二十一
「みんな、ここに居るってことは、ちゃんと耳栓してるケッチラね」
期末試験が終了し、夏休みに入る前日。朝の拡大ホームルームが終わると、もう放課後だ。生徒たちは部活や帰宅で慌ただしく校舎を出ていき、午後五時になると教師たちも校舎内にはほとんど残っていない。
そして応接室には、対ゲラソン部隊が集結している。
「ああ、これ、大丈夫。今日の昼から着けてます」
都月は右耳のほうをちらりと見て答えた。
「普通に聴こえるし、本当に効果あるの?」
怪訝な顔をした福留がブツブツ言っている。
「だって実際、もう校内にはほとんど誰もいないケッチラよ」
「さっき職員室覗いたんだけど、ガラーンとしてなんか不思議だった」利根川が答える。
「ちゃんと効いてるだろ? そういうふうに作ったからな」得意げな岸島。
「そうケッチラよ。人間……純粋種が何となく不安になって早く「巣」に帰りたくなるような特別な周波数を校内に流してるから、まあ校内にいるのは、キッシー岸島設計の特殊耳栓してるメンバーとバイオリッドだけ、っびよ〜ん☆」麻耶は余裕の表情だ。
教頭のターニャを捕まえるために応接室を使う計画だが、普段使わないこの場所でも誰かが入ってくる可能性がある。室内の気流が乱れても失敗するので、念のため作戦中は近くから「人払い」をする必要があった。
「でも、元からほとんど人がいないタイミングで、装置使ってまで学校内から全部人を出す必要まで、あったんスか?」
「まあ、ちょびっと大げさかもかもか〜もかも。でも、ちょっと警戒されてもいるケッチラよ。応接室を出られちゃったら、あとはもう校舎内全部、危険ゾーンぼやびょあババン。まあその対策も、してるっちゃしてるけど、使わないことを祈るっちね」
そう言うと、麻耶は応接室の真ん中に立ち、ジャンプして灰色の天井板をずらし、次のジャンプでスッと天井裏に飛び乗った。
相変わらず器用だ。体操選手か。
「じゃあ、ターゲットに怪しまれてる私はここで、ターニャを待つケッチラよ」
麻耶の顔が天井板の隙間からちらりと覗く。
「何かあったら出てきて下さいね」利根川が不安げな表情になる。
「まっかしーて☆ケッチラびびびよよ→ん、っと」
天井板が元のようにはまり、麻耶は姿を消した。
「さて、帽子掛け部の顧問に、来ていただきますか」
部屋の真ん中に立つ都月は緊張した面持ちでスマホを操作した。
長く感じる。スマホの画面からわずかに離した親指が、震えている。
周囲を見回すと、壁際には直立不動の利根川、隣に幾分姿勢を崩しているものの口を真一文字に固く閉じたままの福留、帽子掛けのそばから入り口ドアを睨み続ける岸島。空気は重く、まるでホラー映画で息を潜めて近くを歩く怪物をやり過ごすワンシーンのようだ。
僅かな金属音を立ててドアが開き、桜木が姿を表した。緊張しているのだろう。動きがぎこちない。
少し遅れて、シンプルな薄紫色のパンツスーツ姿のターニャが入ってきた。
空気が凍りつく。ターニャの顔も幾分かこわばっているように見える。
都月は、できる限りの笑顔を意識して、口を開いた。
「……先生、すみません。帽子掛け部の顧問になっていただき、ありがとうございます。これが規定の部員、名簿に書いた五人全員です。他の部との兼ね合いもあって、今日のこの時間しか全員集合できなかったので、昨日急にお願いさせていただいて、申し訳ありません」
都月が頭を深く下げる。それに合わせて皆が軽く頭を下げる。
「いえいえ、大丈夫ですよ。何やら撮影するということですよね」
ターニャの野太い声が室内に響く。
「帽子掛け部発足のプロモーションムービーを撮影して、それをインターネット動画にしたいんです」都月が説明する。
「インターネット?」
「そうです。誰でも観られるように」
「インターネット……ああ、そう、アレね」
「そうです。お願いします」
利根川と桜木の視線を感じる。さらに胸の鼓動が強くなる。
「……じゃ、桜木さん、廊下のほうを見ていてください」
ハッと我に返った桜木が、不安げな表情でドアから出ていった。
中でゴタゴタしている間に、万が一誰かが入ってきてはまずい。人が居ないことは確認しているが、もし入ろうとする人がいたら都月達に連絡し、そこで出来るだけ時間稼ぎをする手はずになっている。
「わかりました。活動場所は、この応接室……は、暫定措置だったね?」
「そうです、すみません。少ししたら、また他の場所を探します」福留が口を開いた。
「お願いしますよ。この学校だって、お客様が来ないわけじゃないんですから」
ニヤニヤしながら表情を和らげるターニャ。
「ささ、こちらへ」
わざとらしくお辞儀をし、都月は右手で応接室の真ん中を指し示した。
「ふんふん」
岸島が、帽子掛けに掛かったベージュのフェルト帽を外し、うやうやしくターニャに見せる。
「それを、あそこに投げて掛けるの?」
「そうです。やってみてください! さ、こちらからどうぞ」
福留がニコニコしながら手先で部屋の中央、麻耶の真下の位置へと促す。
ターニャは、岸島が持つフェルト帽をじっと見て、また帽子掛けのほうを見る。そして、都月達の顔を、順にじっと見回した。そして何故か、動作が止まった。
やっぱり何か、警戒してるのか?
都月は、バレてるかもしれない、という麻耶の言葉を思い出し、背中に伝う冷や汗を感じた。
「そこから投げないとダメなの?」
ターニャの指が福留が促す場所を示しつつも、視線は福留から外れない。
……大丈夫かな、福留さん。
「そうなんです、教頭先生。公式ルールでは距離が決まっていて、そこからじゃないと失格になります」
なかなかの演技派じゃないか。
「公式ルール……」
ターニャは福留から目を逸らすと、また周囲をゆっくりと見回していた。
岸島と利根川の顔にも緊張が走る。
ふと、ターニャが天井を見た。
やばい。
「わかった」
強い心臓の拍動を感じた。向かいにいる岸島が、眼を見開いて全身をこわばらせ、身構えている。
「じゃあ、帽子を頂戴」
ふう。力が抜ける。
一瞬放心したようになった福留の顔が笑顔に戻った。そして岸島から受け取ったフェルト帽をターニャに手渡した。
「これを、フリスビーのように投げて、帽子掛けのどこかに引っ掛けます。場所によっていろいろ点数がついてるのですが、一応、一番美しく見える、上の突起に引っかかるようにしてください」
「フリスビー? こう?」
ターニャが、帽子の頂上部分をつかんでいる。
「いや、ヘリ、そのフチの部分を軽くつかんで、横に水平に回転させるようにしてください」
都月が慌てて手真似をした。
戸惑いながらも、何とか「形」になるターニャ。
「じゃあ、撮っていいですか?」
利根川が震える手でスマホのカメラをターニャに向けた。
「ちょっと待って!」
ターニャが声を上げた。また空気が固まる。
「練習……させてくれない?」
「……あ、どうぞ、どうぞ!」
福留が緩んだ表情になり、右手で部屋中央を指した。
じっとそこを見るターニャ。そして、また周囲の一人ひとりを見まわす。
今度は脇の下で汗が伝わるのを感じる。
「大丈夫ですよ教頭先生。失敗しても、撮り直します。成功したものだけ使いますから!」
緊張した空気の中、しばらくの沈黙。
「でも、最初は近くからでいい?」
「あ、近くから投げてみて、それで後から真ん中でやれば大丈夫です!」
都月はじれったくなって、言葉がやや乱暴になった。
「わかった」
五人は、帽子掛けのすぐ側まで行き突起を確かめているターニャを、ヒヤヒヤしながら眺めていた。
帽子掛けの突起のうちの一つからは、岸島の足元にあるスイッチひとつで荷電したバイオリッド抑制粒子が吹き出すようになっている。その粒子が応接室の空気の流れと麻耶が仕掛けた装置による電磁波に誘導され、部屋の中央に立ったターニャの口付近を経由して外部に流れるようになっているのだ。粉塵の出る工場で使われているプッシュプル型の換気装置とトルネード気流を応用したものだ。麻耶が応接室の換気装置を調整し、また換気口を新たに設置、家具や人の配置まで計算してセットした。
突起のひとつを触って確かめた後、二歩下がって帽子を構えるターニャ。気が抜けない。
フッっと表情が緩んだあと、ぎこちないポーズで帽子を投げる。ゆるゆると弧を描いて、帽子は先程ターニャが触っていた突起に何とか引っかかった。
「ふう、難しいものね」
「で、でも、いい感じですよ! あ、でも、投げる前に三回、その場で深呼吸するのがルールです。それで気持ちを落ち付けることで、安定した投げ方になります。さあ、本番、いかがですか?」
緊張のあまり、声が震えはじめる都月。スマホを構える利根川も、カチカチに固まっているようで眉一つ微動だにしない。
ターニャと目が合った。都月は、顔のひきつりを覚えながら右手で部屋の中央にターニャを促す。
「ちょっと遠くない?」
「え、大丈夫ですよ。いちばん綺麗にかっこよく決まるのが、この距離ですから!」
福留が笑顔で答える。肝が座ってきたのか。さすがボス。
「じゃあ、ちょっと試しに、あなた、そこからやってくれない?」
都月から視線を外さずに言うターニャ。やはりこの「場所」を疑っているのか。
「あ、いいですよ。練習してますし、できると思います」
都月は帽子を受け取って部屋の真ん中まで進んだ。そして、伸ばした両手で帽子を体の前に持つと、その場で腕を上下させながらゆっくりと三回、深呼吸する。
「この深呼吸の儀式も含めての帽子掛け競技なんです」福留が解説する。
そして呼吸が整った頃合いで構え、水平に投げる。心臓が爆発しそうだ。
帽子は、頂上の突起に危なげなく掛かった。一呼吸置いたが、動悸はそのままだ。
手に汗が吹き出ていた。
「……こんな感じです」
「なるほど、横に、そう投げるといいのね。ありがとう。じゃあ、やってみよう」
都月が壁際に寄ると、ターニャがゆっくりと部屋の真ん中に進み出て来た。
帽子掛けのそばに居た岸島が急いで帽子を取り、ターニャに手渡して素早く元の場所に戻った。そして、何食わぬ顔で足元のスイッチを押した。
定位置で帽子を構えるターニャ。利根川はまだスマホを構えたままだ。
「あ、先生、深呼吸の儀式です!」
「そうだったね」
両手で帽子のつばを持ち、前に伸ばす。
空気が張りつめる。
まるで、「粒子」がゆるく弧を描きながら少しずつターニャの口元に向かっていくのが見えるようだ。
ふと、ターニャが天井を見た。
ダメだ。バレたのか。
都月は目の焦点が合わなくなってきた。ぼんやりと、岸島や利根川、福留の姿が見える。皆、短距離走のゴールの瞬間を見つめるような表情をしている。
張り詰めた空気を感じてか、ターニャがまた周りを見渡す。
そして、何事もなかったように、深呼吸を始めた。
一回、二回、三回……。
ふと、動きが止まる。そして血走った目で都月を睨んだ。
「これは何の真似!」
歯をむき出した険しい表情とともにターニャは帽子を投げ捨て、都月に向かってまっしぐらに飛びついて来た。
かのように見えた。
都月の目の前には、膝からくずおれたターニャがいた。
「こ、この、何をした!」
四つん這いのままでブルブルと震えているターニャの背中。都月は思わず後ずさりして、壁に背中と両手をつけた。だめだ。怖くて体が動かない。じりじりと近づくターニャ。
「ま、マーヤ!」
天井でドカっと音がした。
蹴破られた天井板から、麻耶がドスっと落ちてきてターニャの背中に尻もちをついた。
「ぐっ!」
「やー危ないところケッチラ!」
岸島が飛んできて、ターニャの両足を掴んで固定しようとする。
利根川がスマホを取り落とし、その場でガタガタと震えている。
「あ、キッシー、危ないから、私に任せて」
「っつーても、すぐ動き出しちまうぜ」
ブンッ
「ぐあっ」岸島の体が宙に舞った。
ターニャの片足が持ち上がっている。
「動いてる! 気をつけて!」福留が叫ぶ。
「上半身に、早く!」
床の上でうつ伏せになってバタ足をしているターニャ。その背中に馬乗りになったまま、麻耶が銀色の輪……次元位相転移装置をぐったりした腕にはめようとする。
「な、なんだそれは。ぐっ」
ターニャの頭が左右に振り動き、麻耶に抵抗している。動きは少しずつ大きくなっているようだ。
「マーヤ、は、早く!」
「まってケッチラ! よし」
ターニャの左腕に輪をはめ入れる。そしてベルトを縮めて固定した。
「ぬんっ!」
麻耶が天井まで吹っ飛ぶ。
「く、くそっ。なんだこれは!」
よろよろと立ち上がったターニャが、左腕にはまった装置を外そうとする。しかし、超強化繊維で作られたベルトは、バイオリッドの怪力でも外れない。
「利根川さん! 数字、来た?」
固まっていた利根川が、慌ててスマホを拾い上げて操作する。
「ま、まだ、ちょっとまだ…… 早く!」
利根川が焦った顔でスマホの画面を見ている。
「き、来たみたい!」
「あ、危ない!」
ターニャがよろけながら立ち上がり、利根川に体当たりした。
「きゃっ!」
取り落としたスマホを、ターニャが踏み潰した。
「な、何を企んでるのか知らんが、よくも」
足を引きずりながら応接室の奥にある控え室に行こうとするターニャ。
「マーヤ! スマホが!」画面が割れたスマホを拾う都月。
「ダメだ! 画面映ってない! 壊れてる! どうする!」
「……まだ転送装置にはアップロードされてない! 転送装置のランプついてない!」岸島が叫ぶ。
福留は青い顔をしてオロオロしている。
「チエちゃん! スマホに数字出てたケッチラか!?」
「あ、あったけど、八桁だった。っていうか、アルファベット込み」
「あちゃー、それ、十六進! ミスった。転送装置に送るのは十進! 他の人、スマホで換算できる!?」
「え、わからん。十六?シン?それ何!」都月がスマホを取り出す。
麻耶がよろけるターニャの背中にタックルする。その勢いで二人とも控え室に飛び込んだ。
「チエちゃん、さっきの文字列、覚えてる?」麻耶が叫ぶ。
「あ、覚えて……ると思います!」
「キッシーに文字列、教えて」
「12……F909AD!」
「おっけ!」
岸島は一瞬目を閉じると、すぐに目を開いた。
「今よ」
「よっしゃ」
岸島が素早くターニャの左腕に近づき、装置の何箇所かを押していった。
「よし、これで……」
「ぬーん!」ターニャの左腕が宙を搔いた。
「キッシー!」
「きゃっ!」
応接室にふっ飛ばされてきた岸島が、利根川の横に崩れ落ちる。
「く、くっそ。なんて馬鹿力だ……」
「だ、大丈夫っ!?」想定外の物音に慌てて飛び込んできた桜木が岸島に駆け寄る。
「くそ、膝が。まあでも、何とか」足を引きずりながら控え室のほうに向かっていく。
「キッシー、ちょっとまって」
都月が、帽子掛けを持って控え室に飛び込んだ。
「こいつを喰らえ!」
ターニャの口に向かって帽子掛けの突起をブチ込んだ。
「ぐっ!」
右腕で防御しようとするターニャ。しかし、わずかに残った抑制粒子を吸い込んだようだ。
ターニャの腕がぐにゃりと床に落ちる。
「今だ!」
岸島が、また腕輪のボタンを押し始める。インジケータが緑色に点灯した。
「ぬ、ぐ、ぐ……」
「みんな、離れて! 一緒に転送されちゃうケッチラ!」
慌ててターニャから離れる三人。
「く、くそっ! くそっ!」
目が血走り、周囲を睨みつけるターニャ。だが身体を起こせないようだ。
「大丈夫…… おわっ!」
こわごわ控え室に入ってくる福留と利根川の目の前で、ターニャが半透明になりながら細い糸状の光になっていき、そして天井に向かって消えていった。
「ひょお……」
都月が天井を見ると、ちょうどターニャが消えた真上に、直径三十センチほどの円形の穴が開いていた。覗き上げると、その上の階もぶち抜いて空までつながっているようだ。
「す、すんごいな。こっから未来に行ったのか」
岸島がよろよろと窓際に歩いていき、控え室の窓を開けた。そして空を見上げている。
「見ろ。レンズ雲だ」
他の四人が窓に駆け寄り、首を出して空を見上げる。綺麗な円形の真っ白な雲が、校舎の真上に浮かんでいた。
まるでUFOのようだな、と都月は思った。
「……みんな、お疲れ様。何とかなったわ。あとは私が戻って、処理するケッチラよ」
ボロボロだ。緑色のカツラもズレている。
「ふー。もう二度とごめんだぜ……」
足を引きずりながら応接室に戻り、ソファに崩れ落ちる岸島。
他のメンバーも、めいめいにソファに座った。
「さあ、応接室と控え室、ボロボロだけど」
「それは大丈夫。ダテにうちが学園に莫大な寄付をしてるわけじゃなくってよ」
福留が得意げな顔でサムアップした。
「おお、実質上のオーナー様だ!」岸島が茶化す。
疲れた雰囲気が和やかになった。
突然、応接室のドアが開いた。
「おいセイラ。アラート来たぞ。どうした」
小柄な男が入ってきた。
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