二十

 福留邸の「応接室」。

 麻耶が目の前に見せたのは、直径十五センチほどの銀色の輪っかと、親指ほどの大きさをした小さな茶色の瓶だ。

「これが、例の装置? ただの輪っかじゃない?」眉間に縦シワを作った福留が詰る。

「そ〜う、これ、アメリ〜カのキッシーとトメさんとこの研究所の秀才技術者たちが、一生懸命作った次元位相転移装置ざ〜んすケッチラよ?」

「トメさんって、そんなおばあちゃんみたいな言い方やめてよ!」

 福留が不機嫌そうな顔になる。

「あれあれゴメンなさ〜いよ→ん☆ そう、これ、ただの輪っかのようだけど、じ・つ・は」

「次元位相転移装置だろ」

「びんぽよよ〜ん! ツッキーツキツキだいせいか〜い! 何故わかった!?」

「……いま言ってたじゃん」

「あ、あ〜ら大事なことだから、二度言いましたざんすよ? そうざんすよ?」

 輪っかを指に入れてクルクル回す麻耶。

「その小瓶は?」

「ちゃ、ちゃ、茶色の小瓶は何でしょう〜? グレンもミラーも大慌て〜」

「どれどれ」手をのばす都月。

「ぎゃっ! 開けちゃ、だめーっ☆☆!」

 ビクッとして伸ばした手を引っ込める。

「今開けたら、ワ・タ・ク・シ・が、ぎゅるぎゅるバッタ→ンへなへな〜」

「だから、何ですかこれ」福留が焦れったそうな顔になった。

「この粉末は、特殊な神経イオン制御物資で、バイオリッドが吸い込むと、四肢……手足の神経伝達を妨害して筋肉を短時間麻痺させるの」

「ま、麻痺って、え? そんなこと出来るの?」

「出来るケッチラ。けど、人間にも少し影響あるケッチラよ」

「どんな」

「少しの間、動けなくなるっち」

「じゃあ、同じことじゃないですか」利根川が怒った顔になる。

「同じじゃないのよ、同じじゃ〜 あっは〜♪」

 麻耶が髪の毛をぶるんぶるん振り回しながら、大声で歌う。

「バイオリッドは代謝が激しいから、より短時間で復活するの」

「ちょ! じゃあ、バイオリッドじゃなくて、人間向けの神経毒じゃないですか!」

 呆れた利根川が、首を横に振りながらがっくりうなだれた。椅子の背もたれがギシリと音を立てる。

「でもケッチラ、全般的に、バイオリッドは純粋種……人間より強靭ケッチラよ。もともと極限環境での労働用に開発されたんだからバンボボん☆」

「え……じゃあ、バイオリッドだけに効くような毒……みたいなの、ないの?」

「この時代で作れるようなのは、まずないケッチラ。むしろ人間の部分が脆弱性になっちゃってる。強いていえば、バイオリッドの人造構造部分だけを崩壊消滅させるカリシレウム線ってのがあるんだけど、これもやっぱりこの時代ですぐに作るのは無理ケッチラよ」

 シーンとしてしまう。

「これをうまく、教頭にだけ吸い込ませれば……いいのか」

「難しいんじゃない? それより、バイオリッドだけに効果がある方法、ほら、マーヤの病気みたいな」

 といって、福留が口に手を当てる。

「うーん、この病気自体は、感染してから発病まで数ヶ月かかるケッチラよ……。だから、時間切れになって……。それに、生きて返さないと意味ないし」

 麻耶も黙ってしまった。

「……と、とりあえずは、どうやって教頭だけに粉末を吸わせるか、だなあ」

「それはちょっと考えてはある。この数週間で、学校内の空間の構造や空調を調べ尽くしてあるケッチラよ。それを使って、うまく教頭の口元に空気を誘導して……」

「誘導って、風に乗せてってこと!?」

「そうケッチラよ。何か疑問でも?」

 平然とした麻耶に、利根川が心配そうに問いかける。

「そんな、計算上は出来るかもしれないけど、うまくいくのか……。マスクとかで防げないの?」

「マスクだとすると、この粒子の大きさだと、この時代で買えるウィルス対応のでも無理で、本格的な防毒・ガスマスクなら何とか、ってレベル。四百年後に使われてる目立たない量子触媒シャッターマスクはまだ、この時代で作るのは無理」

「そうなのか……。うーん、心配だなあ」

「ツッキーつきつきツッキンぼん、やってみるしかないケッチラよ。まあ幸い? この粉末自体は、命にかかわることは無いの。生きて返さないと意味ないから」

 なんだかリアルだ。

「これを吸わせて動けなくなったところで次元位相転移装置をはめて、共振周波数?を測定するのね。その後、計算終わるまで何時間かどこかに閉じ込めておくって感じ? それとも何時間もずっと吸わせとく?」利根川が真剣な顔で質問する。

「粉末はそんなに沢山は無いし……。あ、計算だけど、すぐ終わらせられるケッチラよ。キッシー岸島君が研究で使ってるスーパーコンピュータをちょっと使えるようにしてくれたから。計算時間は多分、十秒くらいで」

「じ、十秒! じゃあ、そんな何時間も閉じ込めなくても、ちょっと麻痺させとけば大丈夫って感じッスか?」

「うん、一応それくらいでいけそう。転送装置とスマホを連携させて、測定したらインターネット経由でデータをアメリカに送る。スーパーコンピュータで計算した数字がスマホに送られてきて、それを転送装置にアップロードすると、自動的に未来に吹っ飛ぶ〜ん! 全部で一分ほどって感じケッチラね」

「どこで実行するの? ターニャの自宅とか、判ってる?」コーラをテーブルに置いた福留が口をとんがらかせた。

「それが、名簿見て調べたんだけど、架空の住所だった。帰宅の後を追って確かめようとしたんだけど、警戒されててちょっと難しかったのよ。だから、学校でやる」

「が、学校でッスか。ほかの生徒とか先生は」

「それは、うまく人払い出来そうケッチラよ。それに、よく知ってる場所でやったほうが、ちょっと安全かな、って」

 よく知ってる……。確かに麻耶は、学校の建物を知り尽くしているようだ。なんせ、階段の段差まで測ってたのだ。

「でね結局、気流のコントロールとか出来そうなのが、とりあえず応接室だけなのね。近づいて口元に粉末を、ってのは警戒されてて無理。ちょっと離れたところから粉末を出して、誘導して……って。粉末の量もあまり無いから、大量にぶっかけるわけにもいかないし。あと」

 麻耶の言葉が途切れた。やや言いにくそうにしている。

「あと?」利根川が問う。

「……あと実は、応接室で失敗したときのために、学校中にいろいろ仕掛けをしてあって、それを使うことになるかもしれないケッチラよ」

 仕掛け?

「仕掛けって、どんなよ」福留がまだ口を尖らせている。

「いろいろ、罠みたいな感じ。っていうか、今回のは失敗するわけにはいかない。もうターニャ――ゲラソンにバレるのも時間の問題。そうなったらここから逃げてしまって、また居所がわからなくなって、今度は時間切れになっちゃうかもしれない」

「時間切れ……」

 都月は、麻耶の頭にあった黒い凸凹の痣を思い出した。

「もし、時間切れになって、えーと、ゲラソンだけが残ったら」

「うーんそうなると、わからないけど」

 顎に手を当てて、斜め上を見つめる麻耶。

「そのうち、天才キッシーのことを知られるケッチラよね。悪賢いゲラソンが、それを放っておくとは思えない。強靭な体力で、キッシーが開発した技術を自分のものにしてしまうかも……。なにせ、基礎体力や筋力は純粋種の人間を圧倒する。未来の知識や技術もある程度はある。それと組み合わせてちょっと進んだ技術を手に入れたら……」

「なるほど」利根川がつぶやく。

「不確定だけど、リスクは大きいわよね」

「そう。なんともいえないけど、この時代で大きな波風が起きたら、多分、私が居たような未来にはつながらないケッチラよ」

「繋がらない?」

「だって、キッシーの技術と知識が、広く世界で使われて、それなりに平和裏に成熟していって、ワームホールにまで到達して、私がいるわけだし」

「なるほど……。まあ、どんな未来が良いかは分からないんだけどね。だけど、何をやるかは未知数にしたって、なんだかゲラソンを残しておくのはイヤだよね」

「利根川さんにしては珍しく感情的な評価だね」

「え、都月くんには私のこと、そう見えてたの?」利根川が反応した。

「い、いや、そうでもないというか、あれ」

 慌てて否定するが、利根川の表情は固くなったまま。

「うふっふ、ツッキ〜ん? 秀才利根川智恵チエち〜えちゃ〜んにも、と→ってもあま〜い感情、あるケッチラよ、ばいばい〜んね☆」

 うっ気まずい。くそ。わかってるよそれ。利根川が頬を膨らませてうつむく。

 都月は回転しながら去っていく麻耶を横目で見ながら、ふっとため息をついた。

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