぶ研究の結果、彼は魔物の体に流れる特殊な力の存在を突き止めた。

 それは視認できる実体を持たず、当時のブラインはその力を電力に類似していると表現した。魔法を発動させる上で重要な要素であると思われるその力は、魔物の力という意味で「魔力」と名付けられた。



 朝のナトリスト城下町大通りにはいつもの光景が広がっている。

 同じような服装の主婦たちが買い物袋を担いで行き交う。軍服を纏った警備兵が欠伸を噛み殺しながら歩いている。農夫らしき男の後ろでがらがらと煉瓦舗装を打ち鳴らす空の荷車は、恐らく出荷帰りだろう。

 沿道にはほぼ隙間無く商店が並び、売り子達は通行人を奪い合うように呼び込みをしている。俺もこの国に来たばかりの頃は余計な買い物を随分とさせられたものだった。

 流石に今は呼び込みのいなしかたも手馴れたもので、俺は商人の声を背に受けながら、路地へと足を踏み入れた。


 薄暗い小道を進んでいき、小汚い小店にたどり着く。手書きで「エーテル屋」と書かれた看板がかけられただけの店は、扉がきっちり閉ざされており、呼び込みの店員もいない。大通りのそれらに比べれば、なんともやる気の無い店だ。

 扉を開けて中に入ると、見飽きた顔が目に入る。長髪に無精髭を蓄えた男が、カウンターに肘をついたまま「よぉ」と挨拶をした。


「なぁ、おっさん。知らないだろうから教えてやるけど、一般的な商店では客が来たら『いらっしゃいませ』って挨拶するらしいぞ」

「へぇ、良い事を教えてもらった。店主を『おっさん』呼ばわりしない上品な客が来た時にでも使ってみるよ」


 カウンターに向かって歩きながら、「俺以外に客が来てるのを見た事ないけどな」と返す。


「そう思ってんなら今日は買っていけよ。魔王討伐以来、月に一回の魔力補充しかしてないだろう」

「冒険もしないのに携帯用のエーテルなんか買うかよ。こちとら今は無収入の身だぞ」

「なんだ、まだ次の職が決まってないのか。大陸を救った英雄の一人だってのに、大変だな」

「その通りだ。定期的に補充しに来てるだけでもありがたいと思え」

「まぁでもたまにはいいだろ。ほら、新商品出したんだよ。どうだ?」


 店主は棚の小瓶を指差した。狭い店内には所狭しとエーテルが並べられており、それらはほとんどが透明な硝子で出来た小瓶に入れられている。しかし、彼が指した小瓶は他とは違って真っ黒だった。


「えらく派手な瓶に入れたな。何か特能のあるエーテルなのか?」

「新発売のエーテル珈琲味だ」

「エーテルに味付けてんじゃねぇよ!」


 よく見ると黒いのは瓶ではなく、中身の液体だった。

 エーテルは専用の薬液に魔力を配合した特殊な液体だ。その構造はかなり繊細であり、不純物が混ざると極端に魔力が散り易くなると聞く。恐らく専門家が見たら卒倒するような愚行だろう。


「いやぁ、エーテルって不味いだろ? 少しでも飲みやすくしようと思ってな。まぁ美味くはならんかったが、普通のエーテルよりはいくらかマシな味だ」

「でもこれ、普通のエーテルよりも多く飲まないと回復しないだろ。本末転倒だと思うんだが」

「一長一短と言ってくれ」

「絶対に売れないぞ。あんまり繁盛してないんだから、こういう冒険はやめたほうがいい」

「むしろ一発逆転の大人気商品になるかもしれんだろう」


 俺は「そうだといいな」と適当に相槌を打って、カウンターの上に銀貨を数枚置いた。もう話はいいから仕事をしろ、の合図だ。


「まいど。どうぞ」


 店主は俺の隣の床を指差す。指した箇所には、円やら星型やらの線と文字のようなものが墨で描かれている。彼曰く魔法陣とのことだが、この絵に意味は無い。意味があるのは、この下に仕込まれている物だ。


 人間が身体に魔力を蓄える方法は二種類ある。

 一つはエーテルを飲むという方法。魔力を含んだ薬液を経口摂取することで、消化と共に魔力を蓄える。服用は手軽だが、エーテルの加工には結構な手間がかかるらしく、それなりに高価だ。

 もう一つは、魔力を宿した魔物の骨やら鱗やらから、魔力移動トラジスという魔法で魔力を移す方法だ。魔物の素材を大量に用意する必要があるため携帯には不向きだが、エーテルを買うことに比べれば随分と安上がりで済む。


 一般的な魔力補充の方法は後者の魔力移動トラジス法だ。わざわざ高価なエーテルを買うのは、長旅やダンジョン探索のために魔力のストックを携帯する必要がある冒険者に限られる。

 旅に出るわけでもない上に無収入である今の俺は、もちろん魔力移動トラジス法を選択する。今俺が立っているこの模様の下には大量の魔物の亡骸が仕込まれているはずだ。恐らく、安価な獰狼ワーグ子鬼ゴブリンの骨が敷き詰められていることだろう。


 店主が見せ掛けだけの魔法陣に向けて片手をかざす。

 無気力な瞳が翡翠色に輝く。魔法を発動している証だ。真面目に仕事をしているなら魔力移動トラジスを使っているはずだが――


「ありゃ」


 店主から間抜けな声が漏れる。もう片方の手も使い、両手を魔法陣に向けてかざすが、結果は「ありゃりゃ」が漏れただけだった。


「どうした、おっさん。魔法の使い方忘れたのか?」


 魔力が補充されれば感覚で分かるのだが、どうもされている様子が無い。


「ちょっと待ってろ」


 そう言うと、店主はカウンターの奥にある扉に入っていった。恐らく、この下に仕込んでいる材料の様子を見に地下室へ降りたのだろう。

 数分後、戻ってきた店主は開口一番「悪い」と謝罪の言葉を口にした。


「魔材が切れてた」


 魔材とは先述の魔力補充用素材のことだ。


「そりゃあいくらやっても駄目なわけだ」

「まったくだ、はっはっは」

「で、予備を入れてきたのか?」

「ヨビ?」


 まるで予備という言葉を初めて聞いたかのように復唱する。俺の目の前にいる男は商売意識が死滅しているようだった。


「他の店をあたることにするよ。五年間ありがとう、世話になったな」

「おいおい、まるで次からは他の店に通うかのような言い方だな」

「次からは他の店に通うかのような言い方をするのはどんなときだと思う?」

「どんなときだ?」

「次からは他の店に通うと決めたときだ」


 俺は身を翻し、今までの店主との思い出を噛み締めながら店を出て行っ「おいおいおいおい待て待て待て待て」


 店主がカウンターから飛び出して俺の外套のフードを掴んだ。後方で、さっきまで彼が座っていた椅子の倒れる音が聞こえた。


「引っ張るなよ。この外套は気に入ってるやつなんだ」

「外套よりも俺の心配をしてくれよ、リド。お前が来なくなったら店の売り上げが半減するんだ」

「俺以外にも客がいるんじゃないか。安心してあんたの元を去ることが出来そうだ」

「勘弁してくれ。魔王討伐以降、エーテルの売り上げが落ちて今でもギリギリの生活なんだ」

「その割には商売意識が低いだろう」

「ちょっとしたミスだ。こんくらい誰にだってある」

「魔材を切らすエーテル屋なんて聞いたことがない。多分この大陸であんただけだ」

「独創性があって良いだろ?」

「さようなら」


 ドアノブに手をかけた俺を「分かった!」と店主が制した。


「補充する予定だった分をエーテルで渡そう。もちろん、料金は魔力移動トラジス法の料金で良い」

「その言葉が聞きたかった」


 苦悶の表情を浮かべる店主に俺は笑顔で応える。

 体内に補充した魔力は少しずつ放出され、時間が経つと空っぽになる。それに比べ、エーテルは一年程度保存が利く。こちらとしてはほぼ魔力を使う予定がない身なので、体内に補充して悪戯に放出させるよりかは、エーテルで持っていた方が便利だ。


「物分りの良い店主で助かるよ」

「長い付き合いだ。これくらい当然ってもんよ」

「まぁ、おたくもエーテルが売れ残ってるそうだし、在庫処分だと思ってくれたまえよ」

「ああ、そうだな。在庫処分に付き合ってくれ」


 そう言って、店主は押し付けるように瓶を差し出した。俺が補充する予定だった魔力はエーテル瓶一本分相当なのだが、彼が渡してきた瓶は三本だった。

 店主が換算を間違えたのか、これは儲けたと思って綻んだ俺の顔は、手に持たされた黒い瓶を見て固まった。


 なるほど、どうやらエーテル珈琲味の魔力濃度は、通常のエーテルの三分の一程度だということが分かった。

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