閑話① .1 主と少女


「……女神がいる」

 主の、実に珍しい、普段の彼の口からは出ることのなさそうな、意味を理解しづらい台詞が零れた。


「主?」

「リリティスには見えないだろうが、精霊の塊の中に、幼じぉ……少女が立っている。明らかに幼いようなのに、供もつけずにね」

 父の残した畑を世話する手を止めて、我が主が山の方を仰ぎ見る。


 ややくすんだオレンジ色に近い私の髪と違って、黄金色のサラサラの髪と、清廉な水妖の棲まう透明度の高い湖を思わせる青銀の瞳が、美男子とは言わないが歪なところもなく整った顔立ちに高貴な出自を匂わせる、弱冠、齢20にして一軍の将も努めていた我が主。

 国軍の1個大隊を率いる、騎士団からの派遣大将を拝命していたが、昨年、ある事情から退任して、今は領地での、まるで余生のような、畑仕事をしながらの土地管理人に甘んじている。


 太い筋肉と力が自慢の一般兵士と違って、細身で軽く、剣や槍を取り回す騎乗将校だった主は、笑えば若い娘達に高い人気を博すだろうに、ニコリともしないで他人をあしらう為、本来優良物件にも係わらず残念ながら、婚約者もいない状態だ。

 使い道もこれと言ってなく溜まる一方のそこそこの財産、国軍大将、上級貴族ではないものの領地を賜る騎士爵、親は亡く親戚も多くなく口うるさい小姑などの面倒もない、加えて女性問題を起こした事もない。

 ほら、かなり優良物件でしょう?


 これで、愛想さえあればねぇ。


 まあ、主は、──私もだが──ある事情から子を持たない、可能なら婚姻も結ばないと硬く決意されているから、それでいいのかもしれないけれど。



「確かに。小さな女の子がこんな山深い巡礼街道にたったひとり、荷も持たずにとはおかしな感じですね?」

「見えなくても、気配は感じるだろう? あの精霊の量! 精霊に眼を合わせると彼女が見えなくなるほどに、精霊の層が濃くて塊のようだよ。

 なんて事だ、わたしの何十倍、母の数倍はつきまとって、更に増えつつある。

 あれは、精霊のめぐし子、女神の祝福を受けた者だろう。

 ただ解せないのは、そんな神殿や王家が何を置いても取り込みそうな子供が、こんなところで、たったひとりで、何をしているのか……」


 精霊のめぐし子。世界を生みだしたという女神の祝福を受けた者は、精霊に愛される。価値観の違う、生き物でもない精霊に愛されて、彼らの善しとする祝福や手助けを迷惑に思っても、彼らを退ける方法は、現状ない。

 穢れを受けて別の存在になり果てるか、女神の祝福の証を失うか。それとて、人の身で簡単に出来る事ではない。

 逆に、精霊術士を目指して彼らの祝福を受けようにも、当然人の身で自由になるものでもない。彼らの好意や興味の琴線に触れる方法が、その法則が、人間の価値観では計り知れないからだ。


 その、精霊術士を目指す者が喉から手が出るほどに、可能ならば殺人を犯してでも手に入れたいと思う祝福を持った少女が、親や保護者もなく、従者や護身の供もなく、一人で、途方に暮れた様子で、山頂の大神殿から続く巡礼街道に佇んでいる。


「途中の村ではぐれたのでしょうか?」

「あれだけ精霊を連れていれば、従者も捜せるだろう。始めからいなかったとみるべきだ」

「ならば、尚のこと、おかしな話ですね」

「そうだ。この先は、小さな村があるだけで、大神殿しかない。あそこからは、王都や南の商業都市に続く道は分かれているが、神殿のそばを通ったのなら、奴らに拐かされているに違いない。あれほどの祝福は100年に一度の幸運。他国には何例かあっても、この国には未だ存在したことないくらいの祝福を、奴らが逃すはずがない」

 気のいい田舎領主の顔を外し、鬼将軍と呼ばれた刺すような鋭い目で、少女の様子を観察する主。


「ですが、特別信者の使う妖精の羽衣を身につけていますし……」

「大神殿とは別の神殿……他国の巫女かもしれないな」

 私と言葉を交わしながらも、少女からは目を離さない。


「他国からの巫女が、この街を通ったという記録はありませんが。南から回っているのでしょうか? いずれにしても、変ですね。

 ……それに、周りを観察、視察してると言うよりかは、ただの迷子にしか見えませんが」


 精霊を視る力のある主からして見れば、神聖な巫女に見えるのかもしれないけれど。

 魔力を注ぎ込んでも精霊を殆ど視る事が出来ない私には、きょろきょろと周りを見ながら、どこか途方に暮れた様子で、ただの迷子にしか見えない。年の頃は10歳になったくらいだろうか? もしかしたらもっと……


 もうすぐ日暮れで、畑仕事を終えて街に帰る農夫達に挨拶をされ、ぺこぺこと頭を下げる少女。その間、ひと言も発さない。


 少女も、日が暮れるのが解るのだろう、だんだん焦っているようだ。

「なんだか、普通の少女のようにも見えますが。こう、日暮れが近いのにどうしていいのか解らない、みたいな」

「……声をかけてみるか? いずれにせよ、日が暮れて街に入れてやらねば、魔獣に襲われても寝覚めが悪い」

 ──最も、あれだけの精霊に囲まれていれば、獲物の力量を読めない小物か、大精霊でなければ祓えないような大物しか寄ってこないだろうが。

 主の独白に同意しかない。小物なら、精霊の魔法で祓えるし、戦乙女の精霊ヴァルキュリアーもいるようだから、野獣や魔獣からも身を守れるだろう。

 だからといって、保護者の姿もない子供を一人で放置しておく理由にはならない。

「わかりました」


 最後の農夫が立ち去り、一面の畑には、主と私、オロオロする少女だけが残される。

「こんにちは、小さな巡礼さん」

「こ、こんにちは」

 声をかけられると思わなかったのか、少女は少し驚いた様子だ。


「精が出ますね」

 当たり障りのない返答が返ってくる。

「夏の陽が強くなる前に収穫したいからねぇ、今のうちに育てておかないと大変なんだよ」

 先程までの鬼将軍の眼はなりを潜め、人のいい田舎領主の顔を見せる主。オンオフが素晴らしい。


「なにかお困りなのかしら? 今日の泊まるところは決まってないの?」

 挨拶はされても、自身のことを訊ねられた事は無かったからか、少しの警戒を見せ、それでも困った様子でちゃんと丁寧に答える。


「ありがとうございます。

 ……実は私は巡礼者ではありません。身の上も道もなくした、ただの何も持たない迷子です。

 困ってると言えば常に困っていますが、現状何も手がありません。ご心配ありがとうございます」

 身の上も道もなくした? 何も持たないただの迷子? そんな訳……


 主も同じ考えなのだろう、私の陰で彼女から見えない手で、宙にマナと魔力を籠めて精霊文字を描き精霊達を集め、真実の精霊を彼女に降ろすよう、指示していた。


「それはかなり大変な状況なのではないかしら?」

「……そうですね。ですが、慌てても騒いでも仕方ない事ですから」

 こんな小さな子供が、諦観の念を見せる表情で、薄く笑う。


「失礼だが、それで君は、この先どうするつもりなんだい?

 巡礼者と間違われるその羽衣は、いったいどうしたのかな?」

 せっかく気のいい田舎領主の顔を被っていたのに通常運転に戻ってますよ、主。


「安心してください。別に盗んだとか拾ったとかではありません。

 私の境遇を不憫に思った神官戦士の方が、返却を保留にしてくださったのです」

「保留に?」

 益々主が怖い。確かに、神殿の者が、高価で希少価値の高い妖精の羽衣を簡単に譲渡するはずがないが、そんな、子供に威嚇しなくても。


「はい。最初は山の上の大きな神殿に保護されました。

 でも、私の身を確認する際、使われた水晶玉の不調で何も解らず、能力スキル階位クラスも判らないのは、私が穢れている存在なのかもしれないと神官さん達に放り出されました」

「まあ、酷い」

「子供になんという……」

 真実の精霊は、にっこり微笑んで頷いている……らしい。気配はもちろん解るけれど見えないのだ。だがこの精霊術は、精霊を視ることの出来ない者にも解り易く、嘘を言っていると全身が青黒く光り、本人も判らず間違ったことや適当に想像で答えていると、青緑に明滅する。精霊が匂いで真実かどうか見抜くのだ。

 少女の姿に変化はない。


「保護されたときに女性の神官さんにかけてもらった、信者への貸し出し用のお古だそうです。

 放り出された時に門番だった神官戦士のお兄さんが、だいぶ擦れて効果も落ちているお古だし、外の妖気に触れて消滅したから回収できなかった事にするから持って行けって……一食分の栄養の取れる丸薬もくれました」

 ポケットから「お兄さん」に貰ったと言う革袋をチラッと見せる。が、警戒してかすぐにしまう。

 確かに、国軍兵士や神官戦士に配給される軍餌の携行豆の袋だ。あれ1粒で1回分の食事と同じだけの栄養を摂る事が出来る、緊急用の配給食餌だ。

「そのお兄さんは知り合いなのかい?」

「いいえ、私は何も識らないしここでの記憶はありません。お兄さんも初対面の人で、これをくれたり羽衣回収を保留にしてくれた事は、きっとお兄さんにとって良くない事だと思ったので、お礼だけ言ってお名前は聞きませんでした」

「どうして? 恩人の名前は知りたいものじゃないかい?」

「この後、もし私が泥棒だと誤解を受けて捕まってしまった時に、誰に貰ったのかと訊かれても、知らなければ答えられないですから」

「なるほど、君は色々と考えているんだね。見た目から思ったよりも年上なのかな?」

 見た目10歳くらいだと思うが、東の地や南の島国の民族は、小柄で、強い陽光に抵抗値を上げる為か皆一様に色素が濃く、かつ不思議と年齢が判りにくい。

 ホンの子供だと思っていた少女が、そう小さくもない三児の母であったり、私達の祖父母くらいの年齢の老人かと思えば100を越える長老だったり。

 彼女の艶のある黒髪と、夕陽が指すと琥珀色に見える鳶色の眼、果物のようなみずみずしい柔らかそうな素肌が、噂に聞く極東の自然信仰の少数民族の特徴を持つように見える。


「お古だと言ってましたが、こんなに薄いのにとても暖かくて、お清めのお水にこれごと入っても凍えず出たらすぐ乾いて、不思議なストールですね」

「妖精の羽衣って言って、妖精に織らせる特別な布なのよ」

 目を丸くして羽衣を撫でている様子は、本当にただの子供だ。


 が、うっとりした表情で羽衣を撫でていたのに、急にハッとして、私達を見上げ、震えながら後ずさる。


「ははは、色々訊きすぎたかな? 心配しなくていい。わたしは、神殿のまわし者でも熱烈な奉仕信者アコライトでもないよ。別に、羽衣や配給食餌を隠し持ってるとか通報したりしないさ」

 我が主が、再び気のいい田舎領主の顔を被って、少女に笑いかける。


 本当に?


 少女が肩の力を抜くと、主は笑いに口の端を歪めながら、少女の肩をたたき、その手で背中を村の方に向けて軽く押した。


「ツラい目に合ったね。今日のところは、我が家でゆっくりしなさい。こちらにどうぞ」

 あの主が、見た事もないほど紳士な感じで、慰めの言葉をかけながら街へ誘導していく。


 いいのかな?


 やや不安そうに少女が振り返るので、笑顔を返しておく。ホッとした様子で息を吐き、主に背を押されるまま歩きながら前に向き直った。


 それにしても、領民でもない女性に優しいところなど見せたことがなかった主の、優しいオニイサンぶりに、こちらが動揺を隠せない。何を考えて、そんなキャラを?


 だが、同時に面白くもあった。純粋に、キャラの違う主を見るのも面白いのだが、意味もなくそんな行動に出るお人ではない。何を考えて、何をしようというのか。餌食になる少女には申し訳ないが、主のいつもと違う行動が、何を引き起こすのか楽しみだと言ったら不謹慎だろうか……



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