第37話 生け贄
「マジかよ。あいつら、やっちまったぜ」
ヒエラルドは歓喜の声を上げる。一人の尊い犠牲を払ったものの、彼らは見事魔人を打ち倒した。クロイスを含め、みながその勇姿に感動していた。次は自分たちの番だということに、このときばかりは思い至ることなく、彼らを賞賛していた。
その声に混じって、一つの呻き声が響いた。
「フレアス?」
ハーレットが呼んだ先には、投擲した槍を回収していたフレアスがいた。その胸の中心を黒い線が貫いており、辿ると煙の中へ続いている。
「まさか……」
ハーレットの言葉を引き継ぐように、煙が晴れ、傷だらけの司祭が現れる。片腕をなくし、至る所から血を流している。それでも生きて立ち上がっていた。先ほどまでは二本だった闇背は一本しかない。
「やられました。防御に使った闇背を一本丸ごと持っていかれたことには驚きましたよ。あなたたちを嘗めていたことは認めましょう。ですが、一本あれば十分です」
司祭は失った方の肩に手をあてる。その部分を光が覆い、すぐに欠損したはずの腕が元通りになった。同時に全身の修復が始まり、あちこちの傷が塞がっていく。
「させるかよおおおおっ!」
「待て! ガンガロ!」
司祭の眼前まで迫ったガンガロが大剣を振り下ろす。硬質な音が弾け、大剣と闇背が拮抗する。闇背を封じたものの、彼らには次の手がなかった。ハーレットは力を使い果たしており、フレアスは倒れ伏して沈黙していた。おそらく息はない。
かざされた司祭の手。ガンガロが逃れようとするも間に合わなかった。煉獄の炎がガンガロの身体を包み込み、その身を焼き尽くす。絶叫はすぐに消え、黒焦げになった人型の炭だけが残った。それも崩れて地面に黒い山を作る。
「そんな……」
それは次期勇者と呼ばれた男が発する最期の絶望だった。
金色の鎧を黒い線が貫く。それは彼の心臓を捉えていた。
「くろ、いす…………」
揺れる瞳と伸ばされた手。
「たの、ん………………」
続く言葉はなく、代わりに彼の身体がくずおれた。
「こんな、ことって……」
セラリアの嘆きには、諦めの感情が交じっていた。圧倒的な強さ。それをまざまざと見せつけられ、戦意を保つことの方が難しい。
「これ、もう勝ち目なくない?」
苦笑を引きつらせ、震える声でプランが言った。
ハーレットたちですら勝てなかった相手に、格下の自分たちが勝てるはずがない。実力差を覆すだけの強力な何かがない限り――。
「――ある」
「え?」
プランの視線がクロイスへ向けられる。
「神器だ」
「その手があったか!」
幸い、神器の収められている部屋はクロイスたちの近くにある。問題はそれを取りに行く間、司祭を押さえておかなければならないことだ。だが、それもあっけなく解決した。
「構いませんよ。取ってくるといい。何を使ったところで私に勝てはしないのですから。無駄なことです」
この場面で妨害しないのは明らかにおかしい。あの部屋に罠が仕掛けられている可能性があった。だが、現状を打破するためには神器にすがるしかない。
「私が取ってくる」
名乗り出たのはプランだ。
「罠があったらどうするんだよ」
「次の人が罠を作動させないように取ればいいだけだよ」
「何言って……」
「この中で一番戦力にならないのは私だから」
死んでも問題ない。彼女はそう言っているのだ。
反論しようとするクロイスとセラリアを、彼女はにこやかに笑って黙らせる。
「安心して! 私だって死ぬ気はないから。これでも盗賊だよ? 罠くらいへっちゃら」
行くなとは言えなかった。誰かが行かなければならないのだ。仮に罠が仕掛けられていたとして、確かに適任なのは彼女だった。クロイスが行ったところで、罠を見破ることはできない。
走り去るプランを背に、クロイスたちは司祭に対峙する。細かな動作さえも見逃さないように目を配らせるが、司祭はその場で瞑想し始め、身動き一つしない。
そのまま時間が経ち、プランが戻ってきた。腕いっぱいに抱えてきたのは四つのキューブ。澄んだ翡翠色が神聖さを醸し出す。
「大丈夫だったのか?」
「あ、うん。何も仕掛けられてなかったんだよね。拍子抜けって感じ。そっちも?」
「ああ。司祭はまったく動かなかった」
こうしている間も襲ってくる気配はない。今がチャンスだ。ただ、どうしても不安が拭えなかった。神器を使う機会を与えるのは、それでも負けない確信があるからだろうか。果たして一介の魔人が、魔王を倒しうる武器を上回ることがありうるのか。
あるいは、もっと別の何か。クロイスたちが神器を手にしても、自らの優位が変わらないことを知っているとか。
クロイスはハッとした。勝てるかもしれないという可能性にばかり浮き足だって、肝心なことを忘れていた。
「これ、何も起きないぜ?」
首を傾げるヒエラルド。それも当然だった。
――今、ここに勇者候補は何人いる?
仲間たちも気づき始め、その顔が絶望に塗られていく。
「マジかよ。そういうことかよ。四人じゃないから発動しないのかよ」
国王の言っていた神器の発動条件は、最後の四人になること。五人残った際には、一人が死ぬまで決して終わらなかったという。
幸か不幸か、クロイスたちは全員が生き残った。生き残ってしまった。
つまり、この中の誰かが死ななければならない。
誰かを犠牲にしなければ、この窮地を脱する希望さえ手にすることができないのだ。
「どうしました? 早く使わないのですか?」
このことを分かっていたのだろう。司祭は楽しんでいる様子で口元を緩めた。
「せっかくのチャンスを棒に振るうのですか? もう待ってあげられませんよ」
「黙ってろクソやろう!」
焦りの滲んだ声でヒエラルドが怒鳴る。
このままではまずい。だが、どうしようもなかった。神器を使わないで戦うなど自殺行為。誰もがそう実感している。
だが、誰かを犠牲に選ぶことのできる者は、このパーティーにいなかった。普段なら真っ先に男を指さすだろうソフィアでさえ、深く考えるように押し黙っていた。
だから、重苦しい空気の中で誰かが名乗りを上げるまでにそう時間はかからなかった。
「私が死のう」
「ソフィー……」
「この通り、神器があったところで私はもう戦えない。足手まといになるくらいなら、死んだ方がマシだ」
反対も賛成も、誰も口にできなかった。おそらくは全員が考えていた。
――誰を犠牲にするのが最も被害が少ないか。
そうして全員が同じ結論に至っていたに違いない。この先、ソフィアの力があった方が助かるのは事実だ。しかし、それはここを無事に出られたらの話。魔人を倒せないことには未来などない。
だから、今、この状況で使える人員を残さなければならない。少しでも戦闘力を上げるために。
気分は最悪だった。こんなことを考えたくはなかった。痛ましいみんなの表情が、それを切に訴えている。
「すまないが、頼みがある。――クロイス」
初めてソフィアから名前を呼ばれた。だが、ちっとも嬉しくなかった。彼女が言おうとしていることを、表情から察してしまったからだ。
「私を殺してくれ」
――どうして僕なんだよ。
そんなこと言えなかった。拒否すれば、その役目は他の誰かに回る。仲間を殺したことは、きっとこの先、呪いとなって永遠に心を蝕み続ける。その罪を背負うなら、自分が適任だろうとクロイスは思っていた。
セラリアの純真さでは決して背負いきれない。お人好しなヒエラルドでも無理だ。プランならできるだろうが、もうこれ以上、彼女に辛い思いをして欲しくなかった。
何より、クロイスにはすでに償いきれない罪がある。いくつもの命を無残に奪い、一度はパーティーを自らの手で壊しかけた。すでに身も心も穢れている。
クロイスは彼女の剣を拾い上げ、その前に立った。
「いいんだな?」
「ああ。惜しむらくはセラリアとプランを抱くことができなかったことか。私だけのハーレムが……」
わざと茶化してくれている。彼女なりの気遣いに、切なさがこみ上げる。
「セラリアとプランに手を出してみろ。呪って出てやるからな」
「むしろ出てくれ……」
手の震えが声にまで伝わってしまう。これ以上言葉を続ければ、迷いで腕が動かなくなる。それを察したのだろう。ソフィアはクロイスを真っ直ぐに見上げた。
「――――あとは頼んだ」
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