第29話 クロイスの暴走

 頭を潰せば大所帯の統率は失われる。乱戦となればクロイスたちにも勝機はあった。だが、そこにたどり着くには人型魔物の大群をどうにかしなければならない。目的を達成するための手段を採るためには、目的を達成しなければならないというデッドロック。


「どうする?」


「ここは一度退いて――」


 ヒエラルドに答えるソフィアは歯噛みした。


 ここまでは一本道。通路は陥落しているため、事実上退路は存在しない。奈落へ飛び込む覚悟で戻ることは可能だが、たとえ命を繋ぐことができたとしても、第五層への道がなければ崩壊に巻き込まれて結局は死ぬ。


「この数相手に戦うしかねえってことか……」


 引きつった笑みを浮かべ、ヒエラルドは槍を構える。


 それと同時に、敵の親玉が声を上げた。二〇〇を超える図太い雄叫びが轟き、進軍が開始される。


「くっ、私が風で道を切り開く! その間に――」


 早口で作戦を伝えるソフィアを無視して、クロイスは地を蹴った。背中に呼び止める怒声がかけられるが、それも無視した。


 通路まで押し下げられてしまえば、数で一方的にやられる。ならば前線を上げ、広い空間で戦った方がいくらかマシだ。その先端を切り開くのは自分の方が適任だと考えた。速さと力を備えた上に個で治癒を行うことができるのはクロイスだけだ。


 単体で突攻する理由を並び立てるが、結局のところ、クロイスを突き動かすのはたった一つの衝動だった。


 ――――殺したい。


 弾丸の如く疾走するクロイスの口元に笑みが浮かぶ。それは狂喜の滲み出た殺戮者の顔。自らを襲ういくつもの刃から致命傷のみを避けて、身体中から鮮血をまき散らしながら一体目の胴を貫いた。それを振り投げて盾代わりにし、別方向からの攻撃を剣でいなして、がら空きの喉を噛み千切る。


 その光景に敵の中で動揺が広がった。すぐさま親玉が声を上げて鎮めようとするが、その間にクロイスは続けて三体を片付ける。受けた傷を癒やすために次の獲物を狩るというシンプルなサイクル。


 魔物から見ても、クロイスは紛れもない怪物だったのだろう。動揺が広がり、統率に乱れが生じた。


 それに乗じて、ようやく追いついたソフィアたちも参戦する。


 戦況がひっくり返ろうとしていた。半分を片付け、こちらは誰一人として欠けていない。


 敵味方が入り交じる戦場で弓部隊があまり機能していないことが大きかった。彼らは後ろに控えているセラリアを狙うが、彼女が作り出す光の障壁に阻まれている。


 また、コツを掴んだのかセラリアが魔法を使えているのも大きい。治癒と光の障壁のみという限定的ではあるが、ソフィアたちの傷を癒やし、障壁で敵の攻撃を防ぐことで戦況を有利に進めることを可能としていた。


 このまま攻めれば押し通れる。誰もが希望を見い出し始めたとき、一人の足が止まった。


「くそっ、こんなにきに…………」


 クロイスは額を押さえ、その場に膝をついた。敵からの攻撃によるものではない。またあの声だった。今回は聞こえるなどという生ぬるいものではない。頭蓋が割れるかと思うほど頭の中で喚いていた。


 迫っていた何とか敵を切り伏せるが、背後を取られて槍が肩を貫く。頭痛で対応が遅れ、さらに二本が身体を貫いた。傷口が燃えるような痛みを発し、頭痛も相まって意識が飛びそうになる。


「クロイス!」


 セラリアの悲鳴が聞こえる。顔を上げると、剣が迫っていた。それは自らの頭部へ真っ直ぐに振り下ろされている。


 傷を癒やすことができると言っても、頭をやられてしまえばおしまいだ。身体を貫く槍がクロイスをその場に縫い付け、避けることを許さない。


 死を直感した瞬間、クロイスの意識を黒い何かが包み込んだ。




『奪え。壊せ。殺せ』


 衝動に自我が塗り潰されていく。


「うるさい! 静かにしろ!」


 抗おうと耳を塞ぐクロイスは、周囲を取り囲まれていることに気づいた。人型魔物もいるが、彼らだけでなく他の魔物や人間も混じっている。


 はっとした。その顔ぶれには見覚えがあった。


 自分が今まで食らってきたものたち。


 彼らが呪詛のように言葉を紡ぎ続けている。声は自らの内側から発せられていた。それは奪われたものたちの怨念か。はたまたクロイスが生み出した幻想なのか。


 彼らはクロイスを押し潰すように殺到する。


「来るな! やめろ!!!」


 逃げ道はなく、彼らの中に埋もれていく。揉まれ潰され、息が詰まり、頭の中がぐちゃぐちゃになる。


 気づけば、高台に立っていた。ここから見渡す景色には何もない。荒廃した大地が続いているだけだ。


 地面が柔らかいことに気づき、俯く。それは高台ではなく、死体の山だった。悲鳴を漏らすクロイスの胸から剣が突き出た。刃を滴る自らの血に、背後から刺されたのだと理解した。


 振り返ると、そこには自分がいた。


 途端に力を失った身体が山を転がり落ちた。麓で止まり、山の一部となる。遠のく意識の中で、クロイスは視線を上げた。


 こちらを見下してくる彼は自分の声で、自分の顔で吐き捨てた。


「弱いお前はもういらない」





 クロイスは迫る刃を左手で受け、軌道を逸らした。肘辺りまで切り裂かれるが、代わりに相手の身体を引き寄せ、その肉を食らう。腕の修復を待たずに立ち上がった。


 槍が傷口を押し広げるが、構いもしない。そのまま槍を掴み、身体を回転させて振り払った。引き抜くと同時に傷が癒え、白煙を上げる身体は全快した。


「グルルゥ――――ウガアアアアアアア」


 獣の如き絶叫を上げたクロイスの目が赤く染まり、身体を黒い靄が纏う。理性を失った瞳は殺意のみをまき散らし、人型魔物の群れをでたらめに突き進んだ。手近な個体を片っ端から殺し、食らう。


 敵は数で押しとどめようとするが、クロイスは止まらない。いくら攻撃しても治癒することを学習したのか、敵は頭部を狙い始めた。だが、クロイスは直前に危機を察知してかわす。


 先ほどよりもクロイスの攻撃は雑になったが、動きは鋭く、力強くなっていた。敵を殺せればなんでもいいという戦い方で、なりふり構わず牙と爪を立てた。


 ついに群れを突き抜け、親玉の前へ躍り出た。親玉を守ろうと仕掛けてくる側近の攻撃をくぐり抜け、抵抗する間も与えずにその首を切り飛ばした。


 自らの司令塔の死を目の当たりにし、硬直した側近たちを続けて屠る。


 敗北を自覚した残党が撤退を始めるが、クロイスは許さない。背を向ける敵を次々に襲い、第五層への通路へ飛び込もうとしていた最後の一体の背中に飛びついた。


 馬人は目を見開き、逃げようと必死にあがく。馬乗りになったクロイスは獲物が怯える様を見て狂喜の笑みを浮かべた。腕に噛みつき、もぎ取る。悲痛な叫び声に酔いしれるように、クロイスは笑みを深める。


 彼は馬人を殺さないように食事をしていた。まるでショーを楽しんでいるかのように。


 馬人の目から透明な液体が流れ落ち、何かを必死に懇願しているように見えた。


「助けて欲しいのか? 殺して欲しいのか?」


 クロイスの言葉に馬人は答えない。互いに互いの言語を理解していないのだから、当然だった。何かを訴えていることは分かった。だが、弱者の願いを叶えてやるつもりは毛頭なかった。


「てめえが俺より弱いのが悪い。だから奪われるんだ」


 クロイスは馬人の頭部を掴み、無理矢理中央へ顔を向けさせた。そこには殺された勇者候補の首が掲げられている。


「自分だけ助かろうなんざ、虫がよすぎると思わねえか? あれを見ろ。てめえらがやったことだ。何されても、文句ねえよなあ?」


 馬人の足へ爪を深々と突き刺す。悲鳴を聞いて、クロイスは表情を醜く歪ませた。


「もっと苦しめ。もっと泣き叫べ。てめえがしてきたことを後悔しながら、痛みを味わいながら、絶望に蝕まれろ。ほら、もっと。もっと――」


 刃が閃き、馬人の首が飛んだ。恐怖で歪んだ顔はもう悲鳴を発さない。


 クロイスはそれを為した人物を睨み上げた。


「邪魔すんじゃねえ」


「貴様、魔物とはいえこのようなことを――」


 言い終える前にソフィアは後ろへ飛んだ。彼女の顔面スレスレを爪が通り過ぎる。声を上げようとしたソフィアだが、その間もなく迫る攻撃を剣で打ち払う。連撃を辛うじて防ぎきり、彼女は大きく距離を取った。


「何をする!」


「ひっ、があ、ぐ。殺す…………俺の邪、っ、をするや、がっ、みな、殺しだあああ。ぐが、あ、がああああああああ!」


 雄叫びを上げ、クロイスはソフィアへ突っ込んだ。振るった爪が空を切り、地面を穿つ。


 ソフィアは破壊力とその代償を見て、嫌悪を浮かべる。クロイスの腕がひしゃげ、骨が突き出ていたのだ。だが、それもすぐに修復して元通りになる。


「悍ましい力だ」


「ぐがあああああ」


 もはや言葉を紡ぐことすらできず、クロイスは自壊を伴う攻撃を繰り返した。


 ソフィアの助けにヒエラルドが加わり、二対一。

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