第28話 待ち受ける魔物の軍勢
「みんな走れ!」
後方にいたヒエラルドが血相を変えて叫んだ。彼のさらに後方からゴロゴロというずっしりとした重い音が響く。やがて視界に入ってきたそれを見て、全員が一目散に駆け出した。
通路は狭い一本道の下り坂が続いており、逃げ場がない。そんなところに巨大な岩が転がってきたなら、立ち止まることは死を意味していた。通路の寸法がちょうど岩と同じ幅と高さで、凹凸もないジャストフィット。
ソフィアは隙を見て破壊を試みるも、ヒエラルドに止められる。
「邪魔だ馬鹿者!」
「これラッシュ鉱石だぜ? 壊せねえって」
聞くなり早々に諦めて走るソフィア。荒く息を吐きながら、なんとかみんなについて行くセラリアが聞きたそうな目をしていたので、ソフィアは彼女を強引に抱き上げて説明する。
「ラッシュ鉱石は最上級の硬度を持つ鉱石だ。一級の戦士であれば、それで作られた鎧は必須級のアイテム。私のもそうだ」
セラリアがソフィアの身につけている軽鎧を眺めているのを見て、ソフィアは満足げに頬を赤らめた。
「ラッシュ鉱石は高温の炎でなければ形を崩すことさえできない。上級の炎魔法でも会得していない限り、この場で壊すことはできない」
この中で攻撃魔法を会得しているのはソフィアだけだ。その彼女が諦めるのだから、他の者に壊せるはずもない。
転がる岩と走行速度は同程度。行き止まりにならない限り潰されることはない。
しかし、ソフィアが遅れ始めた。華奢なセラリアとはいえ、人間を一人抱えて全速力で走っているのだから無理はない。プランは余裕そうだが、彼女も細身であるために手伝えそうにない。ヒエラルドは自分だけで手一杯のようだ。
仕方なくクロイスはソフィアのところまで速度を落とした。もの凄い形相で睨んでくるが、罵詈雑言は吐かれなかった。すでにそこまで余裕がないのだろう。
「俺が抱える」
「っ――――任せた」
耐えがたい屈辱だとでも言いたげに表情を顰め、セラリアを受け渡す。それでソフィアは速度を回復した。これなら問題なく逃げ切れるはずだ。
「あ、あの…………」
「顔が赤いな」
クロイスに指摘され、セラリアは自らの頬を押さえて、さらに赤くなった。
「限界だったなら、もっと早く言え」
走り疲れて赤面していると勘違いしているクロイスに、セラリアはほっと胸を撫で下ろす。
「クロイスこそ、重い私を抱えて大丈夫なんですか?」
お姫様抱っこされていることが気恥ずかしくて、それを気にしているのが自分だけだということがさらに感情を押し上げて、気を紛らわせようと口にする。
「は? 軽いぞ」
「そ、そうです、か……」
デリカシーに欠けるクロイスのことだから、てっきり重いと言うのだと思っていたセラリア。文句の一つや二つ言えれば気持ちを切り替えることができたかもしれないのに、その一言が彼女の感情をかき立てる。
「よかったです」
「そんな風に笑えるならまだ大丈夫か」
「っ――――」
セラリアは緩んでいた口元を急いで引き締める。こんなときに嬉しいだなんて思っている自分を恥じつつ、それでもやはり喜んでしまう乙女心。
この超至近距離になった機会に、仲を完全修復しようと口を開きかけたセラリアだが、前方からの声に遮られる。
「行き止まりだ!」
前方に道はなかった。このままでは全員ぺしゃんこになる。
「待って! 狭いけど曲がり角になってる!」
遠目がきくのか、プランが明るい声で叫んだ。それで全員の瞳に活力が戻る。
「あと少しだぞ。全員、気張れ!」
先頭にいたプランがまず走り込み、続いてソフィア、ヒエラルドと続く。
だが、迷宮は無慈悲だ。
突如、通路が落下を始めたのだ。クロイスは咄嗟にセラリアを横道目がけて投げた。ソフィアが彼女を抱き受け、無事に難を逃れた。
残るクロイスは力の限り跳躍した。落下を続ける道を岩が駆け抜け、一瞬前までクロイスがいた場所を通過する。人間離れした跳躍力を見せたクロイスだが、あと一歩届かない。
セラリアが必死に手を伸ばす。二人の指先がわずかに触れ合うが、掴むことは叶わなかった。
「いやっ――」
彼女の表情が絶望に染まる刹那、伸ばされたクロイスの手をソフィアが掴み取った。
「重い! 自分の力で這い上がれ!」
クロイスが壁を蹴り、宙に浮いたところをソフィアが引き上げる。地面に倒れた二人。クロイスが押し倒したような形になり、痛みに顔を顰めていた両者の目が合った。
鼻先が触れ合うほどの距離に、ソフィアは女の子らしい悲鳴を上げてクロイスを突き飛ばした。
咄嗟に出たその力は強力で、クロイスは再び落ちそうになる。すかさずセラリアが彼の胴にしがみつき、プランとヒエラルドが二人を引っ張った。
「殺されるかと思った…………」
「この獣が! 貴様など死んでしまえばよかったのだ!」
顔を赤らめて叫ぶソフィアは、いつもの棘のある雰囲気とは打って変わって、いじらしかった。
クロイスが立ち上がると、彼女は過敏に反応して後ずさる。剣の柄に手を伸ばし、今にも抜き払おうとしていた。
「ソフィア、落ち着け」
「く、来るな! 来たら殺す! 殺してやるからな!」
興奮状態の彼女は何を言っても聞かないだろう。諦めてセラリアに任せようとするが、彼女の背後――さらにその奥に光るものが見えて、クロイスは地を蹴った。
「ばっ、く、来るなと言って――」
突き出された剣を、身を翻してかわし、勢いのままソフィアを突き飛ばす。頭部目がけて放たれた矢は回避が間に合わず、咄嗟に左手で受けた。邪魔なので矢をへし折り、抜き取る。鏃のついた方を矢が飛んできた方向へ投げつけると、呻き声が漏れた。
もう一体が矢をつがえ、放つ体勢に入った。射線上にいるソフィアは地べたに座り込んだまま状況が掴めていないようで、それに気づいていない。
クロイスが射線上に割り入ろうとするが、直感が間に合わないと告げていた。
ソフィアはようやく自分が狙われていることに気づいて回避を試みるが、遅い。矢が放たれ、目を見開く彼女の眉間へ一直線に風を切る。
「ソフィー!」
だが、その鏃がソフィアにたどり着くことはなかった。突如現れた薄く光る壁が矢を阻んだのだ。すかさずプランがナイフを投げ、敵を片付けた。
「怪我はありませんか?」
駆けつけたセラリアは息を切らしていた。まるで先ほどまで全力疾走でもしていたかのようだ。
「もしや、セラリアがあれを?」
「えっと、たぶん…………?」
発動したこと自体が奇跡だったのだろう。本人ですら自覚が曖昧だった。首を傾げるセラリアを抱き寄せて、ソフィアは自らの欲望のままに彼女をまさぐった。
「ちょ、ソフィー!」
「私のために苦手な魔法を成功させてくれたのか。私はとても嬉しい。愛してるよ、セラリア」
「へ、変なところ触らないでください!」
鼻の息を荒くして欲望に没頭するソフィアの頭をプランが叩いた。
「私というものがありながら!」
「はっ! ち、違うんだプラン! これは浮気ではない! 断じて違う!!!!」
彼女は名残惜しそうにセラリアから離れ、プランへ必死に言い訳を連ねる。
プランはソフィアから死角になるように振り向いて、クロイスにウインクして見せた。だが、当の本人は首を傾げるだけで、理解できなかった。
「嫉妬くらいしなよ……」
「何にだ?」
「もういいや……」
うんざりした表情でプランは力なく首を振った。
「何か聞こえる」
「もう、また? いい加減に――」
「俺にも聞こえるぞ」
ヒエラルドが耳に手をあてながら言った。
一同は耳を澄ませた。通路の奥から金属が擦れ合うような音が反響する。
弓を射っていたのは馬人だった。亡骸を避けながら奥へ進むと、巨大な空間に出た。向こう側に階段が見え、その先が出口だ。
だが、それを喜ぶ暇などなかった。間に立ち塞がる絶望に、全員が息をのむ。
一糸乱れぬ統率の取れた鎧を纏う軍勢。剣を、槍を、弓を武装した人型魔物の群れが、彼らの行く手を阻んでいた。馬やワニ、虎や象など様々な種類の魔物がいた。
その数、ざっと二〇〇を超える。明らかに今までとは規模の異なる敵だ。道中で戦ったのは斥候や分隊で、こちらが本隊なのだろう。
軍勢の中心に掲げられた槍。その先に突き刺さるいくつもの人間の生首は、クロイスたちの末路を暗示しているようだった。
人型魔物は剣で盾を鳴らし、槍の石突きで地面を叩き、人間には理解できない声を上げて、まるで人間のように戦いの前の詠唱を行う。それは自らを鼓舞する儀式に他ならない。
迫力に圧倒されたクロイスたちは、敗北の二文字を連想してしまう。
個々の力であればこちらに軍配が上がるだろう。しかし、この限られた空間では話が別だ。一斉に攻められれば数で押し切られる。敵もそれが分かっているのだろう。単独行動を取ろうとする個体はいない。
大群の最奥に位置する場所に、他の個体とは明らかに異なる豪奢な鎧を身に纏う兎人がいた。あれが親玉だろう。
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