第25話 血となり肉となる

 ゴルドレッドは懐から瓶を取り出した。生命の秘薬だ。飲んだそばから傷が癒えていく。仕切り直す気だろうが、それを許すほどクロイスは甘くない。


 癒えきる前に距離を詰め、右足を狙うと見せかけて左の腿を殴った。その一撃は腿の鎧を肉ごと削ぎ取った。すかさず肉を抉り、それを自らの口へ押し込む。


 でたらめに振り回されるハルバードから逃れるために飛び下がるクロイス。その隙にゴルドレッドは再び懐から瓶を取り出した。


「最後の戦いまで取っとくはずだったが、出し惜しみはしねえ。何人もの勇者候補から奪い取った生命の秘薬。何度だって俺は全快――――がはっ」


 言い終わる前にゴルドレッドは吐血した。腹部にめり込み、鎧を変形させている金棒によるものだ。


 クロイスは金棒を捨て、ゴルドレッドの左腕へ齧り付いた。苦痛に悶える叫びが響き渡る。引き剥がそうとハルバードの柄頭が叩きつけられるが、クロイスは怯まなかった。振り回されようと地面に叩きつけられようと、肉を食らい続けた。


 血相を変えたゴルドレッドが、ハルバードの刃をクロイスに向けて振り下ろす。彼はそれを避けようとせず、刃の腹に打撃を与えることで軌道を逸らした。勢いを止めること叶わず、ゴルドレッドは自らの左腕を切り落としてしまう。


「があああああああっ――」


 二の腕の断面から血をまき散らすゴルドレッド。極太の腕からの出血量は尋常ではなく、すぐに赤い水たまりができる。


 クロイスはそれを冷酷な目で見据えながら、手にぶら下げた腕に齧りつく。


 生命の秘薬を二本続けて流し込むが、ゴルドレッドの腕が治ることはなかった。断面が塞がり、出血を止めることには成功したようだ。


 巨漢は目を見開き、鼻の穴を大きく広げた。血走った目から発せられる荒れ狂う殺意。青筋を浮かべ、怒りで真っ赤になった顔で雄叫びを上げた。


 ゴルドレッドが走り出すのと、クロイスが食べ終わるのは同時だった。豪速で投げられた金棒をクロイスは掴み取り、身体を回転させることで力を減衰させた。そのまま振り下ろされたハルバードに向けてぶつける。


 轟音が弾け、両者は鍔迫り合いを演じる。


「さっきより軽いな」


「なんだとっ!」


 驚愕するゴルドレッド。


 それもそのはず。力勝負で拮抗しているのだから。


 本来であればあり得ない現象。どう考えてもクロイスの細身で筋骨隆々なゴルドレッドの一撃を防げるはずがない。現に先ほどまでは真っ向から受けることを避けていたのだ。


「ふざ――けるなあああああ!」


 火事場の馬鹿力でクロイスを押し始めたゴルドレッド。しかし、クロイスがわずかに身を引くと、ゴルドレッドはバランスを崩した。


 横へ抜け、金棒を大上段から振り下ろす。ゴルドレッドは辛うじてガントレットで受け止めた。だが、クロイスの膂力がそれごと腕をへし折った。


「がああっ」


 後退しようとするゴルドレッドのつま先を金棒で潰し、動きを封じる。悶絶する敵の肩を続けて破壊し、その肉を食い千切る。


 そこからは一方的な戦いとなった。


 ゴルドレッドは退きながら生命の秘薬を飲み、見た目上は回復していた。だが、動きに精彩を欠き、すでに打ち合いでクロイスに力負けし始めた。


「クソ! クソクソクソクソクソクソがっ! この俺が押されるなんざありえねえ! どんな卑怯な手を使いやがった! 答えろ!!!」


 怒鳴り散らすゴルドレッドに、クロイスは嘲笑を向けた。肉薄し、振り下ろされるハルバードへ金棒を振り上げる。けたたましい高音を打ち鳴らし、ハルバードが宙を舞った。


 ゴルドレッドは落ちてくる自らの獲物を見上げ、次いでクロイスに視線を移すなり血相を変えて手のひらを向けた。


「ま、待ってくれ! た、助けっ――」


 クロイスは落ちてきたハルバードを掴み取り、その勢いのままに振り下ろした。ゴルドレッドの右肩から先が地面に落ち、壮絶な叫び声とともに鮮血が噴き出した。


「そうか。この力は食った相手の力を得るんじゃない。文字通り奪い取るんだ」


 それであればゴルドレッドと力で均衡したことに説明がついた。クロイスは食う度にゴルドレッドから力を奪い取っていたのだ。増えていくクロイスに対して、減っていくゴルドレッド。


 すでにゴルドレッドは弱者となっていた。両腕をなくし、足を潰されたゴルドレッドは、ただひたすらに命乞いを繰り返していた。最初の覇気は見る影もない。


「助けて欲しいのか?」


 試しに問いかけると、巨漢は首をぶんぶんと振って泣き始めた。


「頼む! 何でもする! 俺が奪ってきたものをすべてやる! だから、俺に生命の秘薬を飲ませてくれ。懐にあるからよ」


「あと何本残ってるんだ?」


「三本だ! それさえ飲めば出血を止められる!」


 助けて貰えると思ったのか、ゴルドレッドの目にかすかな光が宿る。


 それを見て、クロイスは腹を抱えて笑い声を上げた。ゴルドレッドが引きつりながらもこちらを刺激しないように醜い愛想笑いを浮かべるものだから、それがおかしくて笑いが止まらない。


 クロイスは実感した。力こそがすべてなのだと。


 力ない者は虐げられ、何もかもを奪われる。弱者は常に強者の顔色を窺い、懇願するしかない。たとえ弱者であっても力さえ得ることができれば、強者を越えることができれば、立場は逆転する。


 奪う側でやりたい放題をしていたやつが、こうして弱者側に回った途端に態度をがらりと変えた。そのことが、おかしくてたまらなかった。


 きっと彼らは自分がしてきたことを覚えていないのだ。同じように懇願した者を嘲り、酷い仕打ちを繰り返してきたことを忘れている。


 クロイスは分かっていた。こういうやつらは信用ならないということを。助けたところで、すぐに裏切る。隙をついて強者側に舞い戻ろうとする。そのためなら、なんだってするだろう。


 だから、こんなゴミはここで始末した方が世のためだ。


 ゴルドレッドの懐から生命の秘薬を三本取り、目の前にぶら下げる。助かると思い込んでいるキラキラした目がおかしくて、たまらなく苛ついて、クロイスは秘薬の代わりに顔面へ拳を叩き込んだ。


 鼻から血を噴き出し、顔を顰めるゴルドレッドに背を向け、トドメを刺すことなく歩き出した。


「待ってくれ! 頼む! 早くしないと死んじま――」


 言葉を詰まらせたゴルドレッドの視線の先。クロイスとすれ違う形で一人の少女が向かってくる。その手にはナイフが強く握られていた。


「ありがとう」


 すれ違いざまにプランが呟く。絞り出したような声は震えていた。


 目眼前に立ったプランに、ゴルドレッドは情けない笑みを浮かべ、命乞いを試みようとする。だが、彼女の表情を見上げて無駄だと悟った。


 プランは泣いていた。憎しみの炎を瞳に滾らせ、嗚咽を堪えようと噛み締める唇から赤い筋が垂れる。唖然とした表情を向けてくる仇に対し、プランは涙声を隠そうともせずに叫んだ。


「お前は私のお父さんとお母さんを殺した! そのせいで私はずっと、ずっと辛い思いをして生きてきた! ぜんぶ、全部お前のせいだ!」


 怒りのままにナイフを振り上げたプランに、ゴルドレッドは慌てて口を開く。


「待て、待ってくれ! 誰のことだ? 俺じゃないかもしれねえ!」


「お前……この期に及んで! …………いいよ、教えてあげる」


 プランは両親と街の名、罪状を告げる。


 俺じゃない。そう言いかけたゴルドレッドだが、はっとした表情をした。


「違う! 違うんだ! 俺は命令されただけだ! あの街に潜む革命軍へ圧力をかけるために誰でもいいから見せしめに殺せってな」


「誰でもって…………じゃあ、私の両親は無実だったってこと?」


「知らねえ! あ、いや、そうだったかもしれねえ。俺はただ言われた通りに殺しただけで……」


 プランの殺気だった目に気圧されて言い直したゴルドレッドだが、その程度でプランの復讐心が収まるはずがない。


「そう……」


 プランはナイフを強く握りしめる。震える刃先が狙いを定めるようにゴルドレッドへ向いた。ゆっくりと熱を帯びた息を吐き出す。


「ようやく、ようやく終わるよ……」


 彼女は狙いを外さぬよう、両手でナイフを握りしめる。復讐を成し遂げる瞬間を噛み締めるように一歩一歩、その距離を縮めていく。


「これで、私も――」


「――バカがあああ! 死ねええええ!」


 ゴルドレッドはプラン目がけて口から赤い液体を噴き出した。それは自らの血だろう。口の中を切って溜め、目くらましに使ったのだ。そのまま巨体がプランの喉元を目がけて跳ねる。


 せめて一人でも道連れにしようという姑息な魂胆は、しかし、プラン自身の手によって打ち砕かれた。


 赤く染まった目を見開き、プランは仇敵の姿を視界に捉える。彼女は決して瞼を閉じなかったのだ。その覚悟が、ゴルドレッドの最期の悪あがきを無に帰した。


 大きく開かれた口の下、喉にナイフを向ける。あとは相手が勝手に刺さってくれた。プランはその力に耐えるだけでよかった。吹き飛ばされるくらいは覚悟していたものの、二、三歩足を下げただけで済んだ。


 その下落ぶりは、いっそ哀れですらあった。喉から止めどなく血を流しながら、ゴルドレッドは必死に何か口にしている。だが、ゴボゴボと赤い気泡が弾けるだけで、それは言葉にすらならない。


 プランがナイフを捨て、傍らに突き刺さるハルバードに手をかけた。両手で持ち上げようとするが、びくともしない。近くにいたクロイスは手を貸してやった。


「ありがとう」


「別に。さっさと復讐を遂げろ」


 クロイスに支えられながら、彼女はハルバードを頭上高く振り上げる。


「うわああああああ!」


 積年の感情をぶちまけるように、泣き叫びながら断頭の刃を落とす。地面を穿つ音とともに大きな頭が宙を舞った。それは何回か跳ね、転がって止まる。もう動くことはなかった。司令塔を失った胴体が力なく崩れ落ちる。


 血だまりが広がり、プランはその中で立ち尽くした。天井を仰ぎ、弱々しく微笑んだ。


「やったよ、お母さん、お父さん。私、二人の仇を取ったよ」

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