二十二

 入ってきたのは戸田だった。

「と、戸田じゃないか。あれ? なんで? なんでまだここにいる?」

 驚く都月。

 特殊耳栓をしていない普通の人間は、ここにはいないはずだ。

「戸田、なんだ、どうしたんだ」岸島も問う。

「え? 戸田くん? じゃないよ」利根川の声が響く。

「どうした? 利根川さん!」

「戸田くんじゃない。なんか、変! 戸田くんみたいだけど、戸田くんじゃない! 耳の形が違う!」

「え?」

 利根川が戸田を指しながら目を見開き、その場に座りこんでしまった。福留が急いで抱きかかえる。

「え! じゃああれ、戸田じゃないのか」

「ちがう。あれは……バイオリッド」

 睨む麻耶をじっと観察していた戸田が、にやりとしながら口を開いた。

「ああ、思い出した。お前、どっかで見かけたと思って警戒してたんだが、いっつもあの工場ウロウロしてた奴だな。逃げた後に工場に迷い込んでセイラと一緒に変な空間に落っこちたんだが、こんな所まで追いかけてきやがって。しつこい奴だ」

 麻耶が険しい顔で歯を噛み締めている。

「え、こいつ、誰だよ」都月が麻耶を詰る。

「……ゲラソン」

「え! じゃ、さっきのは!?」岸島が声を上げる。

「さっきの? ひょっとしてセイラか? アラート出てたから、お前らにやられたのか。逃げるの手助けしてくれたパシリ野郎、お前らが二十五世紀に返しちまったんだな。化けるの上手かったし何かと便利だったから、ココの教頭とかいうのにして色々探らせるのに重宝してたんだがな。勿体ないけど、まあもういいだろ。この時代のこと大体解ったし、とりあえずもうここで生きていけるぞ」

「ちょ、マーヤ、じゃあさっきの、別の奴をゲラソンと間違って転送しちまったのか!」

「……」麻耶が苦悶の表情を見せる。

「そうか、俺を転送するつもりだったのか。そうか、そうか、そらあ、残念だったなあ!」

 大笑いするゲラソンが目を閉じると、その姿が一瞬にして灰色の大男に変わった。

「こ、これが!?」

 都月の言葉が出るか出ないかの瞬間、麻耶が飛びつこうとした。しかしゲラソンはさらりとかわす。

「おっと、危ない危ない。戻されちまったら、留置所行きだ。向こうは警戒レベルも上がってるだろうから、もう逃げられないだろうな」

 そのまま後ずさりしながらゲラソンはドアを開け、素早く応接室の外に出て行った。

「こらー待てーケッチラ!」

 開いたドアから麻耶が廊下に凄いスピードで出ていったかと思うと、「ズンっ」という鈍い破裂音が響き、壁がきしんだ。天井から埃が振ってくる。

「ま、マーヤ!」

 急いで後を追う都月達。

 廊下の床のド真ん中に麻耶が拳を突き立てていた。乳白色のリノリウムのタイルには、放射状のヒビが入っている。

 そして少し離れたところでは、ゲラソンが天井に頭をめり込ませ、手足をバタバタ動かしていた。

「え、マーヤ! なにそれ」

「ゲラソンが振動の収束点に来る瞬間に合わせて、開始点に衝撃を加えたのよ」

「し、収束点?」

「校舎の全構造計算したから、どこにどういう衝撃が加わればどう拡散してどこに収束するか、判ってるケッチラよ」

「ぜ、全構造!?」

「そうよ。おかしい? ってか、ツッキー、ちょっと離れてて」

 そういえば麻耶は、校舎内のあちこちを調べたと言っていた。それが、これにも使われたのか。

「そして……」

 麻耶が反対側を向いて、両手をラッパのようにして、大声を出した。

「デンっ!!」

(??)

 次の瞬間、声を放った方向から、フッと風が吹いた気がした。

 ガガガガガガシャガシャガシャガシャガシャ

「うわわわっ!」

 ゲラソンの体に、廊下と教室の壊れた金属の窓枠がガラス片とともに無数に突き刺さっていた。近くの窓が全て無くなっている。廊下のタイルも半分ほど剥がれていた。

「な、なんてこと!」福留が目を剥く。

「いいのよ。あれでも、死ぬほどのダメージはないケッチラ」

 言い終わるやいなや、麻耶はダッシュでゲラソンに向かう。

「ちょ、危ないんじゃ!」

「そんなこと言ってらんない!」

 そのまま体当たりする麻耶。

「なんの! ぬんっ!」

 ゲラソンが力を込めると、麻耶は跳ね飛ばされ、床に転がってしまった。ゲラソンの体に突き刺さっていた無数の破片が抜けて周囲に飛び散る。刺さっていた場所からは一瞬赤紫色の液体が流れ始めたが、すぐに止まってしまった。

「痛っ」飛んできたガラス片が、ゲラソンに向かう岸島の頬をかすったようだ。うっすらと血の筋が見える。

「わはは。いくら天才といっても、所詮は頭でっかちの小娘よ……よ、よのの?」

 ゲラソンの正面に岸島が立っていた。

「なんだおま」

 岸島の拳がゲラソンの口にめり込んだ。

「ぶこ」

 そのまま膝をつくゲラソン。岸島はニヤリとして拳を抜く。

「伊達にヤンキーやってないので。それにいくら体が丈夫でも、口の中までは鍛えられないでしょ」

「キッシー! ツッキー! バイオリッドは物理ダメージがすぐ回復するの。注意してケッチラ!」

「痛いやないか!」

 ゲラソンが素早く立ち上がってジャンプし、都月達を飛び越えると廊下の反対側に走る。

「く、くそっ」

 岸島が追う。だがセイラにやられた足がネックになって、なかなか追いつけない。

「キッシー待って!」

 麻耶の声に驚いて立ち止まる岸島。

 麻耶は、すぐ側にある非常ベルのボタンを押す。

 校舎内で非常ベルが一瞬だけ鳴ると同時に、ゲラソンがブッ飛んで来た。

「な、なに???」

 慌てた岸島が、飛んできたゲラソンに反射的に左腕をブチ込んだ。

「うがっ」

 しかし逆に腕を押さえてうずくまる。

「なんつー硬さだ……」

「い、今の何」都月は目を見開いている。

「非常ベルの電磁波を収束させる仕組みを設置してあるの。それで廊下の奥の空気をプラズマ化して瞬時に膨張させたケッチラよ」

「マジか」

「くっそ」

 左腕を抱えて苦悶の表情で歯ぎしりする岸島を見ながら、ニヤリと笑うゲラソン。

「なんだ、純粋種ってのは脆弱でいかんねえ。あの感じじゃ、折れたかな?」

 岸島が脂汗を流している。

「く、くっそバイオリッド。ブッ殺してやる!」

「き、キッシー、ダメよ! 死んだら向こうで役立たないケッチラ!」

 麻耶が廊下の数カ所を蹴ると、横の教室からいくつもの椅子や机がぶっ飛んで来てゲラソンの身体に絡みついた。

「ぬ、なんじゃこら?!」

 知恵の輪のように複雑に絡まる椅子と机がゲラソンの動きを封じていた。

 その椅子のうちの一つを取り上げた麻耶が、廊下の天井に向けて投げつけた。椅子が天井にめり込む。そして上のほう、なにやら遠くのほうからガゴンガゴンと不気味な音が聴こえてきた。次第に大きくなり、不気味な振動とともに近づいてくるようだ。

「マーヤ、なんだこれ!?」

 ドゴッと音がして、ゲラソンの真上にある天井が裂けた。

「離れて!」

 岸島と都月が咄嗟にそこから離れる。

 裂けた天井から、廊下の幅いっぱいはある大きさの乳白色の物体が顔を見せ、そして裂け目を押し広げるようにしてゲラソンの上に落ちてきた。そして大きな音を立てながら廊下に大穴を開け、そのまま階下に落ちていった。穴から盛大に埃が舞った。

「なんだ今の!」目と口を覆いながら都月が叫んだ。

「屋上にあった貯水タンクケッチラよ。さ、下に行くわよ」

 穴から飛び降りる麻耶。足と腕をかばいながら岸島が後に続こうとする。

「キッシー、俺が行く。キッシーは階段で」

「大丈夫かよ」

「俺のほうが足と腕は動く」

 ニヤリと笑って下のタンクに飛び降り、側面を伝って床に着く。

 ゲラソンは下半身がタンクの下敷きになり、うめいている。

「くっそ、これしき……」タンクがグラグラと動く。上半身に絡まっていた椅子や机は、すでに外れかけていた。

「すげー力だな」

 唖然とする都月をヨソに、麻耶がゲラソンの上半身の上に乗っかった。

「マーヤ、どうするんだ。もう転移装置無いんでしょ」

「んーと。まあ、何とかする」

「何とかって……」

 麻耶が、ゲラソンの灰色の背中でドスンと跳ねた。

「ぐえ」

 両手を後ろに回して抵抗するゲラソン。そのたびに身体を動かしてかわす麻耶だが、今にも手が届いて捕まってしまいそうだ。

 しかも麻耶は考え事をしているようで、ゲラソンの手をかわしながらも何やらぶつぶつと独り言を言っている。

 少し離れた階段から岸島と福留が降りてきた。

 空を切るゲラソンの片手がついに麻耶の手を掴む。その手を取り関節をガシッと極める麻耶。だが同じバイオリッドでも力の差は大きいようだ。今にも外されてしまいそうだ。

 麻耶がまた一瞬腰を浮かせて、ゲラソンの背にドスンと乗った。

「ヘあっ!!」

「岸島くん、これ! ちょっと残ってるかも!」

 桜木が息を切らして走ってくる。手には茶色の小瓶が。あの粉末が入ってた奴だ。それを岸島に向かって投げた。

「オッケー!」

 岸島はピシっと右手で受け取ると、そのまま振りかぶってゲラソンの口目掛けて「投球」した。

「がふっ」まっすぐに飛んだ小瓶がゲラソンの口に中に入った。

 都月は目の前のゲラソンの口元を横から思いっきり蹴り上げた。いい感触がつま先に伝わる。小瓶が割れたようだ。すぐに距離を取る。

「が、な、これ、うふう!」

 乗られた衝撃で息を吐き切っていたゲラソンが、パニックになって粉末とともに息を吸う。

 フッと力が抜けたゲラソン。観念したようだ。

「く、くっ……こ、殺せ!」

 麻耶はじっと考えている。そしてまたぶつぶつと何かを言った後、「転送受け入れオッケ~」と叫んだ。しかし、何か変だ。

「あ、あれ、マーヤ!」

 都月は目を見開いた。

 麻耶の顔が……溶けてきている!

「マーヤ、顔、ってか、あれ、変形しちゃう! ケッチラ言わないと!」

 焦る都月を見て、麻耶の表情が変型しながら柔和になった。不思議な顔だ。

「うん。わかってる。でも、これしか無いよね。私の内蔵型の次元位相転移装置って、かなり深く一体化してないと同時に転移できないし」

「一体化って! マーヤ、ひょっとして一緒に!?」

「ダメだよ! 元に戻れなくなくなっちゃうよ!」桜木が叫ぶ。

 下のゲラソンはまだ薬が効いているのか観念したのか、ぐったりしたままだ。

「んー、まあ、何とかなるっしょ!」

 笑っている麻耶。なんだかとても痛々しい。

「ちょっと、いったん引いて、また出直すってのはダメ?!」都月が叫ぶ。

「いや、こんな奇襲攻撃みたいなチャンス、もう無いでしょ。あと……もう、時間的には限界かなって。実は、ガリアリウム変性症の影響が、そろそろ私の脳にも出始める時期なのよ」

「え、でも何ヶ月かあるんじゃ!」

「完全にダメになって死ぬまでは、ね」

 それを聞いた都月は、もう次の言葉を発することができなかった。

 そうだ。生きている、というのと、生きられる、というのは違うんだ。

「くそ、もう少し、もう少し時間があれば、もっとスマートに出来たのに! もっと、もっと出来たのに!」岸島が呻く。

「キッシー、ありがとう。でも未来のためにこれ以上、あなたを危険に晒せないわ。ツッキー、ありがとう。おかげで地球は救われたわ。トメさんと仲良く、ね。トメさん、智恵ちえ智恵ちゃんをよろ……」

 麻耶はニヤリとすると、目を瞑る。顔がとろけていく。そして麻耶の額がゲラソンの背中と一体化し始めている。

「マーヤ! ダメだ! ケッチラ! ケッチラだよ! 言えよ! ケッチラ!」

 叫びながら、都月は崩れていく麻耶の顔から目が離せないでいた。

 岸島が咄嗟に麻耶に向かって手を伸ばそうとするが、ぐっと拳を握りしめて手を引っ込めた。

 福留は目を見開きブルブルと震えながら後ずさりしていっている。

「ぬー、まにゃ、ちにゃ」

 ゲラソンの灰色の顔がところどころ斑になり、麻耶の細胞が筋肉にも浸透したのか表情も崩れていく。目が上を向き、口が歪み、あらぬ声を上げながら、じわっと薄くなっていった。

「マーヤ! ケッチラ! ケッチラ!」都月の声が響く。

 一瞬、ゲラソンの「顔」が笑顔になったように見えた。そして細長く変形し、天井に開いた穴を貫き通すような光る糸となっていった。

「マーヤ!」

 桜木が口を開けたままで呆然としている。

 都月は思わず目を閉じた。

 数秒して目を開く。目の前の給水タンクに空いた穴から、階段に向けて大量の水が流れ出ていた。そして、ゲラソンも麻耶もいなかった。

 ため息をついた。そして向きなおると、目を見開いたままの福留が固まっていた。

 福留の肩を両手で叩き、軽く揺すった。

 ハッとする福留。直後、目にはうっすらと涙が光った。

「利根川さんとこにいこう」

 都月のあとをついて福留が階段を登っていく。

 岸島は、天井にぽっかりと開いた穴から上をじっと見つめていた。


「利根川さん……」

 応接室に戻った都月は、桜木とともに利根川に声を掛けた。

 利根川がゆっくりと上体を起こし、周囲を見回した。不安げな表情だ。

「ああ都月くん……。大丈夫だった?」

「う、うん。俺達は大丈夫、というか、少し、いや、かなりボロボロ」

 ニヤリと笑ってサムアップする。

 ほっとした表情になる利根川。都月は何となく目を逸らす。

「で、ゲラソンは?」

 利根川の問いかけに、一瞬、言葉につまる。天井を見上げ、また前に向きなおるが、都月は利根川とは目を合わせられず、そのまま答えた。

「ああ、ゲラソンは、返したよ。未来に」

「ほんと! 凄い! どうやって!?」

 どう説明すればいいのだろう。頭の中が灰色に渦巻く。

「ああ……うん。まあ、マーヤがうまくやってくれたんだ」

 その後の言葉が続けられなかった。

 立ち上がろうとする利根川の手を取り、ぐっと力を入れる。か細い身体は、まだよろよろとしている。

「あ、あんま無理しないほうが」

「ううん、大丈夫」

 じっと都月を見つめる利根川。

「ツッキー!」

 福留の声だ。

「女子は女子組にまかせて。ツッキーは、ほれ、岸島くんを頼むよ、ほんと」

「うお、そうだった」慌てて手を離す。

「大丈夫だって」岸島が片足を引きずりながら、ゆっくりと応接室に入って来た。

「足だけじゃないだろ。腕もだ。キッシー、俺につかまって」

「ツッキーより福留のほうが頼りになりそうだけどな」

 五人は笑いながら校舎の階段を降り、ぞろぞろと出口へと向かう。

 出たところで、ふと、空を見上げた。そして、校舎のほうを眺める。

 半壊した夕方の校舎は夕日に照らされて明るいオレンジ色に染まり、ゆらめいていた。

 妙に暑く、乾燥していた。だが不思議と不快さは少ない。

「なんか、喉乾いた……」疲れた表情の福留が、ボソリとつぶやいた。

「あ、あれ」

 桜木が入り口横の噴水を指差した。なんか変だ。

 いつもは数メートルの高さまで拭き上げている噴水が、シーンとしている。覗き込むと、直径五メートルほどの噴水の池が空っぽになり、底まで完全に乾燥していた。

「うっそ……。なにこれ」噴水の底で福留の声が柔らかく反響した。

 都月は、ふと上空を見上げた。真上には、大きな円形の、レンズ雲が二つ出来ている。

 寄りかかって立っている岸島を見ると、やはり上空のレンズ雲を見上げていた。そして、ニヤリと笑った。

「都月、覚えてるか? 前に、俺が体育館の屋根でずぶ濡れになったときのこと」

「おお、もちろん。はっきりと覚えてるよ」

 そうだった。まるで切り抜いたような穴が、雲にできていたっけ。

 岸島は、そのままじっと空を見つめている。

「帰ったんだな」

 遠くを見つめてつぶやく都月。

「さ、申し訳ないが、病院までちょいとお手伝い願うよ」

 いつの間にか向き直っていた岸島の言葉で我に返り、岸島の腕を肩に組んで二人でよたよたと歩き始めた。後には、疲れた顔をした利根川と桜木、寂しげな表情の福留が続いた。

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