十二

 土曜日がやってきた。

 教室では、何事も困難を抱えていないように見える生徒たちが、和気あいあいと平和に談笑している。平和だ。うんうん。平和が一番だなあ。

「おはよー」

「お、福留さん、おはよう」

「彩っち」

 マーヤかよ

「……彩っち、おはよう」

 福留の取り巻きが、不思議そうな顔をしている。くそっ。

「ツッキー、あの、岸島くんの依頼、うちの研究所で出来そうなんだけど、ちょっと分からないところがあって。また岸島くんに訊いてくれる?」

「どんなこと?」

「うーん、これなんだけど」

 福留が、一枚の紙を見せる。化学式のようなものと、英語の説明が書いてある。

 見るなり瞬時に降参した。

「うちの研究所の研究員、海外の人材も多いから。これ書いた人は英語圏の人みたい。大丈夫かな、岸島くん」

「うーん。まあ一応、スマホで撮ってキッシーに送ってみるわ」

 都月はそれを机に置いて、スマホで撮影し、メッセンジャーで岸島に送った。

「これで、向こうで読んでくれれば」

「都月くん! おはよう」

「お、利根川さん。ちょうど良かった。これ、わかる?」

「え、利根川さんに見せて大丈夫なの?」福留が憮然とした表情をする。

「あ、いいんだ。利根川さんもこの作戦のメンバーなんだ」慌てて説明する。利根川がニヤリとして先程の紙を取り上げて、ざっと眺める。

「うーん、これ、幾つかの精製方法があって、それによって不純物の種類が違うから、どれにすれば、ってこと」

 さすが秀才利根川さん。感心する。

 ほどなく、メッセンジャーの返答がある。英語で何やら書いてある。福留に見せる。

「……日本語でおk」

「ああ、最初の方式をちょっとアレンジしたやり方みたい」覗き込んだ利根川がこともなげに解説する。

「さ・す・が・ね〜」福留がアサッテの方を見ながらムッとする。「ツッキー、それ、転送よろしく。あと、今日は一緒にどこ、行く〜?」

 福留が都月の肘を掴んできた。

 げっ。いきなり何を。

 焦ってスマホを落としそうになる。

「今日一緒にって、デート?」利根川が不思議そうな顔をする。

「いや……」「そうなの〜」福留に遮られた。

 利根川の表情が硬くなり、「じゃ」と軽く手を振ってその場を離れていった。

「利根川さん!」都月の声は届かなかったようだ。

「あら、ツッキーって、彼女みたいなのが好みなの?」

 こっちも複雑な表情をしている。

 め、めんどくせー!!!

「そうそう、岸島くんって、急に賢くなった?」福留が話題を変えてきた。正直ホッとする。

「そうなんだ。なんか急に頭良くなったみたいで」言いながら、口に手を当てる。

「いや、前は勉強してなかっただけかな?」

「これ、今朝届いてたんだけど、どう思う?」福留が二つ折りの紙をカバンから取り出して都月に見せた。先日行われた、全国模試の成績ランキング表のコピーだ。「ここ」指差したところに、利根川の名前があった。

「おお、さすが利根川さん。全国八位か! すんげえ! 神か!」

「そして、ここ」七〜八個下を指す。

「岸……岸島次郎! キッシーじゃん。え? えええ?」

「そう。岸島くんさ、転校前日の模試、受けてたみたい。学外の会場で受けてたのかな。まあ、こんなランキングに載るのこの学校じゃ利根川さんくらいだから、普段は見ないんだけど」利根川さん、のところでムッとした表情になる。

「同姓同名……いや、学校名もウチだし、イタズラ?」

「かもしれないけどね。でも、さっきのメッセンジャーとか、うちの研究所とのやり取りとか、あの岸島くんとは思えないよね」

そういえば岸島は転校前に図書室で大量の本を読んでいた。鼻血が出るほど。しかしあれだけで、全国模試で十番台ってのはどういう事か。

「彼、どうしちゃったんだろう」福留が不安げな顔をする。

「え、福……彩っちって、キッシーのことが好きとか?」

 さっきの利根川との話を混ぜっ返すつもりで思わずちゃらけてしまう。

 福留の顔が、ぐっ、とマジになった。

「ツッキー、本当に、そう思う?」

じっと見つめてくる。こ、怖い。ま、負けた。肉食だ。だめだ。喰われる。負けた。

「いや、冗談冗談!」顔がこわばる。

「ジョジョジョ〜ジョ・ジョ〜ジョジョ」

 振り返る。緑の頭。埃だらけ。制服も何故かすごい埃だらけだ。動くたびに埃が舞う。近づきたくない。両手にはペンチのような工具を持っている。

「マーヤ!」

「ほーほっほっほっほほーほー☆ケッチラ」ペンチを両手でカニのようにカチカチ音をさせている。

「あ、そうそうマーヤ、いま、キッシーの依頼を福留さんに伝えたとこ。これで大丈夫かな」

「おおお〜お、ふっくと〜めさ〜ん、あああんあんあんありがと〜ぅおケッチラ」

「いえ、どういたしまして」冷たい表情で答える福留。

「さ〜てさてさて、こっからは〜、お〜や〜? 利根川智恵ちえ智恵ちゃ〜んは、いずこへ?」額の上に手を乗せ、大げさに見回す。

「ああ、利根川さんはちょっと出てった」都月が応える。

「あ〜ら、もう夫婦喧嘩ケッチラ〜☆」

「夫婦ー!?」福留の目が見開かれる。

「い、いや、何言ってんだ。マーヤ」

「あ〜ら、こっちでも夫婦喧嘩!?」

 ち、ちょ!

 麻耶と福留を交互に見る。なんかやばい。わからんが無意味にやばい。

「ち、ちょっと利根川さんを探してきます」

 都月はあらぬ方向に目を走らせながら、よろよろと教室を出た。

 利根川がいた。出たすぐの廊下にいて、窓から外を観ている。

「あ、利根川さん。いいところに」

「……」

 利根川の表情が緩むが、まだ無言だ。

「利根川さん、こないだの模試の成績出たってさ。さっき見せてもらった」

「え、もう? もう届いてるの?」

「いや、福……」

 あっ。まあ、いいか。

「……福留さんに見せてもらった」

「そう。そうなの」

 また無表情になる利根川。

「そ、それでさ、利根川さん、八位! ってか、一桁って、どゆこと? ねえ、コツ教えて!」

 焦っておどけてみせるが、自分でも顔が引きつっているのがわかる。

「八位かあ。手応えよかったからね」

 利根川の表情が少し和らぐ。ほっとする。

「そ、それでさ、キッシーなんだけど」

「キッシー?」

「そう。岸島。キッシーも載ってたんだよ」

「え、岸島君が?」

 驚くとともに、ちょっと口を手で覆う利根川。やはり意外に思ったのか。

「いや、俺も驚いて。十五番とかそのくらいだ」

「えっ!」

「なんかヘンだろ。いや、替え玉とかでも、そんな点数叩き出すなんて、いや利根川さんなら可能だけど、利根川さんも受けてるわけだし、いや、なんでだ?」

 自分で言いながら混乱している。

「そう、そういえば、さっきの化学式っつーか、福留さんの」とまで言って言葉に詰まる。

 利根川の表情は変わらない。

「ああ、さっき福留さんと、仲良くやりとりしてた、あの書類ね」

 やりにくい!

「そ、そうなんだけど、あれ、キッシーとやりとりしてるんだ」

「……え、ほんとう? あれが、ひょっとして例の、マーヤの依頼?」

 利根川は目をくりくりさせながら、さっきの文書を思い出しているようだ。

「ヘンだよなキッシー。急に引っ越しと、天才に変身したのと」

「マーヤのせいじゃない?」

「マーヤ?」利根川のほうを見る。

「そう。なんかこないだツッキー言ってたでしょ。未来人だって」

「あ、そう。そうなんだけど、うーん、そのせいかな?」

「ほら、産業医って医者でもあるんでしょ? その未来の医学で岸島君を天才にしたんじゃないの?」

「え、何のために!?」

「それは分からないけど……」

「えーとそこのご夫婦。そろそろ教室に入ってくれたまえ」

 定岡だ。教室の入り口から、ニヤニヤしながら廊下に半身出している。

 二人は顔を見合わせ、急いで教室に戻る。

 他の生徒たちはすでに椅子に座り、静かに前を見ている。

「さて、早速だが、今日は自習だ。緊急の職員会議がある」

 まるでヒーロー入場のように教室がざわめいた。

「何かあったんですか?」

 戸田が質問する。教室では「余計なことを……」といった雰囲気が流れる。

 戸田?

 慌てて振り返る。そこにはキョトンとした顔で戸田が座っている。

 確かに座っている。

 麻耶にはぐらかされてしまったが、戸田の席に麻耶が座っていたことに関しては、いまだに疑問が拭えない。

 キッシーの子分、パシリの戸田。パンを持って走る戸田。そのイメージが頭にはっきりと浮かぶ。

「いや、秘密だ。じゃ、あとはよろしく」

 そう言って定岡が立ち去ってしまった後、都月は戸田の席に行った。

「戸田」

「あーツッキー」

 不思議そうな表情だ。

「戸田ってさ、パーティー部だったよな」

 自分の記憶の正しさを確認するように、戸田に訊いてみる。確か、岸島が作ったパーティー部に戸田も入っていたはずだ。パーテイー券を売り歩いていた姿を思い出す。

「いや、違う」

「えっ!」

「いや、岸島く……んが学校やめちゃって、パーティー部は廃部になっちゃったんだ」

「ああ、そういうことか」

 胸をなでおろす。

「で、帽子掛け部を作ったんだ」

「ぼ、帽子掛け部? なんだそれ」全くイメージできない。

「まだ公認じゃないんだけど、帽子を投げて帽子掛けに引っ掛けるの、あるでしょ。映画とかに。あれを練習する部なんだ」

「映画とか?」

「うん。まあ、今のところ部員は僕だけなんだけどね」

 そりゃそうだろうな。

「でもさ、興味をもってくれたのが教頭先生、ターニャで、顧問になってくれたんだ」

「ターニャが!」

「そう。でも部員が五人にならないと、正式な部じゃないからね。顧問も正式じゃないんだ」

「そりゃそうだろうが……」

 しかし、そんな変な意味のわからない部を、よく作ったもんだ……。

「部室も無いからね。教頭に頼んで、応接室を使わせてもらってんだ」

「応接室?」

「学校のお客用の応接室。そこに、帽子掛けがあるんだ。めったに使わないから、そこで練習していいって」

 帽子掛け部? 教頭? しかも応接室?

 しかも、教頭のターニャは、アレだ。未来から来たテロリストだぞ……

「そうか。うーん、その、練習にはターニャはよく来るのか?」

「毎日じゃないけど、ちょくちょく来るよ。すごく上手いんだ。控室の端から反対の角にある帽子掛けに、一発で掛けるんだ」

 どういう特技だ。っていうか、四百年後にも、帽子やら帽子掛けなんかあるのか。

 ふと、都月はこれを利用できないか、と考えた。

 ターニャはゲラソン、麻耶が追っているテロリストだ。その情報がつかめれば、ミッションも早くクリアできるかもしれない。

「応接室ねえ。まあ、今度見学に行こうかな」

「え、ツッキー、帽子掛けに興味あるの?」

「う、あ、うん。ちょっと、面白そうじゃん」

「わかった。じゃあ、放課後に待ってるよ。ってか、ちょっと来てくれないかな」

「え?」

 戸田が、都月の右手を掴み、ぐいぐいと引っ張っていく。

「お、ちょ、ちょっと」

 意外に強い。というか全く外れない。なんだこれ。びくともしない。戸田ってこんなに力が強かったのか。為すすべもなく引っ張られるがままに、廊下に出てしまった。

 廊下には数人、自習でサボっている生徒がいた。

「ケッチラ」

「うわっ!」

 廊下に出た途端、戸田が麻耶に「変身」した。

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