第26話 己を失ってでも、強くあらねばならない

 クロイスはハルバードを両手で持ち上げると、肩に担いだ。プランをその場に残し、セラリアたちの下へ向かう。彼女に向け、秘薬を三本放った。


「時間がない。これで回復しろ」


 危なっかしくも無事に受け取ったセラリアだが、その表情は晴れない。


「クロイス……」


「早くしろ」


「っ……はい」


 ヒエラルドとソフィアにそれぞれ一本ずつ渡すと、二人はすぐにそれを飲み干した。敵意を感じ取って、クロイスはそちらへ顔を向ける。


「説明してもらおうか」


 眦を尖らせるソフィアが、クロイスに正対した。険しい表情には不信が色濃く表れている。


「いや、そもそも貴様は人間か?」


「ああ、そうだ」


「そうか。では、あれはなんだ? 人間を食っていたな。それで欠けていた腕が元に戻った。私は、あれと同じことを魔物がしているところを見たことがある」


 割って入ろうとしたセラリアをヒエラルドが止める。


「俺も聞きたい。クロイスがいなけりゃ俺たちは死んでた。だが、あんなものを見せられて、正直、いい気はしないぜ」


 クロイスはため息を吐いた。心底面倒くさそうな表情で、口を開く。


「俺は喰鬼だ」


 怪訝な表情を浮かべる二人に、セラリアが説明を行う。喰鬼という存在を知った二人は目を見開いた。


 恐怖や嫌悪など負の感情が入り交じった視線に、クロイスは舌を打った。


「喰鬼とは人格も変わるものなのか? 貴様、ゴルドレッドと同じような目をしているぞ」


「だったらどうだって言うんだ」


「私はお前がパーティーにいることに反対だ。いつ牙を剥けられるか分かったものではない」


 クロイスはハルバードの柄を握りしめる。敵意全開の彼女の瞳が心底気に入らなかった。


「別に構わない。今の戦いでお前らが俺の足を引っ張るだけだってことは分かったからな」


「なんだとっ!」


 もの凄い剣幕で剣の柄に手を掛けるソフィア。対するクロイスもハルバードを肩から降ろして構える。


「やっても構わないが、殺されても文句を言うなよ」


「上等だ。その腐った性根を叩き直してやろう!」


 一触即発の空気に耐えかねたセラリアが、二人の間に割って入る。


「二人とも、落ち着いてください。クロイスは仲間を食べたりしません! そうですよね、クロイス?」


「さあな」


「クロイス!」


 セラリアは眉根を寄せ、怒りをあらわにしていた。その真っ直ぐな瞳に耐えきれず、クロイスは顔を逸らした。


「どうしたんですか? さっきから変ですよ。以前のクロイスなら――」


 セラリアの言葉を遮り、悲鳴が届いた。


「た、助けてくれ!」


 森の方からこちらへ向かって走ってくるのは人間だ。三人とも手負いだが、傷をもろともせずに全力で駆けている。それもそのはず。彼らの後を走る化け物に捕まれば、待っているのは死なのだから。


 それは二足歩行のトカゲだった。人間より少し大きな身体もさることながら、目を引くのは顔だ。両の目玉が飛び出し、長い舌が口からだらしなく垂れ下がっている。足を踏み出す度にそれが揺れ、唾液をまき散らした。


 唾液はかかった草を溶かし、地面にくぼみを作る。あれを身体に受ければ骨すらも溶けるだろう。


 危険な魔物に警戒を強めるソフィアたち。だが、その中からクロイスが飛び出した。ハルバードを担いでいても速い。あっという間に逃げてきたパーティーとすれ違い、トカゲと戦い始める。


 近づくと、トカゲは舌を振り回して酸性の唾液をまき散らした。ステップを踏んでかわすが、避けきれなかったものが腕に付着した。それは防具の革だけでなく服、そして肉までも到達した。


 痛みに顔を顰めるクロイスだが、戦いに支障をきたすほどではない。幸い、酸が貫通することはなかった。


 トカゲがすばしっこく、跳ねるようにして移動するため、攻撃の的を絞ることが難しい。肉薄してもすぐに距離を取られる。何度か試して無理だと結論づけたクロイスは、でたらめな手段を取った。


 トカゲが唾液をまき散らす瞬間を狙って突撃したのだ。頭部に当たるのだけを避けて、他は無視した。身体中から白煙が上がり、異臭が漂う。強烈な痛みが駆け巡るが、それでも前に踏み出した。


 まさか酸の中を突き進んでくるとは思いもしなかったのだろう。トカゲの逃げるタイミングがわずかに遅れた。その身体をハルバードが両断する。


 唾液を作る器官を破壊してしまったようで、酸が辺りに飛び散った。辛うじてそれからは逃れることに成功したものの、ハルバードは刃が溶けて駄目になっていた。攻撃力はかなり落ちるが、重量があるので打撃になら使える。


 引き返す途中で、逃げてきたパーティーが待っていた。彼らは何故か笑顔を浮かべていて、クロイスの接近を許した。


「ありがとう。助かっ――」


 横薙ぎの一撃が、少年の首をへし折った。倒れたまま動かない仲間と、ハルバードを振り抜いた状態のクロイスを交互に見て、残りの少年と少女は唖然としていた。ようやく状況を理解できたのか、少年が剣を構える。


 だが、遅すぎた。少年の胸をハルバードが貫く。引き抜くのが億劫になったのか、ハルバードを振り回して少年の身体を抜き飛ばした。


 最期に残った少女が悲鳴を上げ、森の方へ駆け出した。出口の方はセラリアたちがいたから、そちらに逃げても殺されると思ったのだろう。


 しかし、結果は同じだった。少女が逃げた先にはトカゲが待ち構えていたのだ。彼女が気づくのと、トカゲが彼女の頭を口の中に入れるのとは、ほぼ同時だった。


 絶叫が響く。それはすぐに聞こえなくなった。酸で口か喉をやられたのだろう。まだ身体はあがいているから、生きてはいる。地獄のような痛みに違いない。まさに生き地獄だ。


 クロイスはハルバードを少女目がけて投擲した。風を切り一直線に進んだそれは、見事に少女ごとトカゲを貫く。地面に倒れた二つの影が起き上がることはなかった。


 ハルバードは諦め、首をへし折った方の少年が使っていた長剣を手に取る。ハルバードと比べればかなり軽いが、その分、扱いやすかった。


 続けて彼の荷物を漁るも、秘薬はなかった。他の二人も望み薄だろう。セラリアに渡した最後の一つを貰おうと立ち上がりかけたが、すぐに思い直した。


 わざわざ薬など使う必要はない。


 食らえばいいのだから。


 クロイスは少年の服を剥ぎ、その肉を食らった。遠くからソフィアの罵声が聞こえたが、気にしなかった。肉を食うことで回復できるのは喰鬼であるクロイスだけだ。だったら、貴重な回復薬や魔法は自分に使わない方がいい。その方が効率的だ。


 傷が癒えたのを確認して食事を終える。クロイス自身、人間を食うのには抵抗があった。だから必要な分だけしか口にしない。


 セラリアたちのところへ戻ると、非難の目で見られた。特にセラリアが怒り心頭に発していた。


「どうしてあんなことをしたんですか!?」


「あんなこと?」


 言ってから、セラリアが指していることに思い当たった。


「ああ、殺した理由か? 勇者候補だったからだが」


「あの人たちは助けを求めていましたし、敵意はありませんでしたよね?」


「そうだな。それで?」


「それでって……。だったら、殺す必要は――」


「あるだろ。俺たちは殺し合うためにここにいる。助ける必要なんてない。どうせ最後は殺さなきゃならないんだからな。だったら、今殺した方が手っ取り早い」


 反論してきそうな雰囲気があったので、クロイスはまくしたてる。


「もう忘れたのか? お前のせいで俺は腕を失ったんだぞ」


 セラリアの表情が凍りついた。


「お前が『殺すな』なんて言わなければ、あのときゴルドレッドを殺せてた。そうすれば、あいつらもここで死ななくて済んだはずだ」


 胸の前で握りしめる両手が震えていた。効果てきめんだ。


 後々面倒だから、今のうちに彼女の信念をへし折っておこう。


「俺がこうなったのは、お前のせいだぞ」


 セラリアは顔を俯かせ、黙り込んだ。肩が震えており、鼻をすする音が聞こえる。


 これで殺すななどと甘いことは言わなくなるだろう。そんなクロイスの思惑と相反して、顔を上げたセラリアは涙を流し、怒りのこもった目でクロイスを睨んでいた。


「そうですよ! 私のせいだって、分かってますよ!」


 急に大声を張り上げた彼女は、溢れ出す感情を抑えきれずに吐き出していく。


「だからじゃないですか。私のせいだから、私がなんとかしなきゃいけないんです。以前のクロイスに戻ってもらうために、できることをするんです」


「以前の俺……」


「そうです! 思い出してください。クロイスは私を助けてくれました。本当はとても優しい――」


「前の俺じゃ、何も守れないんだよ」


 クロイス自身、驚くほど低い声だった。だが、一度出してしまったものは戻らない。過去を変えることはできないのだから。


「お前のおかげで力を手に入れることができた。感謝してる」


「そんな……そんなこと言われても、嬉しくないです…………」


 セラリアはクロイスの胸に顔を押し当てた。


「自分を追い詰めないでください。私たちは仲間です。辛かったら、言ってください」


「問題ない。俺は――」


「だったら、どうしてそんなに辛そうな顔をしているんですか」


 はっとして、クロイスは自分の頬に触れる。そんな表情をしているつもりはなかった。無理はしていない。むしろ、今の方が思うままに動いている。


 クロイスは彼女の背に回そうとした手を止めて、華奢な肩を掴んだ。押し離して、不安そうに見上げる視線から顔を背ける。


「時間がない。早く行くぞ」


「クロイス……」


 背にかかる声に、決して振り返ることはしなかった。後ろ髪を引かれる思いを断ち切って、クロイスは出口へと足を進める。

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