九
「……ツッキー、どうだった?」
放課後の図書室で、都月は麻耶と話をしていた。
「えーと、教頭が反応してました」変わった形のメガネを麻耶に返しながら応えた。
「ターニャ教頭の頭がケッチラ?」
「はい。頭のてっぺん、マーヤが指差した時の、全員しっかり見てたんですが、教頭だけボウっと青く」
顔を寄せながら、二人とも真剣な顔になっている。
「うーん。やっぱりね。さっきのセリフとも一致するわ。ありがとう!」
「さっきのセリフって?」
「ターニャ、タバコやめられないって言ってたでしょ」
「はい」
「定岡先生は、やめたでしょケッチラ?」
「そうみたいですね。なんででしょう」
「最初にここに来たとき、朝の教職員ミーティングで『タバコ嫌いビーム』を、職員みんなに放射したケッチラよ」
「ビーム?」
「そう。それを浴びるとタバコ嫌いになるざんす。けど、人間にしか効果ないケッチラよ。こないだビームを浴びてまだタバコやめてないの、ターニャだけ」
「でも麻耶先生」
「マーヤ」
「……マーヤ、四百年後でもタバコなんて吸ってる人、居るんですか」
「うん。実は二十一世紀に違法化された後、完全に廃れちゃってたんだけど、リバイバルブームっての? で、ちらちらと吸う人、出てきたの。とはいっても違法のままだから、隠れて、って感じだけどね。バイオリッド作成元のアンドロイドのシードによっては、ニコチンの渇望性と快感が高まる一群がいるみたいで」
「シード?」
「あ、うーん、アンドロイドを作る時のタネみたいなもんだけど、ややこしいのでまた今度説明するケッチラよ」
確かにややこしくなりそうなので、都月は話題を戻した。
「で、ビームが教頭には効かなかった。ってことは、さっきの頭光ったのも考えると、教頭が、ゲラソン、ってことですか?」
「まあ、そういうことね」
麻耶が無言になる。
「いえ、でも、教頭って何年も前からターニャ先生だったですよ。最近入れ替わった、ってことだったら、誰も気付かないなんてことは」
「気付かない? それ、気付けない、んじゃないの?」
「え?」
「えーと『何年も前からターニャ先生だった』っていうのは、本当に本当?」
都月はよく考えた。数ヶ月前の体育館での講演のこと、高等部入学式のこと、その他、たまに出会うことや、学内新聞で顔写真を見たときのことも思い出していた。
「いや、これは確かですよ。何年も前から」
「うーん。難しいわね。ツッキーが『そう覚えてる』のは、確かなんだろうけど」
「どういう意味ですか?」
「例えばえーと、戸田くん、って覚えてる? ちょくちょく休んでる、目立たない生徒だけど」
パシリの戸田だ。
「覚えてますよ。ってか、こないだマーヤ座ってたの、戸田の席でしょ」
「あ、戸田くん休んでたみたいだから、お席借りちゃってケッチラよ」
休みだったのか。見た気がしたんだがなあ。
「で、今日って戸田くん、来てる?」
思い出そうとした。けど、いまいち分からない。もともと目立たない奴だ。岸島にパシらされている時には意識することもあるが、他の時の様子は……。
「うーん、うまくいえないけど、要するに人間の認知機能なんて、テキトーってことなのよ」麻耶は真面目な顔で応える。
「でも、キッシーも戸田は居たって言ってたような気が」
「キッシー……ああ、岸島次郎クンね」
「そうです。転校した」
「転校……まあ、転校ってことになるか」
遠くを見ながら麻耶が言う。
「まあ、結局、私とツッキーとの波長がすんごくバッチリ、ってことなんだわ。こんなにバッチリなの、この星でツッキーだけだから」
ほめられてんのか何なのか、ちっとも分からない。
「さあ、ここからが問題ね。教頭がテロリストのゲラソンだって分かったところで、どうやって追い込んで逮捕するか」
「た、逮捕ですか」
「そうケッチラよ?」事もなげに麻耶が言う。
「警察でもないのに、逮捕出来るんですか?」
「警察?」
「いや、逮捕するっていうから」
「ああ、うーん、まあ、捕獲、でいいか」
「ほ、捕獲ですか!」
「テロリストだからねえ。もう、何でもアリよ。そんなこと、気にしてられない」
「でも、人権とか」
「人権? ああ、そういうのね」
麻耶はしばし考えた後、応えた。
「これから二百年後――二十三世紀に、人類は『人権』を克服するのよ」
「じ、人権を、克服……??」
「まあ、いろいろあってね。苦しい戦いと反省と大きな葛藤と覚悟の末に人類の英知が人権を克服した、ってこと」
「いや、克服って。人権ってそういうモンじゃないんじゃ……」
わけが分からない。
「だいたい、なんでそのテロリスト……ゲラソンは、こんな過去に逃げて来たんですか」
「逃げてきた、っていうより、留置所から逃げてる途中でジラソリウム加工区域にあるワームホールの亀裂から亜空間に落っこちちゃったの。それで過去に来ちゃったってわけ」
「でもそれ、マーヤが捕まえる必要、あるんですか? もっと、軍とか警察とか専門家に頼めば」
「専門家?」麻耶がニヤリとする。
「私、ジラソリウム加工区域のその工場でずっと産業医やってたのよ。私は飛び級で九歳で大学に入って、医学と工学と宇宙物理学の学位も持ってるケッチラよ。そのワームホールの裂け目にある亜空間を通ってどう逃げたのか、どうすれば特定の時空に繋がるのか、推論したりできるのは私だけ。専門家中の専門家よ。ダテにジラソリウム加工場で五年も定期的に隅々まで職場巡視してない。巡視中に足踏み外して亜空間に落っこちちゃってアタフタするのも何回も経験してるし」
頭がいいのかドジなのか分らない。
「警察機構もお手上げなのよ。今回のは。それに、『軍隊』って、もう無いの。人類は、『国家』っていう概念もとっくに消滅してるし。だって、『人権』も克服したんですからケッチラ」
解るような解らないような。
「でも、教頭……ゲラソンがいつまでもこの時代のここに居るでしょうかね。とっとと別の時代や星に逃げたりとか」
「ああ、彼はバイオリッド生化学の知識はそれなりにあるけど、宇宙物理学とかドシロウトみたいで、亜空間の使い方、時空探索の仕方、全然知らないみたいなのね。だから、どっちにしても時代も移動出来ないし、この星から出ていくことすらすぐには出来ないケッチラ。出られても、どこに行けばいいのか分からないわけだから。当面はなんとかここで『生活』するしか、生きる術は無いわけよ」
「か、彼!?」
一瞬、ターニャ増岡の「おばはん」然とした姿が浮かぶ。
「あ、そうなの。ゲラソン、男属性なのよ。なかなかうまく化けたって感じかもね」
ターニャが男。しかもテロリスト。よりにもよって俺の学校の教頭に、かよ。
「まあ、それは置いといて、我々は、今やるべきことを、やるだけ」
そう言いながら、麻耶は顎に指をあてる。
「そうそう、利根川智恵さんってツッキーのこと好きなの、知ってるよね?」
な、なんだってー!?
「い、いやそ、そうなんスか?」
「そうよ。なんだ。気づいてなかったケッチラ?」
麻耶がニヤニヤしている。
「前にも言ったけど、どうしても利根川さんの頭脳を借りたい。あと、福留さんのネットワークも。できれば」
「利根川さんのことは聞きましたが、あの福留さんまで?」
クラス女子カーストのトップ、財閥令嬢の福留の迫力あるイキった姿が脳裏に浮かぶ。正直、肉食女子っぽくて苦手なタイプだ。
「そう。学内の資源だけじゃ、ちょっと足りないケッチラ。学外の資源もちょっと使わせてもらわないと」
うーん。なんだか腑に落ちないなあ。
麻耶の病気は心配だが、それだけじゃない、なんだか資格取得のために、自分だけならまだしも、自分の知り合いを利用されるのは。ましてや、自分に好意を持ってくれている子を利用するってのは、どうなんだろう。
「マーヤ、やっぱ、利根川さんとか福留さんとか、協力してもらわなきゃいけないですか?」
「うん。これは、今のとこ、必須って感じ」
交渉の余地は無さそうだ。確かに自分には、利根川さんのような頭脳や福留さんのようなネットワークがあるわけではないし、他に同様のものを持つ人間にも心当たりはない。
「……やっぱ、ちょっと抵抗、あるんですが」
「まあ、そうケッチラよねえ」
麻耶の視線が、遠くに移る。
「でも、そうするしか、ないの。ごめん」
両手を合わせて拝む麻耶を前にして、都月には、返す言葉がなかった。
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