「ツッキー、今学期の保健委員だったよね。何か知ってないかと思って」

 月曜の朝。クラスミーティングの前に桜木が声をかけてきた。

「なんかさ、岸島くん、ヘンなのよ」

 みゆちゃん、心配顔が尚更、ああ可愛い。

「ツッキー聞いてる?」

「あ、おう。ヘンって、だいたいキッシーしばらく学校来てないじゃん」

「休んでるから心配で、ちょっと家に見に行ってみたの」

「あ、桜木さんってキッシーの近所だったっけ」

「家も近くだし幼稚園から小中と一緒で、幼馴染なんだよね。よく遊んだし、向こうの親とも知り合いだし」

「おー。そうだったっけ」

 なんだか軽く嫉妬を覚えた。

「でね、家に行ったら岸島くん出てきたんだけど、雰囲気ガラッと変わっちゃって」

「こないだは学ラン濡れちゃって、私服だったけどな」

「そうじゃなくて」

 ヤベ。みゆちゃんイライラしてるみたいに見える。焦る。

「岸島くん、玄関に出てきたんだけど、なんかやつれた感じで、なのに目がギラギラしてて。どうしたの、って言ったら『大丈夫』って言うんだけど、なんかね」

「やつれてる?」

「そう。って言っても、病気って感じじゃないのよ。話してても、元気そうで、っていうより、早口でガンガン喋ってきて、ちょっと圧倒される感じだった」

 早口でガンガン。

 都月のイメージする普段の岸島は、だるそうに「うっせー」と言う姿だ。

 あ、そういえば……。

「い、いやそういや、こないだ、休む前な。図書室で会ったんだよ。キッシーと」

「図書室?」

「そう。似合わないよな? ってヘンかもしれんけど」

 言葉を選んで言ったつもりだったが、なかなか言いづらい。

「まあ、岸島くん、ヤンキーだもんね。昔はそんなでもなかったんだけど。中学まで真面目で、部活も野球部でピッチャーでエースだったし。高校に入ってしばらくしてから、今みたいなヤンキーになっちゃった」

「そ、そう。だからなんか図書室で本読んでるってのが似合わないな、って」

「まあ、似合わないかもね……」

 桜木の顔が緩む。

 都月は図書室での岸島の姿を思い出しながら言葉を続ける。

「っていうか、こないだのキッシーは本を『読んでる』って感じじゃなかった。物凄い勢いで本を、何ていうのか『消費してる』っていうのか、貪るように次から次へと開いていってたんだ」

「貪るように?」

「そそ。図書室の隅のほう、学術書とかあるところあるよね。あそこの難しい本を山のように積んで、それを片っ端からガンガン開いてた。もの凄いスピードで」

「え、あそこの本、あれ、誰も読まない奴。高校の勉強に飽き足らない趣味人用って感じだよね」

「そう。あんなとこに人がいるの、見たことなかった。で、そこにキッシーいて。あまりにもヘンなんで、大丈夫か? と思って声かけたら、なんか鼻血出てた」

「鼻血! そう、岸島くんと会ったときも、なんか鼻に詰め物してあって」

「また鼻血か。なんだ、どうなってるんだ?」

「それで、大丈夫? って聞いたら、大丈夫っていうから帰って来ちゃったんだけど」

「うーん、よくわからん。すまん。けど、ご両親も家にいるだろうし……」

「でも、心配で。昨日会ったときはご両親、お二人とも家に居なかったんだけど」

 桜木の表情が暗くなる。

「……なんか岸島くん、このまま居なくなっちゃうんじゃないかって、不安で」涙目になっている。

 みゆちゃん、なんだ、この心配顔は。単なる幼馴染じゃないんじゃないか?

「大丈夫だよ。多分。元気は元気だと思うんだ。まあ今日にでも様子見に行ってみるか」

「私も一緒にいく」

 びくんと桜木が姿勢を正す。そんな様子を見て、また嫉妬心が芽生える。

「オッケー。じゃあ、放課後に」

 都月の言葉を聞いて自分の机に向かって歩いていく桜木の後ろ姿を見ながら、岸島の様子を思い出す。

 図書室での様子は確かに普通じゃなかった。あれから一週間近くなるが、まだ体調が悪いのか。あの後、病院には行ったんだろうか。

 しかし俺は、いったい岸島の何を知ってるんだろう?

 自分の席に座って暗い顔をしている桜木の横顔を見ながら、都月は複雑な思いを胸にしていた。

「さ、ミーティングミーティング。みんな、席についてください〜」

 定岡の声が響く。皆が、わらわらと自席に戻る。

「えーと、今日は急な話ですが、岸島が」

 と言うと、岸島が教室に入ってきて、定岡の横に立ち、お辞儀をした。

 クラスがどよめく。

 学ランじゃない。ベージュのチノパンに紺色のチェックのネルシャツだ。髪型や表情、全体的な雰囲気が「こざっぱり」している。やつれた感じもなくなっている。凄い変わりようだ。銀色のメガネをかけていて、まるで別人だ。

 驚いて桜木のほうを見る。桜木も岸島を見ながら口をあけて驚いている。

「えー、この、みんな驚いたと思うが、私も驚いてる。それは置いといて、岸島が、引っ越すことになった」

 教室中がざわめいた。

「俺から説明させてください」岸島のはっきりした太い声に、周囲が静かになる。

「みんな、急で申し訳ない。ちょっと思うところあって、アメリカに渡ることになった。だから、クラスのみんなとは離れなきゃいけなくなってしまった」

 あ、アメリカ?

「二週間前にちょっと体調崩して、その後いろいろあって。うまく説明出来ないけど、なんか物凄く、自分の可能性を試したくなった。そしたらもう、居ても立っても居られなくなってしまった」

 岸島の目は、確固たる意思で力強く開かれ、言葉も太くはっきりと、自信に満ちている。

 しばらく静まり返っているところに、定岡が説明を加える。

「えー、今回のことも、いろいろ急で。こちらも驚いてはいるんですが、ご両親に聞いてももう話がついているようで。なんていうか、どう送り出していいか。もう混乱というか。ちなみに向こうでは、知人……お知り合い宅に居候だそうです」

 クラスにざわめきが戻ってきた。

「なので、さよならです。みんな今まで、ありがとう。先生や学校も、ありがとう。一生忘れません」

 岸島は、どこか機械的に見える挨拶をして頭を下げ、そしてゆっくりと背筋を伸ばすと、堂々と教室を出ていった。

「ってことだ。じゃあ、今日の伝達事項は、これだけだ。じゃあ続いて、数学だ。教科書を開いて、昨日の続きから」

 なめらかな筆致で黒板に数式を書き始める定岡。

 ふと都月が桜木のほうを見ると、まだ呆然としている。

〈おい、大丈夫か?〉

 都月は思わず桜木に向けてスマホでメッセージを送るが、授業が終わるまでずっと、桜木は動かないままだった。


 授業が終わってから、もう皆の頭からは岸島のことは抜けているようだった。もともと岸島はクラスに馴染まず、交友関係も少ない。クラスで接触が多めなのは、パシリの戸田くらいか。あと、幼馴染の桜木……。

 ふと振り向く。桜木は俯き、涙目だ。

 とっさに声をかけようとしたその瞬間、桜木が立ち上がり、教室の外へ駆け出ていってしまった。

「さ、桜木さん!」

 慌てて都月が廊下に出ると、そこに緑色の頭が。手に何故かハンダごてを持っている。

「どぅんどぅんどぅ〜ん。ばばばんば〜ん。ケッチラ」

「マーヤ! 桜木さんは」

「さぁ〜くらぁ〜ぎさ〜ん?」

「いや、いいです。ちょ」

 麻耶の頭越しに首を伸ばして左右を見渡すが、すでに視界に桜木の姿は無い。

 くっそー。

「おっ、やっ、おっ、やっ、都月っくーん。お気にの女子に、ボヨ逃げられちゃった?」

「う、うるさいです」

「オウオウっと☆そろそろ次の授業が始ま〜るケッチラ! クラスの問題増えちゃうと、先生ストレスぐ〜ちゃぐちゃ!」

「マーヤにストレスなんか、あるんスか!」

「私? 私じゃあ、なくってよ!」その場でバレリーナのようにクルクル回る麻耶。

「もう、いいです!」

「あーら、つっ、づっ、きっ、く〜ん。そんなこと言って」

 そう言うなり、なぜか麻耶がモジモジし始める。

「階段で」

「……」

「私の」

「……」

「髪の毛」

「……」

「ム☆リ☆ヤ☆リ〜ん」

「……わかりましたすみません」

 教室内に戻ろうとする都月を、麻耶が止める。

「つっづーきくーん☆ ちょ〜と来てほしいケッチラ」

「なんですか。授業出ないとやばいので。っていまマーヤがそう言ってたじゃないですか」

「それより大事なお話が」

「授業のほうが大事です」戻ろう。

「ぎ……」麻耶が大声を挙げかける。

「っと、すみません! なんですかもう。早くしてくださいよ」

 慌てて麻耶の口元を手で覆い、左右を見る。大丈夫。誰にも見られてない。

 麻耶がニヤリとして都月の手を払った。

「こっちっち〜 ほらほらっち〜」

 麻耶に手を引かれ、階段を降りていく。

「ちょ、転んじゃうでしょ。階段で、アブナイっすよ!」

 飛び跳ねるように階段を下りる麻耶に勢いよく引かれ、自分の足元が危うい。バランスを崩して何度か転びそうになりながら一階まで到着した頃には、肩で息をしていた。

「は……ま、マーヤ、どこ行くんスか」

「うーん、どこにしよう」

 まだ息を荒くしている都月と対照的に、麻耶は平然と周囲を見回している。どういう体力だ。

「そう、保健室ケッチラ」

「保健室って、いま誰か使って」

「使ってないわ、びよよよ〜ん☆」

 再び都月の手が走る麻耶に引かれる。よろけながら必死でついていき、保健室の前まで到着した。

「ごめんおくれ〜」

 マーヤがドアを開け、都月は室内に引っ張り込まれる。

 麻耶のほうを見ると、後ろ手に内側から鍵をかけている。えーっ。

「マーヤ! どうするんですか。いったい、何を」

「いいから」

 麻耶はさらにゆらゆらと泳ぐように奥の事務机に向かい、黒い椅子に座って手を「こっちに来い」という様にヒラヒラさせていた。

 仕方ない。

 目を離さないようにしながらゆっくりと麻耶の方に向かい、隣の回転椅子に座った。

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