第30話 君の声が聞こえる

「どうなってんだ?」


「私に聞くな! ただ、正真正銘の化け物だということだけはハッキリしている」


「クロイス! しっかりしてください!」


 駆けつけようとするセラリアを、ソフィアが止める。


 その隙をついてクロイスは地を駆けた。狙いはソフィアではなく、セラリアだった。


 自らに向けられる殺意。その発信元がクロイスであることが信じられず、セラリアは戸惑ったまま何もできなかった。


 間に割って入ったのはプランだ。全身の筋肉と骨が悲鳴を上げるが、何とか受け止めた。そのことを疑問に思いつつ、彼女は声を荒らげる。


「バカ! 何やってるの! セラリアのことも分からなくなっちゃったの? 君の大切な――」


 プランの腹部に蹴りが炸裂した。彼女の身体は幾度も地を跳ね、岩壁にぶつかって止まる。肺から空気が押し出されると同時、血を吐いた。その場に崩れ落ち、腹部を押さえながら痛みに喘ぐ。


 その間にセラリアの下へたどり着いたヒエラルドとソフィアが、クロイスに襲いかかった。不意打ちは見事に決まり、彼の身体を貫き、切り裂く。


 だが、致命傷ではない。それは二人がクロイスを殺す気でなかったためだ。


 殺さない限り、それは動き続ける。


 クロイスはソフィアの首を掴み、軽々と振り回して地面へ叩きつけた。吐血し、呼吸に喘ぐ彼女をヒエラルドへ投げつける。


 砲弾と化したソフィアを受け止めるためにヒエラルドは槍を放り捨てた。衝撃を殺して受け止めることに成功したものの、その胸部にクロイスの蹴りが突き刺さる。胸を守るプレートに助けられて命は繋いだ。しかし、衝撃はきっちり伝わっていて、後方に吹き飛ばされる。


 あっという間に三人を行動不能にしたクロイスはセラリアへ目を向ける。


 襲い来る殺意に、セラリアは逃げ出したい気持ちを堪え、その場に足を縫い付けた。彼に届くと信じて、言葉を投げかける。


「クロイス、私のこと、分かりませんか?」


 応える声はない。セラリアは一歩ずつ、すくみそうになる足を進める。クロイスを警戒させないように、敵意がないのだと示すために、杖をその場に置いた。


「ダメだ、セラリア」


 自殺行為とも言える判断に、ソフィアが声を絞り出す。だが、セラリアは無理矢理の笑顔を作って応えた。そして、また一歩距離を近づける。


「もうここに、倒すべき敵はいません。だから大丈夫ですよ」


 震えそうになる声を押さえ込んで、セラリアはできる限り優しい声色を紡ぐ。


 だが、クロイスの応えは彼女の願いを踏みにじる。


 重心を落とし、前傾姿勢になったクロイスが駆け出した。鋭い爪を引き絞り、救いたかったはずの彼女を自らの手で殺そうと肉薄する。


 仲間たちが避けろと叫ぶ。しかし、セラリアはその場から一歩も動かなかった。受け入れるよに両手を開いて見せる。


 鋭利なそれがセラリアの腹部を貫いた。鎖帷子など意にも返さない攻撃に、彼女は口から真っ赤な血を吐き出した。


「だい、じょう、ぶ……」


 後衛であるため傷を負う機会が少ない彼女にとって、耐え難い痛みだったはずだ。それでもセラリアは止まらなかった。クロイスが戦場でそうするように、自らの傷など顧みることなく、彼の背中へ開いていた腕を回す。さらに深く突き刺さる爪から血が流れ落ちる。


「みんなを、守るために……頑張って、くれたん、で、すよね」


 彼女の腕の中で、クロイスは動かなかった。まるで何かに縛り付けられたかのように、あるいは彼女を傷つけることを厭うように、その場に立ち尽くす。


 セラリアはクロイスの後頭部へ手を上げて、黒髪をゆっくりと撫でた。


「クロイスのおかげで、みんな助かりました。だから、もう大丈夫ですよ」


 そして彼女は場違いなほど穏やかな笑顔を浮かべた。


「もう自分を殺さなくていいんです」






 セラリアの声が聞こえた。


 それに重なり、いくつもの声が反響して呪詛のように意識に絡みつく。死体の山の麓からも追い出され、血の海に沈んでいく。


 身体の感覚が失われていく中で、彼女の声だけは鮮明に届いた。


 けれど、いくらあがいたところで身体は浮上しない。むしろ、暴れる度に身体が重くなっていく。


 もう駄目だ。


 諦めて伸ばしていた手を下ろそうとしたそのとき、光が血の海に飛び込んできた。大量の気泡を後ろに流しながら、それが手を伸ばしてくる。だが、もはや応える力などない。失意を胸に瞼を閉じようとすると、光が胸に飛びついた。


 錆び付いた心を溶かすように、憎しみに蝕まれた身体を禊ぐように、それは温かく沁み込んでくる。


 途端に身体が軽くなり、息苦しさを覚えた。酸素を求めて急浮上する。光はいつの間にか水上にいて、自分を待ってくれているのだと分かった。


 それに向かって、クロイスは精一杯に手を伸ばす。







 目を開くと、可愛い女の子が微笑んでいた。青みを帯びた白銀の髪には何故か朱色が差している。


 怖い夢を見ていたのだと思った。だから、彼女の顔を見て心底安堵した。けれど、どこかおかしかった。セラリアは色白だが、ここまで血の気のない白ではない。


 手に絡みつく熱に目を向ける。そこには彼女が失った赤色があった。彼女の腹部に突き刺さっているのが自らの爪だと気づいて、時がとまったように錯覚する。だが、その間も彼女からは生気が流れ落ち続けていた。


「セラ、リア……」


「…………よかった。戻ってきて、くれたん、で……す…………」


 瞼を閉じた彼女が寄りかかってきた。背中に回されていた腕がだらりと垂れ下がる。受け止めた身体は軽いはずなのに、とても重く感じた。


「セラリア? 目を覚まして」


 彼女を地面に横たえる。勝手に爪が消失して、傷口から血が噴き出した。慌てて止血を試みるが、初めてなので上手くいかない。


「そんな……そんな…………嘘だ」


 セラリアの顔が滲む。拭いても拭いても鮮明に映すことはできなかった。


「嫌だ……どうしたら……どう……」


 パニックに陥りながら周りを見回す。死で埋め尽くされた凄惨な光景の中で、蠢く影が三つ。その一つが、ゆらりゆらりと危うい足取りで歩み寄ってくる。


「プラン? どうしよう! セラリアがっ!」


 眼前まで来た彼女は急に倒れた。咄嗟にクロイスは受け止める。


「その怪我……」


「ばか……いたいっての…………」


「まさか、僕が――――うがっ」


 謝ろうと口を開くクロイスの顎に頭突きを食らわせて、プランは彼を黙らせた。言葉の代わりに、手に持つものを差し出す。生命の秘薬だ。


 飲ませろということだと思い、瓶の蓋を開けて彼女の口元へ運ぶ。だが、プランは首を横に振った。


「セラリアに」


「でも、それじゃあプランが……」


「私は、平気。……セラリアが治ったら、魔法で治して貰うから。他の二人も、そうするから」


 迷っている時間はなかった。自力で離れようとするプランの身体をそっと横たえて、セラリアの上体を起こす。青ざめた唇を優しく開け、涙が混じってしまわないように注意しながら瓶を傾けて少しずつ垂らした。


 瓶が空になっても、セラリアは目を覚まさなかった。


「そんな…………」


 セラリアの頬に手を添える。瞼はピクリとも動かない。


 涙を止める術はなかった。咽び泣きながら、クロイスは彼女を抱きしめた。


「ごめん、セラリア。僕のせいだ。僕が、僕が力を求めたから…………。弱いくせに、強くなんてなろうとしたから。僕が死ねばよかったんだ。僕が――」


「そんなこと、いわないで、ください」


 はっとして彼女を見る。薄目を開いたセラリアが、力ない笑みを浮かべていた。


「クロイスがいなかったら、私はここに、いません。それに、クロイスは、弱くないです。だってあのとき、私を助けようとしてくれたじゃないですか」


 彼女が指しているのは大黒狼に殺されかけたときのことだろう。確かに魔物に襲われていたセラリアを助けようとした。結果的には喰鬼としての力が目覚めたことで敵を倒すことができた。もし、クロイスが喰鬼でなかったら、力が目覚めなかったら、間違いなく二人とも死んでいた。だから、強いはずがない。


 クロイスの心を読んでいるかのように、セラリアは首をゆっくりと横に振って、彼の胸に手を当てた。


「私が言っているのは、心のことです。凶悪な魔物に敵うはずないのに、私を助けるために立ち向かってくれました。そのことが嬉しくて、凄く羨ましかったんです。私も、ああなりたいと思いました。だから、今度は私がクロイスを助けたかったんです」


 それに――。


 セラリアはクロイスの首元に顔を埋めて、小さな声で囁いた。


「クロイスが死んでしまったら、私はとても悲しいです」


 その言葉はクロイスの心を少し軽くした。


「ありがとう、セラリア」


 見つめると、彼女は微笑みを返した。


「もう絶対にこんなことにはならないようにする。セラリアのことは僕が守る。約束する」


「いえ……私もクロイスのことを守ります。クロイスは一人じゃありません。私も一緒に戦います」


 彼女の言葉は何よりも心強かった。セラリアがいれば、きっともう力に飲まれることはない。不思議とそんな気がした。


 もっともっと彼女の温もりを感じていたい。そう思い、彼女を再び抱き締めようとする。セラリアはほんのりと頬を染めて少し困ったような顔をしたが、抵抗はしなかった。二人の距離が縮まっていく。


「お取り込み中、悪いんだけどさ」


 飛び跳ねるような勢いで二人は声の方へ顔を向けた。満身創痍のプランがジト目でクロイスたちを見上げる。


「私たち、死ぬよ?」

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