第17話 私なんか……

 異変に気づいたセラリアは下がろうとするが、足をもつれさせて後ろに転んだ。目の前で一角兎の額が突き破られ、赤黒い角が飛び出た。表面を鮮血が滴り、角の周囲は肉が見えている。悍ましい光景にセラリアは身を竦ませた。


 一角兎はその鋭い角先をセラリアへ向ける。小さな体躯が地を蹴り、彼女に向けて一直線に飛び上がった。クロイスとソフィアも同時に駆けるが、俊敏性に長けた一角兎の方が速い。


 恐怖に目を閉じるセラリア。鋭利な角が少女の華奢な身体を突き抜ける――そんな絶望を切り裂いたのは一本の槍だ。走っても間に合わないと判断するや、ヒエラルドは己の槍を投擲した。それはセラリアの横をすり抜け、ものの見事に一角兎を貫いた。


「ふうー、今のは危なかったぜ」


「馬鹿者! セラリアに当たったらどうするつもりだ!」


「当たらなかっただろ? 俺、投擲上手いんだぜ」


「たまたまに決まっているだろ! 殺すぞ!!!」


 一方的にヒエラルドを誹るソフィアの表情には苦渋が浮かんでいた。セラリアを守れなかった自分自身を責めているのかもしれない。


「大丈夫?」


「はい、ごめんなさい……」


 クロイスが駆け寄ると、セラリアは座ったまま笑顔で返した。


「ここは危ないところだから油断しないで」


「えへへ、そうですよね」


 差し伸べた手をセラリアはまじまじと見つめる。その瞳に涙が浮かび、頬を綺麗な滴が流れ落ちた。


「あ、これは、その、違うんです。えっと……」


 何度も目元を拭うが、涙は止まらない。


「おかしいです。泣きたくなんて、ないのに……。そんなんじゃ、駄目なのに……」


 セラリアの様子に気づいたソフィアが殺意のこもる視線を送ってくるが、さすがに空気を読んだのか何も言わなかった。


「ごめんなさい。私、足手まといですよね」


「そんなことは――」


 否定しようとするクロイスを遮って、セラリアは首を横に振った。


「自分でも分かってるんです。修道院にいるときからそうでした。座学は得意なのに、実技がダメダメで。みんなから馬鹿にされて。見返してやろうと頑張っても、いつも空回りして、失敗して。けど、勇者候補に選ばれたって聞いて、今度こそ頑張るぞって。勇者になることができれば、みんなも認めてくれるはずだって」


 セラリアは涙を流したまま諦めの滲んだ笑みを浮かべる。


「けど、やっぱり駄目でした。私なんか、いない方が……」


 ――そんなことない。


 励まそうと口を開きかけたクロイスの頬を、強烈な力が打ち抜いた。意識を刈り取られたクロイスの身体が無残に地面を転がる。


「そんな悲しいこと言うな! セラリアは生きてるだけで尊い!」


 ソフィアは全力で拳を振り抜いた格好からセラリアに飛びついて、その手を握った。小さな悲鳴を漏らすセラリアに構わず、ソフィアは彼女の手を頬に擦り付ける。


「ほら、肌もこんなにスベスベだし」


 さらに絡みつこうとするソフィアの猛攻を掻い潜り、セラリアはクロイスのもとに駆け寄った。


「今、治療します!」


 セラリアの手から光が降り注ぐ。赤く腫れていた頬が元に戻り、クロイスは意識を取り戻した。


 涙を流しながら手を伸ばすソフィアの姿に、脈絡を察する。クロイスは治療を終えたセラリアに微笑みかけた。


「足手まといじゃない。この傷だって、セラリアがいないと直らなかった。それに――」


 クロイスは、ヒエラルドとソフィアに視線を向ける。


「あの二人だって、セラリアがいたから仲間になったんだ」


 たとえ魔法が苦手で戦闘ではあまり活躍できなかったとしても、そのことは事実だった。


「だから一緒に行こう。勇者になって、みんなを見返そう!」


「クロイス……」


 セラリアはクロイスの手を取り、胸の前で包むように握った。


「ありがとうございます。私、頑張ります」


 目元を拭った彼女は、もう泣かなかった。


「放せ! このままでは二人がくっついてしまう!」


「駄目だって! 大人しくしてろって!」


 血の涙を流しながら暴れるソフィアを、ヒエラルドが必死の形相で羽交い締めにしている。


 その悍ましい光景から目を逸らした先で、クロイスは息をのんだ。屈託のない笑顔を浮かべるセラリア。彼女を見た瞬間、胸の奥が熱くなった気がした。いつもなら妹にするのと同じ要領で頭を撫でるのだが、何故か照れくさくてできなかった。


 自らに起こった異変に混乱しつつ、セラリアから距離を取ろうと立ち上がる。


「そ、それじゃあ行こう」


「貴様! 顔が赤い! 絶対に殺すうううう!!!」


 怒り狂うソフィアの剣から、クロイスは血相を変えて逃げるのだった。

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