Hello World 2


「いやいや、急に嵐に捕まっちゃってさ。この島を見つけて助かったよー」


 笑ってそう言いながら少女はびしょ濡れになった上着を脱いで、崩れた壁から突き出した鉄骨に引っ掛ける。

 藍色の長い髪を束ねて肩に流すその様子を見ながら、ハローは静かに考え込んでいた。

 自分以外の、それも異性を目にするのは生まれて初めてだ。それに姿形も年齢を重ねているせいか自分とはだいぶ違う。

 服装は光を照り返さないマッドな黒の士官服に、所々金色の刺繍が施されている。居住区の資料で見た空軍服に似ているように感じる。


 しかし少女本人の容姿は年齢は性別のことを差し引いても、ハローの体とはかなり異なっていた。

 腕は金属に覆われ、弾力を持っているように柔軟に指先が動いてはいるが、その手が何かに触れるたびにコツ、コツ、という硬質な音がする。そして空軍服の下のシャツにはスリットが入り、その背中からも金属の翼が生えてた。しかもそれは本人の意思を読み取って小刻みに動き、機械ではあるもののかなり生物的である。

 そして何よりも気になるのは、


 ――資料で見た女の人の胸よりもかなり大きい……。

「男の子だねー。そんなに気になる?」

「別に……」

 

 胸元を凝視しているハローに気づき、少女はおどけたように胸を隠して笑う。からかうようでいて、快活な嫌味を感じさせない笑顔だった。


 ――どうにかして揉ませてくれないかな……。

「お、真剣な顔してる……考え事?」


 首をかしげながら少女は背負っていたザックを広げ、その中からLEDランタンを取り出す。電源を入れると電球色の暖かい光が室内に広がった。


「体冷えたでしょ。コーヒー飲む? インスタントだけど」

「コーヒー?」

「飲んだことない? まあ君ぐらいの年齢で飲む子もそんなにいないか」 


 少女はザックの中からコッヘルと鉄製のケトルを取り出す。慣れた手つきで点火すると、そこに水筒の水と瓶に入った顆粒状の黒い粉末を入れ始めた。


「……?」

「な、なにさー。いいじゃない別にちょっとぐらい嗜好品詰めたって。任務中の息抜きが私の楽しみなんだから」


 初めて見る黒い何かを凝視する視線を何かと勘違いしたのか、非難するように口をとがらせる少女。そして金属製のカップにお湯を注ぎ、煮出した黒い液体をハローに渡した。


「どうぞ。私の舌に合わせたから苦いかもだけど」

「……いただきます」


 恐る恐る湯気の立つその液体に口をつける。途端、舌全体をべっとりと覆うような苦みが口中いっぱいに広がった。


「うええ……」

「ありゃあ、やっぱり苦かったか。ごめんごめん」

「なんですかこれ……苦い……」

「何ってコーヒーだよ。もしかして知らない?」

「知りません……それは資料に乗ってなかったです」

「資料?」

「大戦前の資料です」

「ありゃま……」


 この世界において人類が繁栄を謳歌していたのは、もう既に七千年以上も昔の話だ。地球の資源を搾り取りに搾り取り、寿命以外の死の可能性をすべて削り取った人類は、地球がもたらす膨大な資源を食い潰すまでにその数を膨れ上がらせ、そして限界にまで増加した人類はやがてお互いを間引き始めた。


 百億を超える数の人間達が、星一つの環境を滅ぼすほどの技術力を用いて殺しあったのだ。地球という土壌を焼き尽くすその大戦で人類のほとんどは死滅。向こう数百年は生命体の暮らすことのできる環境ではなくなってしまった。

 そうして生き残った人類は、いつか目覚めることを夢見ていつ終わるとも知れないコールドスリープに入ったのである。


「アルゴは、この島は世界中に点在するコールドスリープ施設の一つだと教えてくれました。この島だけでも数千人近くが眠っていたそうですけど、結局目覚めたのはまだ新生児だった僕だけだったみたいです」

「まあ、いつ目覚めるか分からない眠りだったからねぇ」


 何しろ地球がもう一度再生するまでどの程度時間がかかるのか誰にも分からなかったのだ。そして実際、地球にもう一度生態系が復活するまで数千年の時間を要した。その間に機械の不具合、長期間の活動停止による生体細胞の停止、地殻変動による施設の崩落、数えきれない要因によって未来を夢見て眠った人々はそのまま永遠に眠りについた。こうしてハローだけでも目覚められただけでもほとんど奇跡に近い。


「お姉さん、僕は今までこの島の外に生き残っている人なんていないと思っていました。だから今日お姉さんに出会えたことにとても驚いています」

「人じゃないけどね。私は竜だから。でもまあ人類のお友達ぐらいに思ってくれても仔細ないよ」

「この島の外に、他の人々はいるんですか?」

「そりゃあもう、たっくさんいるさぁ」

「たくさん? 百人ぐらいですか?」

「もっともっとさよ。何万、何十万って人が今も生きているよ」

「っ……」


 十万、その言葉を聞いた瞬間ハローは言葉を失う。今まで生きてきて考えてもみなかったその規模に戸惑うハローへ、少女は優しく笑いかける。


「勿論、障害も多いけどさ。大戦の二の舞にならないよう、すべての兵器は破棄。それに地球環境も千年間の間に既に人類の知るものではなくなってる。ぶっちゃけ厳しいし、疫病や天候であっさり滅ぶ可能性だってある」


 沈み込むような声音でそう言う少女。しかしそこで息を吸い、目を輝かせて笑った。


「でも、だからこそ面白い」

「……?」

「私たちは今歴史の開闢に立っている。ここから繁栄するかもう一度滅ぶか、どっちに転んだって私たちが何かを成せばそれは全て歴史に刻まれる」


 言って少女は、ハローの頭を撫でた。


「少年が生まれたこの時代はきっと一番楽しいよ。たくさんの人がいて、数えきれないほどの栄光がそこら中を闊歩してる。どこへだって何にだってなれる」


 胸がざわついた。経験したことのない感覚に心臓が昂ぶる。ずっと考えもしなかったはるか先の景色に何かが熱くなる。


「お、そろそろ雨が上がったみたいだね。見てごらん」


 少女が顔を上げると、いつの間にか雨風は止んで雲の切れ間からは光が差し込んでいた。うーんと伸びをして、少女はザックの中に荷物を片し始める。


「もう行くんですか?」

「そうだね。さっさと都市に戻らないと」

「僕も連れて行ってください」

「ほ?」


 驚いて口を開ける少女の顔を真剣に眺める。冗談で言っているわけではないということを感じ取ったのか、少女は少しだけ笑い、えいっとチョップをハローの頭に落とした。


「いてっ」

「生意気言うんじゃないの。ここには家族だっているんだし、勝手に出ていったら心配するでしょ」

「でも……」

「来るんならいつか自力で。ね?」

「……わかりました」

「よしっ。そんじゃあ行くか」


 ザックを背負いコンクリートの軒先から出る少女。雨上がりの濡れた廃墟に照らされる夕日がトパーズの様に輝く中、少女はハローのほうを向いた。


「アイオライト。それが私の名前よ。いつかこの島から出て都市にまでやってこられたなら、その名前を探しなさい」

「お姉さん……」

「大丈夫。次もきっと仲良くなれるから」

「次……?」


 ハローが聞き返そうとしたその時、再び眩い藍色の閃光が辺りを包んだ。

目を焼くその光を腕で防ぎ、ゆっくりと目を開くとすでに底にアイオライトの姿はなく、はるか上空には翼を広げる一頭の竜の姿が見えた。


「行っちゃった……」


 足をかばいながら空を見上げ、アイオライトの姿を見送るハロー。その時、数メートル先で瓦礫が小さく崩れる音と共に現れた存在に気付いた。


「アルゴ! ったいたたたた!」 


 思わず駆け寄ろうとして足の痛みにうずくまる。そんなハローの前にそれは小さな稼働音を立てて静かに着地した。

 直径六十センチほどの球体に、中央に据えられたカメラレンズ。株からは三脚のような足が伸び、凹凸だらけの舗装路を三本の足で器用に体を支えている。

 アルゴ。この島でハローの世話をしているコールドスリープ施設管理用のAIロボットである。


「探しに来てくれたんだね、ごめんよアルゴ」


 非難するようにじっとハローの顔を覗き込むアルゴに苦笑いをしながら言い、そして海の向こうに沈む夕焼けを見る。


「ねえアルゴ。もう勝手なことはしない、だから今度は協力してほしいんだ」


 そう言ってハローは海の向こうを指さした。


「僕は、この島の外を見てみたいんだ」

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