七
「いらっしゃ〜い☆」
ニヤニヤしている麻耶の顔を見ながら、両腕を保健室の机に置く。
「マーヤ。なんですか大事な話って」
「そう、う、ふ、ふのふー。なんちてケッチラ」
またケッチラか。何なんだよもう。
「早くしてください。授業あるんで」
「それが、大変なことが」
「何ですか」
「まあまあ、そんなに緊張しないで。緊張すると理解が悪くなるんだゾイド」
なんだかムカつく。
「用が無いなら、もう帰りますよ」
「ちょ、ちょっと待っテーナちっちょリーナ」
「帰ります」
立ち上がろうとすると、麻耶が急に真面目な顔になった。
「実は、ここだけの話なんだけど。っていうか、説明が難しいんだけど」
急に空気が変わったのを察し、緊張してごくりとつばを飲み込む都月。
「……なんでしょう」
「手伝って欲しいの」
「手伝う、って、何を」
「任務を」
「に、任務!?」
「話せば長くなるので、長く話すわね。覚悟して」
「……」
「私、産業医なんだけど」
「知ってます。医者でしょ。健診とかする」
「うん。まあ、それはいいんだけどちょっと違うんだけどそれはいいんだけど」
「いいんだけど、って」
混乱する。本当。毎度わけわかんねえ。
「産業医なのは本当なんだけど」
「なのは、って、他は一体」
「いや、それは忘れて」
「ち、ちょ」
「ケッチラ」
「……」
「ご、ごめ」
「いや、いいです」
緊張して損した気分だ。
が、麻耶の表情は真剣なままだ。
「産業医は産業医なんだけど、ここに来たのには目的があって」
「目的?」
「うーん、長くなるけど」
「どうぞ、大丈夫です」
と応えながら、若干後悔していた。
「実は私、未来から来たの」
「あ、そースか」
思わず軽く返事してしまった。なるほど、未来か。そうですか。へー。
「いや、とても大事なので、一つ一つ、じっくり理解しながら聞いてね」
「はい、わかりました。で、未来がどうしたんですか?」
「うん。この時代から、うーん、四百年ほど後から来たって感じでケッチラ」
「……」
「いい?」
「あ、どうぞ続けてください」
仕方ない。聞いてやろう。医者に呼ばれたから来たわけだが、医者を呼ばねばならないんだろうか。授業はどうしよう。まあ一応学校職員との話し合いだから、授業をサボったことにはならない……はず。いや、そう祈ろう。
「それで、この時代から四百年後ね。ワームホールって知ってる?」
何となく聞いたことがある。
「ワームホール。よく知りませんがSFとかで出てくるヤツですよね」
麻耶がニカっと笑って人差し指を立てた。
「そう。そこで、ジラソリウム鉱石をワームホール特異点付近の亜空間でサラビンスキー崩壊現象を利用して高エネルギー状態の励起ジラソリウムに加工する工場があって」
「……」
「大丈夫?」
「あ、大丈夫です。続けてください」
「本当に?」
「ええ。平気です」意味のわからない説明に、どんどん気持ちが冷めていく。
「なら続けるわね。で、私はそこで産業医として働いてて」
「そう、マーヤは産業医ですからね」
「そうそう。私は産業医だから産業医として働いていて」
「はい続けてどうぞ」
「続けるけど、いいケッチラ?」
麻耶は真剣な顔のままだ。
都月は、何だか自分の態度が麻耶をバカにしているようにも感じてきた。変な罪悪感だ。
「大丈夫です。続けてください」
「それでね、十三歳から五年間そこで産業医してたんだけど、産業医の専門医を取らなきゃならなくなって」
「専門医?」
「そう。法律改正があって、高エネルギーの励起ジラソリウムを扱う工場の産業医は、産業医の専門医資格が必須になったの」
「……法律ですか」
都月は混乱していた。四百年後の未来で、亜空間で、ワームホールで、で、工場で法律で専門医? なんだかチグハグでわけが分からない。
「ごめん。わかりにくいわよね。未来のシステムなんて。で、専門医を取るには、別領域での産業医経験が必要なのよケッチラ」
「別領域?」
「そう。別領域ってのは、エネルギー工場ならサービス業や採掘場、農場、医療機関、教育機関など、って感じで、チェックするべきところや対処スタイルがガラッと変わるような職場領域のことで」
「ああ、その領域ですか」
「そう。私の場合、工場経験ばっかりだったから、他領域を選択しなきゃならないんだけど。それが、普通は三年必要なのよ」
「そうですか。それで、教育機関ってことで、ここで三年ですか」
しかし、その話がどう繋がるのか。そして、いち生徒の自分が、どう反応していいものやら。
「そう。なんだけど、場合によってはそれを短縮してくれるって言われてケッチラ」
「なんかいい加減なシステムですね」
「まあ、色々あんのよ。労働衛生とサステイナブルな社会に関する貢献度を評価し単位取得認定を行う、って。つまり、卒業試験みたいなものね。それに合格すれば、無事専門医よ」
「労働衛生……に関する貢献度って、それでわざわざ過去に?」
「そう。だって、普通のことやってたら三年かかっちゃうから」
「え、じゃあ、普通じゃないレベルのことをやりに、ここに? 確かにタイムマシン使ってまでやる、ってのは凄く普通じゃないですけど」
「マシンっていうか、半分人工のトンネルみたいなもんだけどね」
「それにしても」
「いや、時空軸置換型の亜空間トンネルなんて自然にもあるのよ。今回のは人工的に開いちゃった奴なんだけどね。実際の利用には専門知識が要ったりとか資格とか厳しい制限いろいろあるけど」
「……未来もいろいろ大変ですね」
「で、まあ、このレベルのタスクをこなして帰ったら、無事資格取得、ってことで」
「で、どんなタスクなんですか?」
少し興味が出てきた。不思議と気持ちが前のめりになりつつあった。
「それが、私の時代では、ガリアリウムの環境汚染が深刻な問題になってて」
「ガリアリウム?」
「自己組織化された増殖性の非鉄金属で」
「えっ」
「うーん、要は、『生きてる金属』なのよね」
「生きてる……」
「そう。外部からエネルギーを得た原子核反応がゆっくりと連環的に進行、物質変換してて、まるで代謝してるように見えるの。生き物みたいに。それが、近くにある別の原子……例えば窒素とか、そういったありふれた非金属物質の原子を少しずつ取り込んで元素変換し、同じ形のガリアリウムを形成したり不要物を排出したりしているのよ。それでどんどん増殖していく」
「エネルギーって、太陽光とかですか?」
「それが、さっき言った、励起ジラソリウムをカプセルに充填する過程で放射される放射光なのよ。ガリアリウムはそれを吸収してどんどん増えていくってわけよ」
「じゃあ、その工場が汚染されてるってことですか」
「そそ。ワームホール近辺にはもともとワームホールの位相エネルギーを利用するジラソリウム加工工場が沢山あるんだけど、どこもそのガリアリウム汚染問題に苦慮しているのよ。ガリアリウムは労働者に深刻な病気を発症させるけど、じゃあ工場での労働者を全部金属製のロボットにしてしまえばいいのかっていうとそういうわけにもいかなくて。ワームホールから放射されるパラリウム波が」
「……いや、いいです。とにかく、その環境汚染と、現代、この時代とどういう関係があるんですか」
「それがねケッチラ。その、最初にガリアリウムを合成して撒いた『ゲラソン』って名前のバイオリッドが居て」
「バイオリッド?」
「えーと、人工的に造られたバイオロイドと人間の間に出来たハイブリッド子孫の総称で」
「あ、いいです。大丈夫。OK。それで」
詳しく説明されればされるほど迷路に迷い込む感じだ。
「そのテロリストを県警が逮捕したんだけど、それが留置場から脱走して亜空間トンネルに飛び込んじゃったのよ」
「け、県警。ここのですか?」
「え、違う。サケタマ県警。第八ワームホールに七百八ある自治体のうちの一つよ」
うーん。なんだか未来のSFと現代の日本がゴッタ煮になっているような妙な雰囲気だ。
「で、そのゲラソンを捕まえるために、私も亜空間トンネルに飛び込んだってわけ」
捕まえる。ってことは。
「え、ひょっとして、そのテロリスト……脱走犯が、この時代にいると」
「そう! ピンポン! おおあた〜り〜☆ 賢きかな都月くんケッチラ」
麻耶が立ち上がり、目をぐるぐる回してバンザイをした。
都月は今しがたまで真剣な雰囲気だった麻耶が急に「元のマーヤ」に戻って当惑していた。
「わ、わかりました。ところで、犯人の居場所の目星はついてるんですか?」
「も〜ちろ〜んピロロン大天才」
「……」
「この学校だから」
「こ、この学校。って、え、ここ?」
「そう、ここっびよ〜ん」
「じゃあ、そのゲラソンとやらを捕まえに、この学校に潜入したんスか」
「そう、だっぴょ〜んケッチラよ」
麻耶が両手で大きく「まる」を作って腰を前後左右にぐらぐらと揺らす。
「でも、マーヤだったら、産業医とかよりも、生徒としてのほうが、馴染んで潜入しやすかったんじゃないスか? あるいは、教師とか」
「えー、だっびょん生徒は、授業を抜け出したり職員ゾオンに立ち入ったり、出来ないゲンチャラ、教師もんなら新人すんばずーと忙しくぽんばらしばらく捜査にならピャ〜イごめんとまし、産業医なら最初☆っから授業も何も関係まるまる無かろりんすか校内あらゆるところに自由自在♪に入り込んでぼん調べたりまん質問したりびん勝手に行動デッピャラぽんケッチラほーいほい、っと」
「マーヤ」
「はーい?」古代エジプトの象形文字のようなポーズを取る麻耶。
「あ、あの。いいですか」
「どうぞ〜ざんすぅ〜」
「その、なんていうか、さっきの未来の説明みたいに、普通に喋ったり落ち着いて行動とか、出来ませんか」
「出来るわよ。さっきやったじゃない」
「いや、それを続けるのは」
「出来るけど、でも、そうすると、ギャップが」
「ギャップ?」
「そうケッチラ」
「……」
「これなの」
「これ?」
「そう。今言った『ケッチラ』なの」
「ああ、マーヤ、よく言ってますよねケッチラって。なんとか〜ケッチラ! みたいに」
「っていうか、これ、ちょっと事情があって、何かを喋る時にはあるタイミングと頻度で言わないといけないの」
「なんスかそれ」
「えーと、実は私もガリアリウムに暴露してて、それに加えてワームホールで時間軸を歪めた次元位相転移したときの亜空間後遺症って奴で。適当なタイミングでこれ言わないと……」
「言わないと?」
「グネグネの不定形になっちゃう」
「えっ」
「え?」
「え、いや、グネグネの不定形って」
「あ。この時代は、人間しか居ないケッチラね」
「えー」
「あ、私もバイオリッドなの」
「そ、そうスか。あ。不定形。ぐねぐね。なるほど。OK。大丈夫です」
また表情がなくなっていくのを感じる。
「それでね。いい? ちょっと、聞いてる?」
「は、はい。聞いてます」
「こういう風に普通の会話とか振る舞いしてて、急にケッチラとか言ったら、みんな不思議がるでしょ。っていうか違和感バリバリで。って恥ずかしいし。だから、ケッチラって言ってもヘンじゃないように、『ケッチラという言葉が似合う態度と喋り方』でごまかしてんのよ言わせんな恥ずかしい」
なんだそりゃ。
「んで、さっきみたいにしばらくケッチラ言わないで喋っていると、だんだん、脳が痒くなってくるのよ。それがイエローカードね。さっきはマジな話だから、ああいう言い方しないと伝わらないかと思ってあえてケッチラ風に言うのを我慢してたの。もう、かうみそがのゆくてのゆくて。そうじゃない会話の時は、ケッチラ目立たないようにラッピョーソッチー☆バリバリンってカンジで喋るってわけ→ぼよんぼよん☆」
「……マーヤ、でもそれ、そうすると却ってすごく全体が目立つし、際立ってマジ異常なんですけど」
「そ、そう? そうかなあ。でも、やっぱり普通の会話でケッチラとか言ったら、ヘンよね」
「いや、そうでもないと思います」
「都月くんは本当にそう思いますかケッチラ?」
「……うーん」
「これではやっぱりダメでしょうケッチラ」
「うーん」
「じゃーんやっぱり〜ンンぎょっぴ☆→ってケッチラ!」
「あーそっちのほうが自然ですスミマセン」
「そうでしょう、そうでしょう」麻耶がにんまりドヤ顔で胸を張った。
都月は、もう反論するのはやめることにした。
「で、マーヤ。そんな大事なこと、俺みたいなのに言って、大丈夫っすか? 俺、単なる一般生徒ですよ」
「あ〜、だって、言わないと、きょ〜りょ〜くし〜てく〜れな〜いで〜ショ〜☆」
「俺の時は普通にしてください。大丈夫です」
「わかった。そう。都月くんを選んだのは、他でもない。実はこの作戦には、何人かの仲間と、頭脳が必要なの」
「俺、そんな頭良くないっすよ」
「都月くんの頭じゃないわ」
「……そうスか」
「えーと、この学年で一番頭良いのはケッチラ?」
都月は頭をひねった。
「うーん、いつも学年ランクでトップなのは、利根川さん……利根川智恵かな。全国模試でもランキングに載ったりするし」
「でしょ〜。その利根川智恵さんの頭脳が欲しい」
ほ、欲しいって……。
「あとは、お手伝い何人か」
「その一人が、俺っすか」
「ああ、都月くんも、その一人だけど」
都月はだんだんムカついてきた。
「なんかさっきから聞いてると、勝手に手伝いさせる気満々で。俺、協力するって、ひとことも言ってないんですけどね」
「あー、ごめんケッチラ」
麻耶が済まなそうな顔をする。
「でも、他に方法が無いの」
「無いって言っても、俺、そこまでマーヤに義理とか無いですから。あ、カツラ脱がせたこととか、もう誰に喋ってもいいッス。なんか変なこと手伝わされる位なら」
都月は下を向いてムッとした顔になる。
「そう。まあ、そうかもね……」
しばらく、麻耶は無言になった。
「ケッチラ」
「!」
「ああ、ごめんね」
「いえ、いいス」
「……都月くん。でも、これが最後の望みなの」
「最後の望みって。マーヤの資格取るのの手伝い、ってだけでしょ」
「ん、まあ、そうなんだけどね。それはそうなんだけど」
麻耶が、ちょっと言葉をつまらせてから続ける。
「ガリアリウムの環境汚染で、ってさっき説明したでしょ」
「はい」
「それで、健康被害が沢山出てるのよ」
「……まあ、だから逮捕されたんですよね、そのゲラソンとやら。逃げられちゃいましたけど」
「そう。で、その被害者の一人が、私自身って言ったでしょ」
そう言うと、麻耶は右手で自分の緑色の髪の毛を掴んで持ち上げた。
「あっ」
「大丈夫よ。こないだは急にだったから大声出したけど。これ、もう見たでしょ」
「あ、ええ、いや慌ててしまって。ちらっとしか」
眼の前にある麻耶の頭には、この前ちらりと見た大きな黒い痣があった。
その真中あたりをよく見ると、小さくデコボコしていて、真っ黒に焦げたナンの表面みたいに、触るとすぐに崩れてしまいそうだ。
「これ、大丈夫スか?」
「大丈夫じゃないのよ。これが、ガリアリウム変性症なの。ワームホールにある工場で働いてるバイオリッドから周辺に広がってる伝染病の一つ」
「ああ、これが」都月がそのデコボコ部分を触ろうとする。
「あ、感染るわよ!」
ビクっとして動きが止まる。
「なーんてね。ガリアリウム変性症はワームホール近くにいるバイオリッドにしか伝染しないわ。大丈夫よ〜ん」
「なんだよ」
「でも、触らないでね。痛いから」
「わ、分かりました」
都月はまだその変性部分を見ている。
「じっと見てても分からないと思うけど、実はまだジワジワ、進行してるのよ。これが」
「え、そうなんスか」
「真ん中あたりが、デコボコしてるでしょ。それがさらに悪化すると、そこから溶けていってしまうのケッチラ」
「溶けてって。溶けたらどうなるんスか」
「そりゃ、死んじゃうわよ。頭蓋骨を貫通して脳がダメになるもの」
サラリと言う麻耶。
「え、死んじゃうんスか……」
「そうよ」
「えーと、どのくらいで」
「うーん、半年ってとこかな。まあ、三ヶ月もすれば、ちゃんと動けなくなるだろうけど」
「三ヶ月……」
都月はしばらく次の言葉が出ず、ようやく口を開く。
「……治らないんスか?」
「うーん、今のとこ。でも、その、ガリアリウムを作ったゲラソンの記憶から作成過程を押収すれば、ガリアリウム自体を消滅させるとともに、その影響を根治できるかもしれないの。だから、今回の作戦は、資格のためでもあり、労働衛生のためでもあり、社会のためでもあり、そして私自身の命のためでもあるのよ」
「き、記憶から押収!」
「そうよ。おかしい?」きょとんとした麻耶。
「……」
でも、俺には直接関係ないよなあ。
自分と関係ない、変な未来人の命だ。今のことでもない。四百年も後の世界のこと。俺や友人はもちろん、俺の子供や孫も居ないだろう。だいたい、この話が本当なのかどうかすら、わからないじゃないか。
都月の顔をじっと見ていた麻耶は、察したように口を開いた。
「ごめんね。都月くんには直接関係ない話よね。でも」
一瞬言葉を飲み込む。
「でも?」
「……でも、都月くん。やっぱり、過去と未来って、いろいろ繋がってるの。どうして都月くんに声を掛けたのか、ってのも、実は」
そこまで言うと、麻耶は口をつぐんでしまった。
「ごめん。また、時期がきたら教えるケッチラよ」
そう言うと、麻耶は図書室を出ていってしまった。
残された都月の脳裏からは、普段はおちゃらけている麻耶の真剣な顔が離れなかった。
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