十
翌日の昼食前。猿脇の退屈な授業が終わった教室で、桜木が声をかけてきた。
「ツッキー、ちょっと、いい?」
みゆちゃん、かわいい。
ココロがユルむのを隠しながら、都月は顔をキリッとさせて「なに?」と応じた。
「こんどアメリカのお父さんに会いに行くついでに、岸島くんに会いに行こうと思うの」
真剣な眼差しだ。
「あ、おお、いいんじゃないか? なんか急だったし、転校前の様子もヘンだったしな」
なんだ岸島の事かよ。ちょっとがっかりしながら、図書室での岸島のことを思い出す。
まあ、あれは確かに心配だ。
じっと桜木の目を見ながら応える。
「でも桜木さん、キッシーの向こうの住所、知ってんの? 桜木さんの親父さんって、いまニューヨークだったよね?」
「大丈夫。幼馴染だから、岸島くんのお母さんに聞いたの。岸島くんがいるのニュージャージーだし、お父さんとこからは近いっぽくて」
「なるほど、そうか」
なんだか、全く対抗出来ないよな。幼馴染だもんなあ。親公認だなこりゃ。やれんなあ。
「でね、ちょっとお願いがあるんだけど」桜木が上目遣いになった。
「な、なに?」
胸がビクッとして身体が固まった。
「私だけ急に行くと驚くだろうから、ちょっと、岸島くんに事前に連絡とって欲しいんだけどなーなんて」
「連絡って?」
「んー、みんなの代表として、桜木が会いに行きます、みたいな感じで」
「いやでもさ、幼馴染なんだろ? 大丈夫じゃねーの?」
「うーん、それはそうだけど、向こうが『重く』感じないかな、なんちゃって」
なるほど。女子が一人で追いかけていったら、幼馴染のキッシーも困惑するかもしれない。あと色んな責任とか、いろいろややこしそうだ。ってか逆に、そういう気遣いするなんて。すっごく意識してるって事だよなあ。くそう。くそうくそう。
「わかった。ってか、なんで俺に?」
岸島と親交のあるクラスメイトは、他にもパシリの戸田が居たはずだ。
「だって、他に、こういうこと頼めそうな人、いないし」桜木がちょっと俯く。
うおっ! よし、請け負ったぜ! 心配するな、可愛いみゆちゃんの頼みなら!
「オッケー。じゃあ連絡しとくわ!」
「やったー! ありがとう!」両手を組んで笑顔。か、かわいい。
「あ……あと、もう一つ、いい?」
「もちのろん」
「今後も、岸島くんと他の人との連絡の、拠点になってほしいの」
「拠点?」
「クラスの他の子とかとさ、岸島くんと連絡とりたいときは、ツッキーを経由して、ってこと」
「なんで? 直接みんなとやりとりすればいいのに」
「うーん。まあ、色々あるの。ね、お願い」
色々か。なんだろう。
「わかったよ。で、いつアメリカ行く予定?」
「明後日。金曜日の放課後に発って、連休明けに戻る」
「しかしなんつーか……すんげー心配だな」
「私、小学校時代ずっとニューヨークだったし、大丈夫よ」
そういう問題かなあ。
「ん、まあ、それなら、気をつけて。キッシーによろしく」
そう言った瞬間、都月は寂しい嫉妬がせり上がってくるのを感じた。
その日の夜、都月は岸島にメッセージした。軽い挨拶と、桜木の渡米についてだ。
ていうか、急過ぎなんだよみゆちゃんは。キッシーが読むの、何時になるかわかんないだろ。
と思った矢先、返答があった。
〈都月、連絡ありがとう。急に引っ越しちまって、心配かけちまったみたいで、ごめん。桜木の件、了解しました。お元気で〉
淡々としている。むしろヨソヨソしい感じだ。まあ元々、そんなに仲が良かったわけではない。図書室の一件以外では、あまり話もしたこともなかったのだ。
と、そこに追伸がくる。
〈そうそう、俺が引っ越す前に来た、産業医の麻耶先生っているけど。あの人、何者?〉
何者って。いや、もちろん知ってるが、言っていいものかどうか。
〈いや、よく分からん。変わってるよな〉
〈そうか。いや、ちょっと急にメッセージで頼まれた事があるんだが、普通じゃない内容だから〉
マーヤ、キッシーに直接コンタクト取ってるじゃないか。俺を使う必要無いんじゃないか? でもまあ、例の件に絡む大事なことなら、ちょっと進めてもらった方がいいのかな。
〈ああ、変わってるけど、今のところ信用できると自分は思う。とりあえず、マーヤの依頼、やってみてくれないか〉
〈わかった。やってはみるよ。ありがとう〉
その後は返事は無かった。
マーヤ、いったい何を頼んだのか。「普通じゃない内容」って。それに信用できる、って書いちゃったけど、大丈夫だろうか。俺は、マーヤのこと、本当に信用してるんだろうか。勢いに押されて流されてるだけじゃないのか。
都月はスマホを机の上にある充電ホルダーに置くと、不安を払拭するように上半身をぐるぐるとねじり、そして布団に潜り込んだ。
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