第33話 ……目立たないって難しい⑯

 お父さんの背中が、いつものように厚く冷たい壁のように立ちはだかっていたけれど、いつもより少しだけ温かく、今まで見えなかった顎から耳へのラインが肩越しに覗いてた……ような気がして、手を伸ばしたら、マメが潰れて皮が厚くなった掌と指が少しだけ硬い、温かくて大きな手に摑まれて、ハッと目が覚めた。


「おはよう。昨夜はよく眠れたかい?」

 昨夜、手を握って貰って眠りについた時と違うシャツ──農夫姿のカインハウザー様がにっこり微笑んで、私の顔の半分以上を包み込めそうな大きな手で、寝汗の湿った前髪を払ってくれる。そのまま、おでこを撫でられた。


「おはようございます。すっかり休ませていただきました。カインハウザー様はちゃんと休まれたのですか?」

「勿論だよ。さあ、起きたら一度湯に入るといい、疲れが溜まってたのだろう、寝汗が酷い。身を清めたら、今日も畑でレッスンだよ」

「はい」

 リリティスさんを伴って、部屋を出て行かれた。


 入れ替わりでメリッサさんが入って来て、浴室へ促してくれる。そのまま、ワンピースを脱がせてくれた。



 見えるわけでもないのにちょっと恥ずかしい下穿きドロワーズを身につけ、サマードレスのようなひらひらのワンピースを着せて貰う。

 妖精の羽衣をふんわりと肩に巻いて、準備はオッケー。

 メリッサさんと一緒に、玄関口で待ってくれているカインハウザー様達に頭を下げた。


 ぺこりと下げた頭から首に何か紐状のものを通して掛けてくれる。

「今日から、これを首に提げておく事」

「……え? これ、木札身分証、ですか?」

「君が、フィオリーナって名の両親を亡くした子供……14歳の少女で、今はこの街の1番街に寝泊まりしながら、わたしの屋敷の下働きをしている。という証だよ。割り印の本証書は、わたしの書斎の街の住民票綴りに綴じてある」

「身分詐称の上、身分証の偽造……「じゃないよ。領主のわたしが発行したのだから、この割り札は本物さ」って、いいのですか?」

「勿論さ。昨日から君はフィオリーナ。わたしの屋敷で、わたしの言いつけを守って働きながら、わたしやリリティスに一般常識を習う少女。間違いじゃないだろう?」

 バッチリ華麗にウインクをキメられるカインハウザー様。そういうの、詭弁って言うんじゃ……


「それじゃ、今日も頑張ろうか」

「はい」


お屋敷を出て丘を下り、街道沿いに街の中を通り抜ける。農夫や、鍛冶士の職人さん達がすでに働いていて、みんな早起きなんだなぁと感心する。

 腕時計を見たら、7時──この世界は日本より一日が1時間長いので少しづつズレて、たぶん5時?──を回った頃だった。二の刻だ。


「それは?」

「あ、時計です。時間を見るもの……ですが、この辺りでは使われないですか?」

「この国にはないね。……母の生まれ故郷にはあるけど、もっと大きなものだ。

 この街には、わたしの屋敷の南斜面に日時計があって、決まった時間に、役目の者が街中に聴こえる鐘を鳴らしてくれるよ」

 昨日も、言われてみれば聴いたような?


 私が首を傾げていたら、リリティスさんが説明してくれる。

「一刻ごとではなくて、朝の中休み四の刻(10時くらい)と、お昼太陽が中天する頃五の刻 (12時半)と、夕刻の暗くなる頃、城塞門が閉まる一刻前に、それぞれ報せるの」

「夕方の鐘を聴いたら、一刻以内に戻らなければならないんですね」

「そうそう。それだけは覚えておいて。八の刻(20時)に閉まるから、今の時期は暗くなる前に戻れば大丈夫よ」


 * * * * *


 今日の山側の門番さんは、ナイゲルさんと知らないお兄さんだった。


「カインハウザー様、リリティス様おはようございます。今日もよい光と風を受けますように。

フィオちゃん、おはよう。もう元気かい?」

「はい、ご心配おかけして、スミマセンでした。元気です。ナイゲルさんもお元気そうで。

 今日も一日よい光と風に恵まれますように」

 挨拶をすると、また、ナイゲルさんと相方の人の間を、爽やかな風が吹き抜ける。


「こら、誰彼所構わず祝福するんじゃない」

 カインハウザー様が、パコっとまたどこからともなく指揮棒のようなものを出して頭をはたく。


「挨拶しただけなのに……」

 上目遣いにカインハウザー様を見ると、ため息をついて、耳打ちする。

「精霊との付き合い方を学ぶまでは、発言に気をつけなさい。君がが吹くことを望むと、彼らは喜んで走りたがるんだ」

「では、それまでの挨拶はどうしたら……」

「普通に、おはよう、こんにちは、こんばんはだけでいいよ。当分はね」


「ナイゲル、クロコル」

「「はっ」」

「君達は何も見ていないし、わたし達以外誰も通ってない。いいね?」

「可愛い女神様など見ておりませんし、精霊達も通常運転であります! 精霊の恵みは、領主殿の人徳の賜であります」

「ナイゲル、いつもひと言ふた言多いわよ。今後、配慮出来ないようなら、門番は降ろすわ」

「もっ、申し訳ありません。鋭意努力します」

「努力するだけじゃダメよ。結果が出せないなら、別の部署に回って貰うわ」


 リリティスさんの、秘書官らしいところを見た。


 鬼将軍の秘書官は、努力だけでなく結果も求める鬼監督官ヘッドコーチだった。



 *****



《しおりー!!》


 顔に何か、蝙蝠? ハンカチ? 蝶? が飛んで来て、顔を塞ぐようにひっつく。


「えっと、この声は、サヴィア?」

《酷いのよー!! 昨日の獣がまた、畑の端っこに糞を埋めていったのよ! 鼻が曲がりそうだわ》

 ぷんすか怒るサヴィア。

 妖精って生物と同じように、鼻、あるのかな?


「直ぐに退けるわ」

「サヴィア君、その獣は、いつも来るのかい? 何時ごろ来るのかな?」

 にっこり微笑み顔でカインハウザー様が寄って来て、私の鼻に留まってるトンボのような透明な翅を持った少女サヴィアを掌に受け取る。


《この所毎晩ね! 月が中天した頃、この辺りの畑から、それぞれ農作物を1つづつ食べて、最後にこの畑の端っこに糞を埋めて帰って行くのよ。酷いわよね! なんでここはドロボウしないでトイレ扱いなのよ💢》

「農作物を盗まれるのはいいの?」

《その畑の作物が美味しいって事でしょう? まるで、私が祝福した農作物は食べられないって言われてるみたいだわ。屈辱よ!》


 妖精の価値観と、私達の倫理観は決して同列にはならない。

 私達は、盗まれる事は犯罪だし被害だし、盗まれた事に腹を立てるし悲しむ。

 妖精は、ヒトの育てた農作物が盗まれようが買い取られようが、そこはどうでもいい。自分の祝福した農作物を美味しいと言われれば、誰がどの手段で食そうが構わないのだ。その代わり、食べもしないでイタズラに潰したり棄てたりしたら、それが誰であれ憤る いきどお 


「周りから被害報告は受けてないが……」

《敵もる者、知恵者ね。獣のクセに。

 1つの畑からは、位置も日ごとにランダムに1つだけ食べるの。足跡もつけず忍び込んで、食べカスも残さずにね。こっそり、周りの葉や畝を乱したりしないから、鈴生りの実の1つが無くなっても気がつかないんじゃないかしら?》




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 次回、Ⅰ.納得がいきません


3.ここはどこ? 目立たないって難しい⑰

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