第38話 守りたいもののために
「わかった」
クロイスは剣を頭上に構える。柄をこれ以上ないくらいキツく握りしめ、差し出された彼女の首に狙いを定める。震えが止まらず、なかなか剣を振り下ろせない。
溢れ出る気持ちをすべて心に閉じ込めた。考えることをやめ、頭を真っ白にする。ただ全力で剣を振り下ろす。それだけを身体に命じる。
「っ――――」
カッと目を見開き、勢いのままに腕を振り下ろそうとした刹那、視界の端から飛び出てきた何かがソフィアの上に覆い被さった。
「やはり駄目です!」
セラリアだ。ソフィアに抱きつき、嗚咽を漏らす。
「こんなの、間違ってます。誰かを犠牲にしなきゃいけないなんておかしいです。それで勝ったって、世界を救えたって、私はちっとも嬉しくありません」
まるで子供がだだをこねるように、彼女は泣き叫んだ。
「世界なんてどうでもいい! 私は、みんなとここを出たい!」
「セラリア…………」
無事な方の手で、ソフィアは彼女の背中をさすった。
「ありがとう。だが……」
「生きて出られたら、いくらでも抱かせてあげます」
「なっ、それをここで言うとは。ずるい女性だ」
「ずるくてもいいです。いいですから…………」
泣き叫び、必死に抗うセラリアの姿を見せつけられて、クロイスは頭を鈍器で殴られたような気分だった。心底、自分の弱さに反吐が出た。
守りたかったものを自分で奪ってどうする。
震えは止まり、剣をゆっくりと降ろした。強く握り続けたせいで感覚のなくなった指から剣が滑り落ち、地面に乾いた音を立てた。
「クロイス…………」
涙で真っ赤に腫らした目と目が合った。気恥ずかしくなって、苦笑しながら顔を逸らす。
「馬鹿だな、君たちは。ここで心中だぞ」
ソフィアの呆れた笑い声に、セラリアはブンブンと頭がもげそうなほど首を振った。
「まだ、何か手はあるはずです。みんなで生き残る方法が、きっと!」
希望的観測だ。手などもう思いつきやしない。それでも、仲間を犠牲にするよりは気分が楽だった。
別に世界が救いたいわけじゃない。勇者になりたいわけでもない。
まだ短い時間しか過ごしていない彼らだが、背中を、命を預け合った仲だ。そんな彼らと一緒にいたいと思う。唯一、妹のことが気がかりだが、金は残してきた。櫛の代金以外は丸々木箱に入れて、アイリスに渡してある。自分が生きて帰らなければ、それを開けるだろう。ふがいない兄をどうか許して欲しい。
「これは傑作ですね」
大きな笑い声が響く。司祭が腹を抱えて悶えていた。
「いやあ、素晴らしい仲良しごっこです。勝ちを捨て、取るに足らない命を選ぶとは」
――もっとも。そう言って、司祭は邪悪に口を歪める。
「そこにある神器はすべて偽物。誰かを犠牲にしたところで、発動などしませんけどね」
「そんな……まさか、私たちを殺し合わせるために、わざと取りに行かせたんですか?」
怒りをあらわにするセラリア。そんな彼女を嘲笑うように、司祭は両の手を広げた。
「あともう少しだったのですが。惜しかったですね」
「許せない!」
「感情だけではどうにもなりません。あなたたちに勝ち目など残っていないのですから」
悔しげに唇を噛み、セラリアは司祭を睨み付ける。彼女だけではない。今、ここにいる全員が同じ気持ちだった。
セラリアがいなかったら、クロイスは間違いなくソフィアを殺していた。そして、自らの行いが、ソフィアの覚悟が、無意味だったことを知り、後悔と罪悪感で押し潰されていただろう。
ただ、司祭の発言はもっともだった。唯一の望みである神器が使えない。ハーレットたちでさえ勝てなかった相手に、どうやって立ち向かえばいい。考えても考えても思いつかない。
――たった一つの愚策を除いて。
人型魔人の群を壊滅させた力。そこにハーレットの力が加われば勝てるのではないか。
だが、仮に勝てたとして、その後はどうする。制御できない強大な力が次に襲うのは仲間たちだ。今度こそ殺してしまうかもしれない。
怖かった。ソフィアへ剣を向けたときよりも手が震える。
仲間たちだけのことではない。これからすることは死者への冒涜だ。到底、許されることではないだろう。勇者としてはあるまじき行為。
何より、自我を失うことが恐ろしい。あのときはセラリアのおかげで戻ることができた。しかし、次もそうなるとは限らない。自分が自分でなくなる。それは死ぬことと同じだ。死体の山頂にいたもう一人の自分に刺された胸が、傷もないのに痛む。
「さて、もう終わりにしましょう。これでこの国から勇者が生まれることはない」
もはや時間の猶予はなかった。苦渋に顔を歪める仲間たち。有用な策は見つからなかった。
だから、クロイスは諦めた。
――自分を。
「もし、僕が正気に戻らなかったら……殺して欲しい」
クロイスは仲間たちを振り返って、そう告げた。
「何を言って――」
怪訝な表情をしていたセラリアが、はっと息をのむ。
「まさか、喰鬼の力を……」
「それしかない」
「駄目です! 危険すぎます」
「なら、他に策はあるか?」
セラリアは押し黙った。あるはずがない。あればとっくに提案しているはずだ。
「でも……」
「本気か?」
頷くと、ソフィアはこちらを強く睨んだ。
「私は貴様のように迷わない。確実に殺す」
「それでいい」
「…………わかった」
「ソフィー!」
「俺は反対だぜ、って言いたかったんだけどな。悔しいが、俺の力じゃ太刀打ちできねえ。……絶対に戻ってこいよ」
「ヒエラルドまで……」
最後の望みとばかりに、セラリアはプランに目を向ける。だが、彼女は頭を振ってため息を吐いた。
「私たちが苦労して正気に戻してあげたっていうのに。次は知らないからね」
「悪い」
「ばか」
「ああ」
クロイスはセラリアに向き直る。彼女は眼差しを伏せ、胸に手をあてている。不安げな表情が、やがて顔を上げた。
「私は嫌です」
当然だろう。彼女は死ぬ思いをした。それが繰り返されることを許容できないのも頷ける。
「だから、もしものときは僕を――」
「それが嫌なんです!」
ポロポロと涙を流す彼女は、ゆっくりとクロイスに身を預け、その胸に顔を埋めた。
「ごめんなさい。私がもっと強ければ。クロイスにだけ辛い思いをさせずに済んだのに」
「セラリア……」
「私は反対です。でも――」
セラリアがそのまま顔を上げた。
間近に迫る濡れた瞳。クロイスは目を逸らさなかった。最後になるかもしれない彼女の姿をその目に焼き付けるように。
「それでも行くのなら、絶対に戻ってくるって約束してください。それで、一緒にここを出るんです」
彼女の願いに、クロイスの決意は簡単に揺らぎそうになる。この絶望的な状況の中で、自分が生きて迷宮を出られるとは思えない。許されるなら逃げ出したい。セラリアの手を引いて、一緒に。
そんな夢物語は、ここにない。
奇跡など起こらない。
助けてくれる誰かなど存在しない。
だから、やるしかないのだ。
たとえ、自分の未来がここで奪われるとしても。それ以外のものは何も奪わせない。必要なら運命だって食い殺してみせる。
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