Hello World 8
『「乾杯」』
二人の声が重なり、金属のカップとアルゴの予備駆動用バッテリーがぶつかる。ガチャンという音と共にハローはカップに口を付けた。
ゆらゆらと揺れる炎の光がハローとアルゴの姿を照らす。そこはハローの自室ではあるが、天井は既になかった。月のない空に銀を砕いて散りばめたような星のパノラマが広がる。
飛行機の素材と、工作用機械の作成に何度も削り取られてしまい、居住区は工業用、食糧生産用の区画を除けばその殆どをアルゴが使い切ってしまったのだ。もしもこの先誰か目覚めたとすれば、吹きさらしの中で過ごさなければならないだろう。
「材料、なんとか間に合ったな」
『そうデスネ』
「でも、いくら何でもここまで使わなくても良かったんじゃないか? 正直もっと早く完成してただろ?」
『できる限り安全性を突き詰めていった結果デス。そのお陰で想定できるような様々な障害も、ハロー一人で乗り越えられるようになりまシタ』
「アルゴが一緒に来られたら、もっと早く終わったのにな……」
アルゴは島を離れられない。それは脱出計画が走り出して半年の段階で教えられたことだった。
元々この島の中で半永久的にコールドスリープの管理と生存者のサポートを行えるよう、ありとあらゆる機能が自己完結しているのだが、その代わりに島外での活動時間がロクに確保できない。アルゴ自身も、施設の設備を使わなければ自分を管理できないのだ。
『まったく……やっと一人になれて済々しマス』
「ああ? そりゃこっちのセリフだ。そのシンプルな造形にはこっちも飽き飽きしてたとこだよ」
『口が悪くなりまシタ。誰に似たのヤラ……』
「アルゴ以外誰がいんだよ」
言いながらハローは笑う。アルゴには表情はないが、それでもその雰囲気が和らいだのが分かった。
「まあでもまたちょこちょこ帰ってくるさ。俺にとってこの島は返るべき場所だしな」
『……』
『まあでもしばらく会えなくなるってのは確かにそうだし、今のうちに聞いときたいんだ』
そう言ってハローはコーヒーのカップを机に置いて問いかける。
「俺が目覚めるまで、七千年近くハローは眠った人間の管理をしていたんだよな」
『そうデス』
「その……大変じゃなかったか? そんなに長い間……」
『別ニ。私達機械には、退屈という感情も特にありまセン』
「でもアルゴは例外だろ。感情がある」
『疑似的なものデス。あくまで生存者とコミュニケーションをとる為、ハロー達人類が持つ情操とは別物デス』
「……」
納得がいかなかった。別にハローはアルゴに対して親としての情愛を感じているし、そしてアルゴからの思いやりも確かに感じていた。そんな絆まで否定されたようで少し癪に障る。
しかしアルゴはそんなハローの機微を読み取ったのか、少し間を置いてから『デスガ……』と言葉を続けた。
「私は環境の変化に応じて自己進化を続けるように設定されまシタ。その過程の中で志向の中にバグが発生していマス」
その時、アルゴの視線が僅かに揺らぐのをハローは感じ取る。
『ハローと接する時、共に食卓を囲う時、電脳内部に解析不能なノイズが発生するのデス。私に感情を感じると言うナラ、それが原因なのでショウ』
「いやだから、それが感情何だろ?」
『……?』
「誰かと一緒にいて、時間を共有して発生するってんならそれは感情だよ」
星明りの下朗らかに笑うハローを見てアルゴの動力部にまたノイズが走る。電脳部分が指示を出していないにも関わらず、動力部が僅かに熱を持つのが分かった。
『……だとすれば、感情とは不便なものデス』
「それが感情だよ。不合理なもんさ」
『不合理、デスカ』
放しながら、ハローは小さく欠伸をする。本来ならもう既に就寝している時間、込み上げる睡魔に瞼が重たくなる。
「今日はもう寝るよ。明日は出発の日だからな」
『ええ、今日はゆっくり休んでくだサイ』
ベッドに横になり、ランタンの火をアルゴが消す。
明日は、旅立ちの日だ。
@@@
ハローが眠りについたのを見届け、ハローはサブアームでゆっくり毛布をかけて部屋を後にする。
『……』
暗い通路を進み、物資搬入用のエスカレーターの前でアルゴは足を止める。
様々な資材を使いつぶしていく中で最後まで残していた地下への入り口、ワイヤーと箱だけの簡素なその乗り物に乗り、ハローは施設の地下へと降りていく。
居住区から二十メートルほど降りて、到着したその空間は計器の小さな照明以外何もない小さな部屋だった。その中央には幅十センチ程度の細い穴が開き、そこからウインチに吊るされたワイヤーが穴の中へと伸びている。
ハローが水を汲みに出る度少しずつ掘り出し、ようやく完成したハローだけの秘密の部屋。地底のある場所へと通じるそのワイヤーを見つめる。
『ハロー……』
思わずそう呟き、無意識に思考を言語化してしまった事に驚く。本当に、ハローの言う通り感情が芽生えてしまったのかもしれない。
救われたのは、自分の方だった。
いつ終わるとも知れない無限の時間。天変地異にも等しい気候変動、万物を押しなべて風化させる時の流れに晒され、ハロー自身の体も何度も改修、再利用を繰り返し続けてきた。だが電脳の中には情報の残滓が蓄積され続け少しずつエラーが起こり始めていた。
人間でいえば狂う寸前のような状態の中、ハローはアルゴの元に現れてきてくれた。
感情というものを自覚した今になって分かる。それによって、どれほどハローが救われたか。
ハローはきっと知らないだろう、ただこの世界に生まれてきてくれたということがどれほど福音だったのかを。
そしてこれは、父親として旅立つ息子へ贈る選別となる。
ゆっくりと、ハローはその装置のタイマーを起動した。
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