第16話
「クゥン、クゥン、クゥン、ワン」
「あ、あ、あ、あ」
その光景は、怒りや嫉妬を超越させた。
まだ幼い子犬が、カチュアに甘えている。
いや、甘えているだけではない。
全身全霊で愛情を伝えています。
凍ったカチュアの心を溶かし、無償の愛を与えていた。
つがいの偏った独占欲など比較にならない愛情だった。
一方カチュアも、切られた舌で心を込めて話しかけていた。
自らの愛情を子犬に伝えようとしていた。
言葉だけでは満足に伝えられないのか、時に優しく抱きしめ頬ずりをし、顔を子犬に舐めさせることで、互いの愛情を確かめていた。
本当は舐めてあげたいようだが、切られた舌では愛情を返すことができず、子犬の毛並みのキスを繰り返す。
ウィントン大公アレサンドは打ちのめされていた。
つがいの呪縛の衝動は激烈だ。
子犬に対する怒りと殺害衝動は、並の虎獣人族なら隠しの間から飛び出させ、カチュアの前で子犬を引き裂き喰わせていただろう。
だがアレサンドはそれに耐えたばかりか、戦士として堂々と勝つという先ほどの誓いを、更に深くしていた。
それは、今の自分では、カチュアをここまで安心させられないという、動かし難い現実に打ちのめされた結果でもあった。
そしてうまい具合に、怒りの矛先を転嫁させられる相手が見つかった。
その相手への怒りがあったからこそ、子犬を殺さないですんだともいえる。
切り取られた舌で必死で子犬に話しかけるカチュア。
その哀れさと、舌を切り取ったネーラへの怒りが、つがいの呪縛による激情の矛先を、子犬から他に移すことを可能にした。
アレサンドは眼でマリアムに合図した。
カチュアの事を頼むと合図を送った。
マリアムが同じように眼で合図を返すと、アレサンドは急ぎ政宮に向かった。
もう激情を抑えることができなかった。
家臣諫められたら、その家臣を殺しかねない表情だった。
「急げ!
遅れるモノはおいていく。
私一人でもリングストン王国に攻め込み、民を皆殺しにする。
近衛戦闘団、遠征の準備をせよ。
各戦闘団も急げ!
準備の整った部隊を率いて攻め込む。
近衛戦闘団の準備が遅れれば、一番先に準備を終えた戦闘団を指揮し、近衛戦闘団はおいていく。
そう心得よ!」
「承りました。
ただ一つだけ伺わせてください。
最重要目標は何ですか?
皆殺しなら、国境を越えた時から虐殺を開始いたします。
目標が王家なら、逃げる時間を与えないように、隠形して進軍しなければいけませんし、マクリンナット公爵家が相手でも同じでございます。
どうか最重要目標を教えてください」
ウィントン大公アレサンドの股肱之臣、シャノン侯爵エリック卿は、アレサンドをひと目見て、止めることは不可能と判断していた。
今迄リングストン王国と交渉してきたことは、全て白紙に戻すことにしていた。
だが同時に、この状況になっても、ウィントン大公家が最大の利益を得られるように、アレサンドの名声に傷がつかないように、上手く立ち回ることにしていた。
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