第二章 過ぎ行く時代

第4話 令和の僕らは電波の奴隷

 西暦2018年12月25日の短期アルバイトへ働きに行った時、僕はとある女の子と連絡先を交換した。もともと異性との繋がりが少ない方であった僕としては滅多に無いような事であったが、その人とは偶然にも話が盛り上がってしまった。だからその延長線で僕たちはLINEを交換する事となった。


 しかし、それから特に連絡を交わす事は無かった。冬場の短期バイトを終え、そして冬休みが終わり、いつも通りの日常へと戻って行くと相手の存在が次第に頭の片隅へと追いやられて行った。


 それは記憶から敢えて消し去ろうとしたのかもしれないし、そうではない面もあるのかもしれない、と僕は思った。でも、今となってはそのどちらかは全く分からなくなっていた。


 あの時はその場における瞬間的なハイテンションの中でLINEを交換したのだが、後になってみれば、わざわざLINEで会話をしたいとも思わなくなった。SNSで他者と密な繋がりを煽られる事は正直苦手である。それは、そんな性格の持ち主同士だから仕方ないのかもしれない。


 いちいちチャットで文字を打ってまで行う雑談はどちらかと言えば好きでは無いし、とてつも無く面倒臭いと感じることすらあった。普段から部活動やバイト先のグループLINEで必要最低限の事務的な会話しか(それすらも面倒臭いが)行わない僕は滅多にメールやLINEを開かないため、連絡先一覧なども自分からいちいち見る事はない。


「○○さんがプロフィールを更新しました」などと言う通知に反応する事は、たぶん天地がひっくり返るまで無いだろう。そんなものだから、次第に僕は彼女の存在を(スマホの中にある彼女の連絡先の存在も)忘れて行ったのであった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 西暦2018年12月25日のあの日からおおよそ半年近くが過ぎた。もう平成も終わってしまい、元号は令和になっていた。


 世間はゴールデンウイークも後半を迎えていて、新緑の木々の芽生えが眩しく、澄み渡るような青空の中にほんのり厚めの積雲が、まるで綿飴ように浮かんでいた。初夏の陽気に近付いて来たゴールデンウイークの、そんなとある日の出来事だ。


 僕は無事に進級して3年生になっていた。そして、高校生活最後のゴールデンウイークを過ごしている真っ只中であった。


 この年は「天皇の即位及び即位礼正殿の儀の行われる日を休日とする法律による特例」によって、4月27日から5月6日まで「カレンダーの上では」10連休を得ることができた。でも、これはあくまで表面的な形式上のものとしてであり、僕の手帳には次のようにスケジュールが記されていた。




《2019年4月》

27(土) 08:30~15:30部活 17:00~22:00予備校

28 (日) 08:30~16:30 部活

29 (月) 08:00~17:00バイト

30 (火) 08:30~15:30部活 17:00~22:00予備校


《2019年5月》

1(水) 08:30~16:30部活 17:00~22:00予備校

2 (木) 08:00~17:00バイト

3 (金) 09:00~21:30予備校の特別集中講義

4 (土) 09:00~21:30予備校の特別集中講義

5(日) 唯一の休み

6(月) 08:30~12:00部活




 そう、世間では10連休が制定されているのにも関わらず、僕の休みはたったの1日しか無かったのだ。


 5月4日の予備校特別講義(ゴールデンウイーク中の特別メニューで朝から晩までの集中授業だった)を終えて千葉駅から帰路の列車に揺られていると、明日だけが唯一の休みなのだから明日こそは何処かへ出かけようと僕は思わされた。世間が浮かれている10連休なのだから自分も1日くらいはどこかへ行きたいと思うのは当然だろう。


 帰宅中にスマートフォンを使いながら、明日出かける行先のイベント情報などを調べたりしてみた。その時は、幕張メッセで開催されている“わくわく!フリーマーケット!”というイベントに行こうと考えていた。


 それを知ったのは今日の予備校へと向かう朝の列車だった。平日の朝夕には市議会の議題に上がるまでとなった熾烈な混雑を見せる外房線だが、さすがに10連休中の朝7時半の列車は空いていて、僕はボックス席の通路側に腰を下ろした。


 向かいの席には親子連れが座っていた。身に着けているものはそのあたりの量販店で売られているもので、そう高そうな衣服ではなかったが、清潔感が保たれていた。アイロンも綺麗にかけてあって、手入れが隅々にまで行き届いているのが分かるようだった。この人たちはそれなりに生活水準の高い家庭なのだろうな、と思った。


 娘はまだ小学校に入るか入らないかといったところで、母親は30代半ばというところに見えた。親子ともに整った顔立ちをしていて、仕草にも品性があった。きっと、土気あたりの敷地の広い一軒家に住んでいるのかもしれない。


「ねえ、フリーマーケットだって」


 娘の方が車内の中吊り広告を指差して言った。


「そういえば、去年の夏はポートタワーのとこであったわね。覚えている?」


「うん」


「また行きたいの?」


「うん」


「じゃあ、明日パパに連れて行ってもらおうかしらね」


 そこで娘の方がまた頷くと、二人とも黙った。母親はスマートフォンの画面をタッチし始めた。


 電車の速度が落ち始めて蘇我の駅に入線する頃合いに、ツンツンと、母親が娘の頬をつついて、二人はスマートフォンの画面を覗き込んだ。そして二人揃って「ふふふ」と笑い出した。そして親子は蘇我で降りていった。


 この親子の会話で、幕張メッセで行われているというそのイベントに興味を持ち、僕も行ってみようかと思わされた。



 でも、予備校が終わって家に帰ると連日の疲れからかぐっすりと熟睡してしまい、目が覚めたのは翌5月5日の正午過ぎで、本来起きるはずだった時間から悠に6時間も過ぎ去ってしまっていた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 あーあ。やってしまったな…と、ため息を深く吐き、そして落胆したのは言うまでもない。


 とは言っても、意気消沈していたところでどうしようも無いので、とりあえず昼飯なのか朝飯なのかも分からない飯を腹の中へかき込み、家にいたところでやる事も無いので市の中心部にある図書館へと出かけた。ただ、図書館に出かけたは良いものの特に読みたい本も見当たらないため、結局は参考書を開きながら大学受験への勉強して帰ってきただけだった。


 今日学んだ内容を忘れないうちにノートへ書き綴り、今後の自己学習方針の参考にでもしようかと思案しながら夜を迎え、夕飯を食べたり風呂に入ったりと普段通りの夜を過ごしていた。時刻は22時を回っていた。


 明日はまた部活動の予定が入っている。ただ、それは午前中だけなので午後は空いていた。だけれども、部活動の今後の方針についてミーティングをするなどと誰かが言い出して終わりが遅くなりそうで、なんとなく嫌な予感はする。


 明日の部活には行きたくないと思った。そして、嫌な事を考えると夜が更けてもなかなか眠る事ができないものだ。それに、唯一の休みであった今日を無駄に過ごした事に対する不全感が僕を苛んでいた。


 今日は家族と一言二言程度の軽い会話を交わしただけで、他に誰とも話していないため何と無く寂しい。繋がりが弱く、希薄で冷たい我が家では仕方のないことだった。


 僕が生まれてから父親は単身赴任と長期出張の繰り返しでまともに会話をする機会が無く、母親も兄も弟も人間嫌いで無口だから当たり前と言えばそうだ。


 だけれども、一日誰とも話さなくても別に死にはしないのだが、それでも夜になったら寂しさ(まるで、この世界にたった一人だけ取り残されてしまったかのような)を覚えてしまう。そして、そんな寂しい気持ちを紛らわしたくもなる。


 寂しさに押し潰されそうなため、とりあえず気晴らしに誰かと話してみたいと思い、LINEを開いた。僕が自ら誰かとLINEで会話をしようとするなんて、滅多にないことだった。特に生産性も無い無駄な会話をするのは好きでは無く、スマホで雑談などする事がほとんど無い僕ではあるが、今日はとてつもない虚無感に心の全てが覆われていた。

 

 そして、この世界に存在することその物への嫌悪感を抱くかのような強い孤独を感じた。


 その原因が何故であるのか明確には分からない。明日の部活動の事を考えてしまってげんなりした事とか、寝坊によりせっかくの休日がダメになった事とかが、遠からず影響しているのではないかと思われた。

 でも、そのどちらの要素がより強いのかは考えないでおいた。兎に角この虚無感と寂しさを払拭したい。ただ、それだけを願った。


 そして、この虚しさを共有できる相手はいないものだろうか、そう思いながらLINEに登録されている友達一覧を流すように見ていった。そんな中で、自分の記憶をいくら掘り返しても見覚えが無く、いったい誰であるのかすぐには思い出せない名前を見かけた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 そこには「高坂 美咲」と書いてある。一瞬だけ、パッと名前を見ただけでは、この人がいったい誰なのだろうか思い出せなかった。そして、この人は誰だったろうか…と、プロフィールページを眺め見ながら思い出そうとした。


 僕は、その人物の名前の文字列を凝視した。そうしていると、僕の脳裏に一人の女の子が浮かび上がってきた。彼女は少しだけはにかんでいるように見えた。胸あたりまである長めの黒髪、淵の大きな眼鏡。そのレンズを通して見える眼は若干のたれ目…。その写真をよくよく眺めていると、ふと記憶が蘇ってきた。半年ほど前の事、 西暦2018年の12月25日。クリスマスの短期バイトのことである。


 そのバイトの最終日の休憩時間に少しだけ会話をした、あの女の子だった。そして、たった半年ほど前の事なのに、どことなく懐かしくなってしまった。


 ふと、彼女と話してみたいと思ってしまった自分がいる事に気付かされた。


 返事が返ってくるかどうかは分からない。それでも話したさに駆られて送ってみた。


「お久しぶりです。クリスマスの短期バイトでご一緒させて頂きましたが、覚えていらっしゃいますでしょうか? 22:14」



 当たり前だが、直ぐには既読にならなかった。それはそうだ。相手だってずっと一日中スマートフォンを見ているわけではないのだ。もし一日中ずっと肌身離さず持っていて通知を気にしているのなら、それはもう主体性を確立した一人の「人間」ではなく「機械の奴隷」である。


 無論、もはや僕らの世代の多くは機械の奴隷、電波の奴隷に成り下がってしまった者ばかりだが、それはそれだった。


 そんな事を考えていると、彼女はスマートフォンやSNSに束縛される事が嫌だと言っていた事を思い出した。グループLINEなどの馴れ合いや雑談も好まないし、機械や電波に拘束された社会の息苦しさを憂いていた。そんな彼女の事だから、直ぐに既読にする事など無いだろう(それどころか、未読スルーにする可能性の方が高いとも言えなくはない)。


 しかし、直ぐに返事が来ないと分かっていたとしても、未読スルーで終わらされる可能性がどれだけ高かろうと、どうしてもメッセージが既読にならないか、そして通知が来ないか気になって仕方が無い。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 気を紛らすためにTwitterやInstagramを眺め見ながら、承認欲求を満たすために「いいね」ボタンを幾つも押してもらえるような、何か「面白いツイート」を考えたり、「素敵な画像」を投稿してみようかと思案した。すると、僕も電波やSNSに束縛されている機械の奴隷と化しているのではないかと思い、自嘲した。


 ただ、この時は軽く自嘲してみるだけで終わりにしたかった。それ以上、こんな自分を情けなく哀れで救いようもない存在だと思ってみたところで、何かが変わるわけでもないからだ。


 人間を機械の一部品として組み込もうとさせる資本のシステム、そしてその策略に抵抗したところで何になる。所詮は虚しい抵抗に過ぎない。自分の事を特別だと思い込んでいた中学生の頃までは、社会悪と闘ってみれば何かを変える事ができるのでは無いかと本気で信じてしまっていた。


 社会の底辺に属する家庭に産み落とされた子供ばかりのいる小中学校に通っていたために、僕は自分が天才であるのだと錯覚してしまっていたのだった。もちろん、思春期にありがちな痛々しい思い上がりも原因の一つであった。しかし、僕は知的階級を代表して権力と闘い、この不正と矛盾に満ちた社会の欺瞞を粉砕し、美しい社会へと作り変える事ができるのではないかと本気で信じ理想を思い描いていた。


 だが結局、そんな空虚で中身のない幻想は高校受験で見事に打ち砕かれ、特に進学校として知られているわけでもないギリギリ自称進学校のレベルと言えそうなくらいの普通の高校に入学した。


 そんな少し昔の出来事を思い返しながら、カバンから手帳を取り出し、明日の部活動の予定を確認し直した。そして、スマートフォンを再び起動させて何となくネットニュースを見ていると、再来年から実施される新入試制度についてのニュース記事が目に留まった。


 学生生徒を食い物にする学習塾産業をはじめとした教育産業と結託し、好き勝手に不安を煽り怯えさせる今度の入試改革については強い憤りを覚えてならない。

 教育産業の金儲けに使われるだけで、当事者である学生生徒の事など一切考慮されていない。欺瞞に満ち溢れていると言えるものだろう。ただ、そうは言ったところで大人しくその枠組みにハマり、異常だと分かりつつもそれを正常なのだと言い聞かせて迎合しなければならない。親や教師などはそう言って、「大人になれよ」と諭してくる。


 それに、新入試制度に強く反対する確たる理由なんて僕には無かった。僕の代までは現行のセンター試験を使うことができるのだし、浪人さえしなければ逃げ切る事ができる。そう、今、多少なりとも努力をすれば良いだけの話だった。浪人さえしなければいい。単純な話ではないだろうか。


 現在行われている教育制度が全て破壊されてしまうという不安もあるけども、それもどうでもいいような気がしてきた。


 結構、結構毛だらけ猫灰だらけ、解体するなら早くしてくれよ、と僕は思った。今ある様々な社会制度や秩序なんて解体して粉々にして、跡形もなく破壊してくれて構わない。そうすれば僕もスカッとするし、その後はその後で何とかなるさ、さっさとやってくれ。半分は自棄になっていた。



 何か巨大な怪物に身体が飲み込まれそうになる感覚を抱きながらも、そんな怪物に立ち向かったところで何になるんだ?との虚無感が僕を支配し続けていた。


 幻想なんて、いつかは消えてなくなり、その存在があった事すら本人も 忘れてしまう。いや、幻想なのだから最初から「存在」なんてしていないのだろう。


 結局、僕は中学生の頃に見下していた他の生徒たちや、その生徒たちを産み出した親たちと同じか、またはそれ以下の存在でしかあり得ないのだと思った。


 いや、どちらかと言えば、あのどうしようもない生徒たちを無責任に生産した親たち以下の存在になる事しかできないような、そんな気がしてならない。


 このまま生きていたところで「非モテ」の僕は結婚なんて不可能であろうし、障害とも言えるようなレベルで対人コミュニケーションのスキルが欠如しているのだから、結婚して家庭を持ち子供を育てる事なんて夢のまた夢である。輝かしい未来を手に入れる事は到底難しい。今の時点で模試の結果も思わしくなければ学校の成績もなかなか上がらない事にうんざりとしている。



 模試の結果が出る度に、自分の能力の無さを突き付けられてしまい、自暴自棄に陥ってどうしようもなくなる。3年生になってから、僕のメンタルは次第に荒みつつあった。


「まぁ、男が病んだところで“可愛いメンヘラ”のようなキャラクターになれるわけでも無いし本当に意味が無いよな」と真夜中の誰もいない部屋で、ボソッと呟いた。


 こんな夜中に、誰もいない部屋で一人ぼっちでいると、どうしようもない孤独に押しつぶされて死んでしまいたくなる。もちろん、僕には自殺する度胸も勇気もない。でも時々、ふとした時に「死にたいなぁ」なんて思うのだ。


 そういえば、僕が小学校6年生の頃だった。僕は頻繁に保健室で休んでいて、そこでよく見かける女の子がいた。その子とは一度も同じクラスになった事が無いし、会話だって一度も交わしたことはない。


 でも、その子の事はとても印象に残っている。いつも一人で俯きながら、死にたい、なんて呟いていたその姿を今でも思い出す。


 思い返してみれば、その子はいつも一人ぼっちで寂しそうにしていた。その頃の僕と同じように保健室にいる事が多かった。  


 その頃の僕は、クラスで何となく居心地が悪くて、何かと理由を付けて保健室で横になっていた。別に、イジメや嫌がらせを受けていたとか誰も友達がいなかったとかではなくて、何となくそこは自分の居場所ではないように感じていた。そもそも、この世界に自分が存在することそのものが退屈で、それは余りに苦しかった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 はぁ、ため息混じりに天井を仰ぐ。


 こんな深夜に何もする事がなく、手持ち無沙汰でただ時が過ぎるのを待ち続けるだけと言うのは精神衛生上、本当に良くない事だと、今になってようやく気が付いた。


 静かな夜にも心を赦すなと、受験を成し遂げた栄えある日まで、そう自分に言い聞かせた。


 そろそろ寝ようか…と思って布団を出していると、ふと、一回の玄関からドスンと鈍い音が響き渡った。そして、くぐもった呻き声が聞こえてくる。普段の僕なら無視をするだろうけど、その日の僕はなんだかおかしかった。寂しくて、誰かと話したいと思ったのかもしれない。


 何だろうと思い、僕は恐る恐る玄関へと降りていった。


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