第参話 されども純白の様でもあった
「こっちか」
この図書館に来てはや三日程。
靄の中を歩くのにも慣れてきた。
どうやらここに来てからというもの俺の体は疲れ知らずになったらしい。
どれだけ走り、跳び、寝なくても今のところ疲れは感じないのだ。
まぁ三日という時間もエントランスに設置された時計を見て得た情報なので100パーセント信用出来るとは限らないが。
結局あの後、少年は疎かあの女性にも会えていない。
誰とも接触出来ず思考を他人によって入れ替えては貰えないこの空間で必然的に浮かぶのはあの少年。
あれは俺とは違う人種だ。もし俺が同じ状況に陥ったとしても、”鈍い奴らが悪い”とか”あの状況で自分に出来ることは何も無かった”などと口実をでっち上げて二度と街へ戻ることはしないだろう。
今の少年には何が必要なのか。いったい何がしたいのか考える。
意味など微塵も無い単なる自己満足だが、まるでこれが俺にとって大事な事の様にも思えて不思議だった。
ふと、嫌な予感がするりと背筋をなぞる。
”このままでは、何かを失う”と直感が騒ぎ、内なる自分が発破をかけた。
時折聞こえる恐怖を紛らわす深く荒い呼吸。
間に合う。なんの根拠も無しに思った俺は駆ける。
そうして視線を向けた先には少年の姿。今まさに果物ナイフの様な小刀で己の命を絶とうと首筋目掛けて突き出した。
「うぉぉぉぉぉっ!」
突如視界に現れた俺に驚いたのだろう。
彼の視線がこちらを向き、その刃も多少速度を緩めたが、いずれとして完璧に止まる訳でも無い。
勢いに任せ少年の胸元へ飛び込んだ俺の左耳は切り刻まれる事となった。
耳から血が滴る。
少年が萎縮している様にも見えるが、今の俺にとっては関係が無い。
何より少年の目が気に食わなかった。
全てを悟り、諦めた自己解釈の目だ。
その目は鏡に映った俺自身を連想させる。
「そんな目をするなっ!」
心からそう思う。
少年は俺とは違うと思っていたのに。
まだ、己がやるべき事が見えていなくても、成し遂げるだけの力を持っていると思っていたのに。
「・・・おじさん。僕はね」
「言うなっ!」
”諦めた”だの”分かったんだ”だの、とにかく少年の口からそういった言葉を聞きたく無かった。
だってそれは、少年を俺の様な乾涸びた人間なのだと俺の中で高を括る口実になってしまう。
「大丈夫?」
俺の顔はきっとものすごく歪んでいる。
それ程に気持ちは昂り、心は言葉となって飛び出した。
「お前はもっともっともっともっともっともっともっとっ!自分に出来ることを探せっ!お前はまだ若いんだよっ!俺みたいにまだ腐っても乾涸びてもいねぇんだよっ!まだ自分のしたい事を探すだけの時間が残されてるんだからさっ!」
俺にこんな事が言えるのかは分からないが少年が俺の様になるのは確実にまだ早い。
改めて少年の顔を見ると今にも泣き出してしまいそうで何だか申し訳なくなった。
俺の突然の叱咤も時間が経てば冷めてしまうもので、場を何とも言えない空気が支配する。
年甲斐も無く興奮してしまった。
「・・・おじさん、メロスみたいだった」
「は?」
少年はとち狂ってしまったのだろうか。
「だってさ、死のうとした時あれだけ怒ったって事はさ、きっとおじさんにはメロスみたいに譲れないものがあって、それに触れちゃったからじゃないの?」
「そんなんじゃねぇよ」
俺はただまだ選ぶ時間のある奴が分かった様な顔をするのが気に食わなかっただけだ。
「そっか」
そっと頷く少年は微笑を浮かべ、俺を安心させる。
俺達は外へ出てみる事となった。
図書館の外は相変わらずの青と黒。
折れた電柱に貼り付けられた標識から確認出来る地名は全く身に覚えが無かった。
「僕ね。1人でいる間ずっと考えてた。僕は何をしたら良いのか」
「んで、自殺しようと思ったのか?」
「うん。でも、おじさんにダメだって言われてまた考え直した」
すると少年はとてとてと走りだし、俺の前までやって来る。
「ねぇ、おじさん。皆のお墓を作るからさ手伝ってよ」
俺は瓦礫を持ってくる係になった。
俺が持ってくるコンクリート片に少年が名前を刻んでゆく。
やっと全て作り終えたという時、日は沈みかけ、一列に並んだ墓標を照らしていた。
「こうして見ると壮観だな」
「うん」
「気がすんだか」
「うん。ありがとう。おじさん」
完全に日が隠れ、辺りが闇に包まれる。
突如少年の体は端の方から崩れ出す。
「おい、お前・・・」
「大丈夫だよおじさん。お迎えが来たみたい」
「何言ってるんだよ」
「おじさんはさ、自分が乾涸びたとか、腐ってるとか言ってたけどそんな事は無いよ。絶対にしっかりとした芯が通ってる。メロスみたいに信実とか、愛とかでは無いだろうけどね」
「は・・・?」
少年の姿が闇に溶けきった。
最後に見せた表情は屈託の無い笑顔。
「なんだよ。なんだってんだよ・・・」
瓦礫も彼と同じように散り散りになって消えた。
気づくと図書館の中にいて、目の前には女性の顔がある。
「上手くやってくれたらしいですね」
長い髪がこちらへ垂れ、椿の様な良い香りが鼻腔を擽るが、俺の意識はそちらへと向いてはくれない。
俺の心は意味が分からぬ不満に満たされていた。
靄の図書館 松房 @628537
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。靄の図書館の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます