十五

「お嬢様、おかえりなさいませ」

 玄関でうやうやしくお辞儀をする中年紳士に、都月は面食らった。

 今日は両親居ないから、って。ああ、なるほど。両親は居ないけど、家がカラで二人っきりという事じゃないのか。そうか、庶民的に変な気を回してしまった。なんだ。俺って馬鹿だ。これが、無知だ。これが、格差だ。

「あ、友達が来たから、適当にしまーす」

 福留が「中年紳士」に応えている。

 もう先程の消耗は消えているように見えた。ホッとした。これが、若さだ。

「かしこまりました」中年紳士は軽くお辞儀をして静かに去っていった。

「あー、お邪魔しま〜す」

「おん邪魔邪魔ちゃーんケッチラ」

 三人は物珍しそうに見回しながら福留の後をついて行った。広い廊下には所々に現代的な絵が飾られている。空間は広々として天井は高く、全体的にシンプルだ。

 四つめにある灰色をしたドアを開けた福留がこちらに向かって手招きをした。

「こっちにどうぞ〜」

 入ると、教室ほどの広さの部屋だった。ソファと本棚、大型のテレビがある。

「え、ここ、福留さんの部屋?」利根川が訊く。

「ああ、ここは、私のゲストルームというか、プレイルームというか、休憩所というか、適当部屋というか、いろいろ部屋というか、そういう感じかな」

 なんだその部屋の概念は。

「適当に座って」

 ふかふかすべすべのソファに座る。麻耶と利根川も、座った瞬間、頬が緩んでいるのが見える。確かにこれは現実的ではない快適さだ。

 福留が部屋の奥からコーラを四本持って来た。

「……ふっくと〜めさ〜ん」

 麻耶がコーラの缶を取り上げて、じろじろと見ながら言った。

「なんですか」

「もっと健康チックなの、な〜いで〜すか〜ケッチラ」

「健康ちっく?」

「これ、ショ糖と炭酸水に精神刺激薬が大量に添加されてるヤバい飲み物〜ららら〜」

「……ただのコーラですけど」福留が構わず自分の分を開けて飲み始める。

 それをちらりと見てため息をつく麻耶。

「さあ、せっかくメンバーが集まったんだから、いろいろぶっちゃけていきまっしょ〜」

 やけっぱちになってるのか、福留のテンションが妙な感じになっている。

 ああ、申し訳ない。俺が変な気を回したせいで。

 利根川が、福留を見ながら静かに頷いている。

「さて、作戦ケッチラよ」

 麻耶の顔が真剣なものに変わった。そして都月に話した内容をほぼすべて、この場で皆に説明した。

「……じゃあ、教頭先生を逮捕するってわけ?」目を見開いたまま聞き入っていた利根川が口を開いた。

「そう。捕獲して、未来に送りかえす。その装置もキッシーに発注してあって、もうすぐ出来るはずケッチラよ」

「そんなにすぐに出来るの?」

 福留が難しい顔をしている。

「とりあえず、材料とキッシー岸島く〜んの頭脳とふっくと〜めさ〜んの工場設備があれば、難しいことじゃないのよ。原理はすでにココにある」

 そう言うと麻耶は自分の頭を指差した。

「この時代の人類はまだ、たまたま発明発見していなかった、ってだけのことだから。分かってしまえばすぐ、なのね。これ発明発見の道理って奴よ」

 事もなげに凄いことを言うな。

「で、その装置が出来たとして、どうやって捕まえるんスか?」

「うーん、それはちぃいと考えないとババンボ〜ン☆」

「いやもう、その口調いいから」

「そ、そうケッチラ?」

「事情はわかったし」福留も応じる。

「えー、ざーんねーん☆シオシ〜オ」

 なんでだ! 実はその口調、なんだかんだ言って気に入ってたのか?

「……その装置ってのは、どういう感じ? 中に教頭を入れる箱みたいな?」利根川が身を乗り出して尋ねた。

 さすが秀才利根川さん。知的好奇心が旺盛なのだろう。

「えーと、箱というより、輪っかね。体のどっかに輪っかを取り付けて起動すると、輪の中にある一定範囲の特定液体固体と連続した同伴物体を対象に、次元位相転移が始まるの。それで、元の時空に送致、よ」

「え、もっと簡単に」福留が焦った声を出す。

「腕輪の穴に入った腕を持った人を服ごと未来にバッキューん☆と」両手をピストルのように組み、福留に向けて撃つ真似をする麻耶。福留がムッとする。

「それ、ちゃんと届くんスか?」

「んー、多分大丈夫。次元位相転移コイルの励起係数さえちゃんとセットすれば」

「あ、わかりました。大丈夫です」都月が遮るように答えた。

「じゃあ、その輪っかを教頭にはめて、スイッチオンと。簡単スね」

「うーん、それはそうなんだけど」

 麻耶がやや不安げな表情になる。

「問題は、装置を取り付けてからじゃないと励起係数が判明しないのと、あとは、どうやってゲラソン……ターニャ教頭を捕まえるか、ケッチラね。実は最近、ちょっと私のこと、怪しまれちゃってて。教頭も警戒してるみたいなの。ちょっと派手に動いて目立ち過ぎたかな、なんちゃって」

 三人がため息をつく。

 前もそんなこと言ってたな。あの後もそのままだもんなあ。

「だから、ちょっと失敗は出来ないっていうか、チャンスは一度だけっていうか」

「でも、その輪っかを付けてスイッチオンすればいいだけですよね?」福留が割って入った。

「うーん、実はこれがちょっと面倒で、コイルを装着した時に、転移対象の次元共振数を測定して、それを元に励起係数を計算するんだけど、その計算にはこの時代のコンピューターじゃ結構時間がかかっちゃって」

「学校のコンピューター部のではダメですか? VRゲーム専用で凄いのがあるって話聞いてて」コンピューター部長の黒縁メガネ姿を思い出す都月。

「それでも数時間は掛かっちゃうと思う。だから、いったん捕まえて、装着して測定、数値を計算させてる間は縛っておくか閉じ込めて、計算終わったら数値を入力、って感じになるケッチラよ……」

 なんだか凄く大変そうだ。そんなことができるのか。

「それまでの間どうやって閉じ込めるか。そこが問題で。まあ、金庫とか金属のタンクみたいな中なら大丈夫と思うんだけど」

「金庫とかタンクって。ロッカーとかじゃダメっスか?」

「ゲラソンはバイオリッドで、しかも高度危険作業に特化してるから、筋力が並じゃないの。だから普通のロッカーじゃ中から簡単に破られちゃうケッチラよ」

「え、マーヤも? バイオリッドだよね?」利根川が訊く。

「そうよ。私は汎用タイプだけど、それでも純粋な人間よりは強い。試してみる?」

 ニヤニヤしながら応える麻耶に、利根川が両手を広げてプルプルと首を振りながら話題を変える。「そ、そんでもしゲラソンが転送できたら、マーヤはどうするの?」

「私? 私は元々、次元位相リターンデバイスが内蔵されてるケッチラよ」

「な、内蔵?」

「そう。ワームホールの工場で巡視してると、あちこちの『次元の穴』に落っこちる危険性あるんだけど、そういうトラブルの時に復帰するために、復帰用の次元位相転移装置があらかじめセットされてるの。ていうか、自分で内蔵しちゃった」

「自分でスか」

「そうよ。悪い?」

「い、いや、悪くないッスが」

「私は医者よ。そして工学博士。あと他にもいろいろ。ほーっほっほっほーっケッチラ」

 胸を突き出して自慢げに揺れる麻耶。

「でも、そういう装置、ターニャ……いやゲラソンも持ってるんじゃないの? それで逃げないの?」

「持ってても県警に留置された時に没収されちゃうし。それにもし持ってたら、もうとっくに逃げてこの時代には居なくなってるはず。ましてや体内に内蔵してるなんて人はアテクシくらいケッチラよ」

 そういうもんか。

 しかし、そんな怪物みたいなの相手に、大丈夫なのだろうか。こっそりやるにしても、すでに警戒されてるところでそんな装置を着けられるとは思えない。危険だよなあ、やっぱり。

「でもなー。なんか、怖いなあ」利根川が不安気に言う。

「そうだな。もし失敗したら、どうなるんスか?」

「そう、失敗したら……例えば、ターニャが行方不明になっちゃったり、死んだり、転送不能になっちゃったりしたら、そうね。私が消えちゃうの」

「あ、病気で死……えと、治らないから」

「うーん、それだけじゃなくて、そのうケッチラ」

 皆が次の言葉をじっと待っている。

「いや、これはまあ、タイムパラドックス、要は『私が存在していることが矛盾』してしまって、消えちゃうって感じかなあ」

「え、でも、逮捕できることになってるんだよね。だってマーヤの未来に繋がってるわけだから。なら失敗とか、無いんじゃないの?」

「いや、『成功する未来』は、決まってるの。で、失敗したら『失敗する未来』ってことになるの。失敗する未来には、私は居ないはずなので、自動的に修正がかかるケッチラよ」

「修正がかかる?」

「そう。まあ、因果関係は時間軸に依存してるから、因果に関しては原理的に矛盾しない。矛盾する状態になったときには、時間軸以外のもので修正されるのね。つまり、空間の物、存在自体の修正、ってなるわけ」

「でも、急にマーヤが消えちゃったら、みんなすごく驚くことになるよね?」

「うーんでも、『記憶』って何だと思う?」

「え、記憶?」

「その瞬間における、大脳皮質のシナプスの配線と神経細胞の電位変化や信号伝達物質による信号のやり取りの変化の状態を可塑的に保っているもの、ですね」利根川がスラスラと答える。

「そうね。つまり、記憶ってのは、要は物質、脳にある物質の状態なのよ。物質の存在自体が修正されるということは、記憶も修正される、ってことになるわけね」

「記憶が修正……」福留の顔も真剣になる。

「そう。端的にいえば、『すべて無かったことになる』ってことケッチラよ」

 なるほど。失敗したら、何事もなかったそのまま平穏な記憶で、そのまま生きていくのか。

「マーヤ、ってことは、苦労して成功しても、放ったらかしにして失敗しても、僕らには何の痛みもない、いや、成功のために苦労した分だけ、損かも、ってことじゃないですか」

「うーん、そう言われちゃうと、そうケッチラよね……」

「なによ。それじゃあ、すごい変な依頼を受けて、作戦に協力して苦労して危険も冒して色々やっても、意味ないんじゃないの?」

 不機嫌になる福留。

「そうかも、そこは、うまく説得し切れない……」

 四人は無言になった。

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