第4章

第18話 復讐

 静寂に包まれた森の中で、荒い息と足音がやけに大きく聞こえた。相手に自分の位置を知らせてしまう。


 だが、そんなことに気を回している余裕はなかった。足を踏み出す度に伝わる振動が、動かなくなった左肩を刺すように痛めつける。


 汗を吸ってべったりと額に張り付いた桃色の前髪を掻き上げ、プランは顔を顰めた。


「なんであれで死なないの!」


 確実にナイフを心臓へ突き刺したはずだった。しかし、あの男は生きていた。咄嗟に逃げようとしたところで左腕を掴まれ、組み伏せられた。左肩を犠牲にしてなんとか脱出し、今に至る。


 背後から聞こえる複数の足音と罵声。それが徐々に近づいていることに、プランの心が絶望に満たされていく。捕まれば殺される。いや、そんな生易しい結末では済まないだろう。


 自然と溢れ出す涙が視界を滲ませる。がくがくと震える顎を、唇を噛み締めて押さえ込む。



 どうしてこうなってしまったのだろう。


 ただ普通に生きたかっただけなのに。



 何もかもを奪われた。世界のすべてが敵だった。誰も信用できない。だから奪い続けてきた。使えるものは何でも使った。頭脳も身体も、何もかも。騙し欺き金を奪い、ときに殺した。それしか生きる術がなかった。そういう生き方しか残されていなかった。


 すべては両親を殺したあの男を殺すため。そのためだけにすべてを費やしてきた。


 それなのに――。


 たった一つの願いさえ、この世界は許してくれない。


「っ――」


 右足に強烈な痛みが走り、派手に転んだ。頬を擦りむいたが、そんなことは気にしていられなかった。


 アンカーが足を貫き、地面に突き刺さっていた。末端から後方に続くロープの先で、坊主頭の男が薄気味悪い笑みを浮かべる。


 プランは悲鳴を噛み殺し、ナイフでロープを切断する。痛みに喘ぎながらアンカーから足を引き抜いた。すぐに起き上がり、走り出そうとするが、右足がいうことを聞かない。もはや捕まるのは時間の問題。それでもプランは諦めない。


 足を引きずりながら逃げる彼女に、ようやく彼らは追いついた。その中の一人――背に巨大なハルバードを背負った巨漢がプランの足を掴み、引きずり倒した。


 彼は重厚な鎧を身に纏っているが、胸部のプレートのみ取り外されていた。そこにはナイフが深く突き刺され、血が滲んでいる。だが、まるで傷などないかのように平静な顔で口端をつり上げた。


「ったく、手間かけさせんじゃねえよ」


 プランは地面に指を立てて抵抗を試みるが、巨漢は構うことなく引きずっていく。すぐに指先が切れ、血が流れた。


「いやっ……」


 プランの悲鳴に、巨漢は邪悪な笑みを深める。


「俺の命を狙ったんだ。どうなっても文句ねえよなあ?」


 それを聞いて、残る三人の男たちが醜い笑い声を上げる。


「いやっ、助けて……誰か……助けて……」


「ここに来るまでも散々騙して来たんだろうが。そんなクソ女を助けるようなやつが、いるわけ――」


 飛来した影に、男は咄嗟に飛び退いた。さらに別の影が肉薄するのを視界の端に捉え、背中のハルバードを振り下ろす。地面を穿つが、その下に獲物はいなかった。身軽に退いた四足の獣に、巨漢は狂喜の笑みを浮かべる。


「まるで魔物じゃねえか。いいねえ。殺し甲斐がありそうだぜ」


 プランはその獣ともう一人の女を見て、驚愕のあまり目を見開いた。


「どうして……」


 その二人は、どちらも殺したはずなのに。

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