「えー今日の、いや今月の安全委員会? 衛生?」

 教頭のターニャ増岡が麻耶の方と手元の資料をかわるがわる確認しながら話をしている。

 翌週月曜日の放課後。会議室には、校長、副校長、教頭のターニャ増岡、各学年の主任、それに養護教諭の風吹が集まっていた。そしてそこには、麻耶も出席……というより、真ん前で司会をしている。主役か。

「安全衛生委員会、ですケッチラ〜☆」

 麻耶が両手を腰にあてて前後左右にブンブン振り回した。

 緑色のカツラと基準服のスカートが大きく揺れている。

「あ、そう、その安全衛生会、いや委員会ですか。開きます」

 言い直した教頭の言葉に、職員たちは周囲を見回しながら首を傾げている。

「えー、みなさんおなじみ、この学園の産業医、マーヤ、ざーんすぅ☆ さって、さっそーくー、安全衛生委員会、開催〜パチパチなんですが、なんだかこの学校、イヤ〜ンな事に、これまでロクに開催されてないみ・た・い・で。だから今日は、マンモスバリバリ、拡大開催ケッチラよ!」

 麻耶以外の皆は一様にげんなりした顔をしている。都月のクラス担任――定岡も、高等部二年の主任としてムスッとした顔で座っていた。

「今まで、ちゃんとこれ、この安全衛生委員会やらないで、書類だけ出してましたね? そうでっすね〜? 副校長センセーい」

「ん、まあ、一応、話し合いはした、ということに」副校長が渋い顔をする。

「これまで産業医業務もやってた……はずの下駄島先生は、出席されたり、内容を確認されてまっしーたーかー???」

 下駄島はそこにはいない。

「……いや、先生はほら、クリニックがお忙しいと聞いておりますですから」

 汗を拭きながら副校長が応える。

 麻耶は両手を広げ、大げさに驚いた顔をする。

「なんとまあ! アンアンアンアン安衛会、安衛会も、ロクにせず、やっても全然産業医、産業医すら関わらず、そんなこんなで、ずーっとずっとずっときてました、となあ☆」

「いや、それほど重大な要件もなかったもので」言い訳をする副校長。

「むうーん☆ ジューダイな案件がナイとな!? アーンケーン☆なくても、専門家が全く出てナイよ〜な安衛会って、全然ばっちし大問題ケッチラよ!」

 麻耶が腕をブンブン振り回して力説する。

「お仕事場所の、アンアン安全エイエイ衛生、そこいらへんに重大問題があるかないか、専門家じゃない人に、ちゃ〜んとわっか→るもんならケッチラぼん!?!?」

「す、すみません。だから今回から、こうして」

「こうして、バン・ボ・ボン! カ〜イサ〜イど、え〜すっ!」

 会議室内には、少しずつ疲れ果てた空気が充満してきているようだ。

 都月は、会議室の天井裏の板に開けられた穴から下の様子を伺っていた。

 結局、手伝わされてしまっている。

 忸怩たる想いをしながらも、物音を立てないよう注意しながら、麻耶から手渡された「特殊光学フィルター」を装着して再び下の様子を伺った。

 教頭のターニャが、会議室に設置された大型モニターを示しながら説明を始めた。

「えー、この一ヶ月で報告された大きな怪我や事故などはありませんでした。また、各種環境測定の結果もごらんのように問題ないようです」淡々としたものだ。

「次に職場巡視の報告を、えーと、さ……産業医の先生からしていただきます」

 腕組みをしながらニコニコ眺めていた麻耶が、俄然張り切って話しはじめる。

「さあ、この数日かけて職場巡視した結果、おっしらっせしま〜す・よ〜ん。こちらのモニターを、ごらんあっそっばっせ〜ん☆」

 上から見ると、動き回る麻耶の緑色の髪の毛……いや、カツラが、ますます異様に際立って見える。麻耶は大げさに手を振り回しながら、職員に様々な報告や注意をしているようだ。

「とまあ、学校の環境的には、安全面、衛生面、どっちにもいろいろ問題ありまして。指摘事項、鋭意修正よろしくおンねが〜いしま〜そ☆ケッチラ」

 教職員たちは、手元に配られた指摘事項のリストを見ながら、隣と話したりしている。少し興味を示し始めてているようだ。

 それを見てウンウンと満足そうに頷いていた麻耶が、話題を変えた。

「そ、れ、で、皆さ〜ん。この職場って、たしか完全禁煙のハズ、でっすよね〜ん?」

「あ、そうです。二年前から敷地内禁煙です」副校長が顔を上げて応える。

「おんやあ? ニコニコにこっちニコチンが、なんか学校のココとココで、あ〜ら検出されケッチラもんなら!」

 そう言いながら、麻耶が二枚の画像を会議室のディスプレイに表示した。校内の数カ所で撮影した写真のようだ。

「まずこの場所、でっすけっど〜」麻耶が示したのは、用務員室だ。

「あ、あそこ……」「用務の梁田さんだなあ。禁煙、守れなさそうだもんなあ」職員たちが口々に話すのが聴こえる。

「え〜と、あともう一箇所、ババ〜ん!と☆」

 体育館の屋根の上だ。

 あ、あそこは……。

「な〜んでこんなトコロで、にっこにっこチーンが、出る出るざんしょ、デルざんしょう〜?☆」

 こないだの、キッシーの、だな。

 下の教職員達は、わけも分からない風に首を傾げている。

 そりゃ、わからんだろうなあ……。

「……とにか〜く。禁煙なのに禁煙じゃない。ちゃんと守れてないナイな〜い! これって、とってもとってもヤッバ〜ケッチラちらちらよ〜ん☆。職員皆に、きっち〜んと、強力に強引に、大指導ねがいマッスル!」

 クルクル回りだす麻耶。そしてピタっと止まってまた話し始める。

「ところで、ここから『健康講話』に入るっぴょ〜パチパチ」

 会議室内はまたシーンとしてしまった。

「この中で、喫煙者は、いらっしゃ〜いマスデスかあ〜?」

 誰も反応しない。

「あなたは? じゃああなたは?」

 教職員を次々と指差して、目をじっと見る麻耶。それでも返答は無い。

「おやあ? 調べれば、わっかる〜んでごじゃりマンモス☆よぉ〜?」

 空気がどんどん重くなっていくのが天井からも分かった。

 生物の猿脇が口をはさむ。眉を吊り上げている。

「麻耶先生」

「マーヤ」

「……マーヤ、いや、さっきの学園内での禁煙が守られてないって話は分かったんですが、喫煙自体は法律でも禁止されてませんし、嗜好品として学校外では自由に吸う権利があると思うのですが」

 猿脇のはっきりとした物言いに、会議室の中では二人ほどがウンウン頷くしぐさをしている。その二人が喫煙者ということだろうか。

 麻耶は動きを止め、大きくため息をついた。

「自由? 権利?」

 麻耶の声のトーンが上がった。顔も真剣になっている。

「教職員には、勝手に自分の健康を害する自由や権利は、無いはずですよ?」

 会議室がざわつく。猿脇がなおも応える。表情がさらに険しくなっている。

「いや、学校外では吸う権利ありますよね?」

 麻耶のテンションが元に戻った。

「い〜やだ〜な〜。学校側には職員に対する安全配慮義務ってのがア〜りん〜すが、対する職員には、自己保健義務、ってのがア〜リま〜すケッチラ! だって、健康を損なったら、労務をちゃんと提供で〜きな〜いポポ→ン。労働契約なんだから、自分勝手に一方が破棄、なんて勝手チーンなことは……」

 麻耶が腰に手を当て、仁王立ちになる。顔まで仁王のようだ。

「ぜーったいに許さんッ! ケッチラ!」

 会議室が静まり返る。

 麻耶がさらに続けた。

「人に雇われて仕事をするっていうのは、そういう約束事をきちっと守るということじゃなくって? そんなに自由がほしいなら、自分で私塾でも開けばいいんではケッチラ?」

 会議室がざわめき、一気に険悪な雰囲気になった。

「……あ、麻耶先生、そのくらいで。いや、手厳しい」

 頭をかきながら、校長が割って入る。

「えー、時間も時間ですんで、今月の安全会は」

「安全衛生委員会」

「あ、安全衛生会……委員会は、これで終了とします」

 宣言するなりため息をつく副校長。勝ち誇った顔の麻耶。

 他の教職員たちも互いにブツクサ言いながら会議室を出ていく。

「あ〜、サダっち〜」定岡に麻耶が声をかける。

 定岡はムッとした顔で無言のまま。

「さ・だ・お・か・先生〜」甘えた声で言い直す。

「なんですか。まだ用ですか」

「いんえ〜。定岡センセって、おタバコ、ちょっと前まで吸ってたんじゃ、あ〜りませんか? 最近、いかが?」

「……それがどうかしましたか」都月の目からも、定岡がギクッとしたのが分かる。

「いんえ〜。サダっち、これからどんどん健康になれまっすよ→ん☆ よ〜かったよ〜かった」

 バンザイのポーズを繰り返す麻耶を尻目に、定岡が無言で立ち去った。

「あ、麻耶先生」ターニャが声をかける。

「マーヤ」

「……マーヤ、ここもう閉めますんで、そろそろ」

「おっケッケー! ところでターニャ教頭は、おタバコは」

「それが、なかなかやめられなくて、ねえ」

 おどけた顔をするターニャを、麻耶はニコニコしながら見ていた。

「じゃあ、禁煙、がんば〜☆」

「は、わかりました」

 ターニャがニコニコしながら敬礼のポーズを取る。

 麻耶がちらりと天井裏の都月を見る。そしてスキップしながら会議室を出ていった。

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