第36話 この命に替えてでも
「えっ――」
引き抜かれ、傷口から鮮血が舞う。
「いけませんね。殺気がダダ漏れですよ。それでは私を騙すことなどできません」
膝からくずおれるクロイス。その身体を司祭の蹴りが打ち抜いた。勢いよく飛んだ身体はボールのように地面を跳ね、血をまき散らす。
「残念でなりません……。私は本当に誘っただけなのですが。愚かですね。先ほど語ったことはすべて真実です。誰からも理解されることのない、恐れられ忌み嫌われるだけの地獄しか待っていない。先人たちがそうであったように」
闇背をムチのようにしならせ、風を切る。
「もう終わりにしましょう」
真っ先に反応したのはハーレットだった。
「前に障壁を!」
声と同時にエイレンが自らのパーティーを守る障壁を展開する。すでにクロイスのところへ駆け寄っていたセラリアも障壁の展開を始めた。間を置かずヒエラルドたちが合流するも、障壁が現れる前に司祭の闇背が襲いかかる。
地に這いつくばるクロイスを庇って立ったため、黒帯は無防備なセラリアへ一直線に迫った。障壁以外に彼女が防ぐ手段はなく、避けるほどの身体能力もない。そもそも闇背を目で追うことすら困難だった。
だが、彼女の身体が串刺しになることはなかった。
ここには彼女を守る騎士がいる。
「ソフィー!」
剣を逆手に構え、正面に突き出したソフィア。そこに薄い膜が現れ、黒帯の刺突を防いでいた。
「そこの馬鹿の治療を急げ!」
防御はソフィアに任せ、セラリアはクロイスの傍らに膝をついた。
「本当に行ってしまうのかと思いました……よかった」
唇を震わせるセラリアの、今にも泣き出しそうな顔を見てクロイスは後悔した。作戦とはいえ、裏切る演技などすべきではなかった。もっとも敵にはバレバレだったので大失敗だが。
「仲間がいるなんて言われたって、自分が喰鬼だって知ったのついさっきだし、会いたいなんてこれっぽっちも思わなかった」
それ以前に行けない理由があった。
自分が喰鬼であるということは、妹のアイリスもそうである可能性が高い。仮に敵に降ったとして、アイリスも連れて行くことになる。そうしたら妹も戦わなければならなくなる。そんな未来は願い下げだった。
それと――。
「クロイスの仲間は私たちです」
少しだけ照れくさそうに、セラリアは言った。奇しくも自分が口にしようとしていたことと同じで、クロイスは反応が遅れた。
「……ああ」
心の底から、自分で言わなくてよかったと思った。聞いているこちらが恥ずかしさに悶えそうだったからだ。だが、湧き上がる感情はそれだけではなかった。温かい。不思議とその言葉は心地よかった。
「同時に相手をするのは面倒ですね。先にあなたたちを倒すべきでしょう。というわけで――」
ハーレットたちを捉えていた眼光がクロイスたちへ向けられる。
「あなたたちには、そこで大人しくしていてもらいましょうか」
闇背での攻撃を継続したまま、司祭は腕を頭上にかざした。その手のひらへ赤い点が灯り、渦を巻きながら広がっていく。瞬く間に司祭の背丈より大きな業火の塊に成長し、灼熱が空気を揺らす。
火球は一直線にソフィアへ降りかかった。彼女の生み出した膜の盾が受け止めるが、高熱に耐えきれずに燃え始める。あっという間に膜が消失し、業火が彼らを焼き払った。
肌を焼くような熱の中で、クロイスは周囲を見回した。同じように地面に這いつくばる仲間たち。体中に火傷を負いながらも、何とか全員が生きていた。辛うじてセラリアの障壁が間に合い、威力を減衰させたのだ。
ただ、先頭に立っていたソフィアは重傷だった。整った顔の右半分が焼け爛れ、血が流れ出ていた。右腕は肩口まで鎧も布も消失し、黒焦げだ。もはや剣を握ることはできまい。
フラフラの足取りで向かったセラリアは悲痛に顔を歪める。回復魔法をかけるが、明らかに治癒の速度が遅かった。
「強力な呪い……私の魔法では焼け石に水です……」
「ありがとう、セラリア。痛みは和らいだ」
起き上がろうとする彼女をセラリアは押しとどめた。
「その傷では、もう……」
「ははは、確かにこれでは足手まといだな」
気丈に振る舞っているが、苦痛を我慢していることは顔に浮かぶ汗で明らかだ。
「私は後回しでいい」
それが最適解だとわかってはいても、セラリアはすぐに動けなかった。
司祭の言うとおり、クロイスたちは為す術なく沈黙するしかなかった。体勢を立て直すことすらもままならない。
司祭はそんなクロイスたちに目も向けず、ハーレットたちへ攻撃を仕掛けていた。
その戦いの苛烈さに、クロイスは自らの弱さを嘆いた。ハーレットたちの動きが先ほどまでとは明らかに違っていた。洗練された連携。テンポの速い連撃。クロイスたちがいかに足手まといだったかがわかる。最初からあの四人で戦っていれば、互角以上に渡り合えたのではないかと思わせるほどだ。
前線で戦う三人が目立つが、それを支えているのがエイレンであることを、俯瞰している今だからこそ気づく。回復、防御、支援。数々の魔法を適切なタイミングで発動し、ときには自らも攻撃に参加して敵の隙を作り出す。まさに万能の魔法使いと呼べる彼女によって、ハーレットたちの戦闘力が底上げされている。もちろん、前衛の一人ひとりの地力が高いからこそ、魔人を相手に渡り合えているのは間違いない。
だが、それでも足りなかった。
最初に倒れたのは、やはりエイレンだった。闇背による縦横無尽の攻撃が隻腕のハーレットに集中し、みなが彼のサポートに回った。伸縮自在な黒帯に加え、強力な魔法。多彩な攻撃に紛れて地中を進む一本の黒帯の存在に気づく者はいなかったのだ。
足元から突き出した黒帯にエイレンが反応できたのは奇跡に近い。だが、それでも間に合わず腹部を貫かれ、そのまま投げ飛ばされた。
もの凄い勢いで石壁に叩きつけられた彼女は壁面に血の大輪を咲かせ、地面に崩れ落ちる。広がり続ける血だまりの中で、彼女が立ち上がることはなかった。
仲間の死に、ハーレットたちは目を尖らせる。剣呑な雰囲気を纏うものの、怒りに身を任せて突撃する者はいなかった。それで勝てる相手ではないことくらい分かっているのだろう。必死に自らを律しているのが見て取れる。
「可哀想に。死んだというのに、仲間に悲しんでさえ貰えないとは」
その挑発にも彼らは乗らない。
だが、その状況下でハーレットは敵から目を離し、クロイスを振り返った。
「あとは任せるよ。世界をよろしく」
「何を――」
返事を聞きもせず、彼は司祭に向き直る。そして、背後の仲間へ向けて言った。
「ごめんね。二人の命、貰っていいかな」
間髪を入れず、二人の返事が届く。
「おうよ。俺はお前さんについて行くって決めてっからな」
「同じく」
それを受けて、ハーレットは口元に笑みを浮かべる。
「ありがとう。みんなと出会えてよかった」
心の底から絞り出したような声だった。憂いの表情は即座に消え失せ、決意の双眸が司祭を射貫く。
「おやおや、それは死を覚悟した目ですね」
自在にうねる闇背を従え、司祭は穏やかな声を発する。
「その程度で勝てると思われているとは、腹立たしい限りです」
司祭の余裕が崩れる様子はない。
「そちらこそ、僕たちを嘗めて貰っては――」
ハーレットの姿が掻き消え、次の瞬間には司祭の眼前へ迫っていた。
「――困る!」
気迫とともに打ち出した一撃。だが、司祭はそれを闇背の二本で受け止めた。
「確かに先ほどより重いですが、それだけ――」
ハーレットがわずかに首を傾げると、司祭が初めて顔色を変えた。フレアスの投擲した槍がハーレットのすぐ横を通過し、司祭を捉える。
タイミングを間違えばハーレットの頭部が吹き飛んでいた。まさに命をかけた連係プレイ。それだけのことをしなければ、司祭の防御を掻い潜ることはできなかった。
しかし、それでも司祭へ致命傷を与えるには至らず、耳を消し飛ばしただけだった。司祭は槍を視界に捉えた瞬間に頭を傾げたのだ。脅威の反射神経だ。
「小賢しい手を……」
ハーレットたちの攻撃はまだ終わっていなかった。ガンガロが大剣を地面に叩きつける。それ自体は床を穿っただけに過ぎないが、そこを基点として一直線に地面が隆起した。盛り上がる頂点を割って飛び出したのは、人ほどの大きさがある岩の円錐群だ。
司祭は単純な回避では間に合わないと判断し、闇背を地面に叩きつけることで自らの身体を上へ飛ばした。だが、そこで待っていたのは光り輝く黄金の剣。
「なっ――」
「終わりだ!」
振るわれた剣から光の奔流が放たれる。それは司祭を丸ごと飲み、地面を穿った。焼けた臭いが漂い、立ち上る白煙がその威力を物語る。
「手応えはあった」
「これを食らって生きてるわきゃねえさ」
全霊を込めた会心の一撃。人間がまともに食らえば、蒸発して消し炭さえ残らないだろう。
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