第3章

第12話 喰鬼

 クロイスとセラリアは石畳の通路を並んで進んでいた。


「クロイス様は……」


「クロイスでいいよ」


 様と呼ばれるような身分ではないので、その響きはくすぐったかった。


「クロイスは剣士……でいいんでしょうか?」


「ああ、まあ、一応?」


「私に聞かれても困るんですが……」


 帯剣してはいるものの、まともに使ったのは最初の一戦だけだ。剣士と名乗ることに抵抗がある。技術的にはセラリアとそう変わらないだろう。剣では戦力的に不安だ。


 大黒狼との一戦で生じた爪と牙。あれを再び出すことができれば、この先の戦いを渡り合える。


「あれ、何だったんだ」


 第一層を抜けてから何度も試しているが、あれ以来発動していない。


「それについてなんですが、一つ確認してもいいでしょうか」


 頷くと、彼女は神妙な面持ちで口を開いた。


「クロイスは……黒狼の肉を食べましたか?」


 変な質問だと思ったが、食べたには食べたので首を縦に振る。


「言っとくけど、黒狼の肉が食べたくて食べたわけじゃない」


 あのときは必死だった。黒狼を殺すことだけを考え、首元へ食らいついていた。


 セラリアは顎に手をあて、考え込む。たっぷり時間をかけてから、淡いピンク色の唇を開いた。


「その昔、喰鬼と呼ばれる種族がいたと書物で読んだことがあります。現在は絶滅しているそうですが、クロイスの能力は彼らに酷似しています」


「喰鬼?」


 聞いたことのない言葉だった。それも当然のこと。学のないクロイスにとって、知ることができるのは身の回りの狭い世界のことだけだ。絶滅した種族など知る術がない。


「彼らの主食は肉です。……それだけであれば人間と大差ないのですが、喰鬼は食べた相手の能力を得ることができるとされています。クロイスの爪と牙は、黒狼の肉を食べたことで得たのだと思います。また、食べることで傷を癒やすこともできると書かれていました」


 セラリアの話は、どれもクロイスの状況に合致していた。黒狼の肉を食らった直後に身体が変化した。力が湧き、右肩の傷が治った。


 ただ、自分が喰鬼であるという自覚はまったくない。


「喰鬼は生まれながらにして自らの特異性を知覚しているそうですが……。先祖に喰鬼がいたと聞いたことはありませんか?」


「聞いたことないな。もう聞くこともできないし……」


 セラリアはハッとして、眉尻を下げた。


「ごめんなさい!」


「いや、いいよ気にしなくて。ずっと前のことだから」


 途端に萎んでしまったセラリア。押し黙ってしまったので、仕方なくクロイスの方から切り出した。


「どうして今頃になって、その特異性が表れたんだろう」


「……命の危機に瀕して、本能が血を呼び覚ましたのかもしれません。今まで力が眠っていたのであれば、自覚症状がないことにも説明がつきます」


 ルーツについてはどこまで行っても推測の域を出ない。喰鬼が絶滅したのであれば、もう確認する相手がいない。妹であるアイリスからもそのようなことを聞いたことがない。


「つまり、他の魔物の肉を食べれば、その能力を得られるってことか」


「そういうことになります」


 それは朗報だった。様々な力があれば、それだけ生存率が上がる。ただ、魔物の肉を食べることを想像すると鳥肌が立った。


 黒狼を食らったときの自分を思い出す。途端、獣臭と鉄の臭いが口に広がり、グロテスクな光景がフラッシュバックして吐き気を催した。またあれをやるのは抵抗がある。人間というより獣そのものだ。


「喰鬼は……人間なのか?」


 言ってから、聞かなければよかったと後悔した。化け物だと言われたら、受け止めきれる自信がなかった。


「様々な見解がありますが、人間から分岐した種族――亜人種だというのが通説です。つまり、元々人間です。クロイスが人間であることは間違いありません」


 それは泣いた子供をあやすような、包み込むような声色だった。優しい眼差しを受け、彼女が励ましてくれているのだと分かった。


「そっか。ありがとう、セラリア」


「いえ。……ただ、そう思わない人もいます。ですから、その……」


「喰鬼であることは隠した方がいい?」


「……はい。ごめんなさい。全然、後ろめたいことではないのに」


 目を伏せるセラリア。自分のことを心配して言ってくれていることは十分に伝わっている。


「大丈夫。魔物の肉を食べてるところなんて、気味が悪いのは事実だし」


「そんな、ことは…………」


 自分で放った言葉に混じる嘘に、彼女は罪悪感で顔を歪ませていた。相手を思いやることのできる、真っ直ぐないい子だ。だからこそ、彼女に無理をさせたくなかった。


「無理して一緒にいなくてもいいから。もし、嫌だったら――」


「いえ! 嫌じゃないです!」


 言葉を遮るように力強い声を出し、クロイスの手を握るセラリア。しかし、その手は震えていた。クロイスの視線に気づいたのか、彼女は手を放し、背中に隠した。


「これは、その……」


「僕は大丈夫だから。気にしないで」


「そうじゃ、ないんです。ごめんなさい。あの、確かに、ちょっと怖いです。ですが、クロイスは私を助けてくれました。だから、大丈夫です!」


 無理しているのは明らかだった。だが、笑顔を作る彼女の瞳には、強い意志が垣間見える。何を言っても無駄だと思い、クロイスはこの話題を終わらせた。


「じゃあ、二人で生き残ろう。必ず」


「はい! 必ず!」


 進んだ先で広い部屋に出た。円形で、それを取り囲む階段が四段ほど上に続く。闘技場のような作りだ。その中心に四つの人影があった。勇者候補のパーティーだ。


 彼らが対峙しているのは石の塔――いや、石造りの巨人だ。それの振り下ろす巨大な拳が地面を穿ち、地響きを鳴らす。それが戦いの火蓋となった。


 加戦すべきか、待つべきか。彼らが戦っている隙に通り過ぎることはできなそうだ。部屋の出口は石壁に閉ざされている。石造りの巨人を倒さない限り、通過できない仕組みなのだろう。


 迷っていると、すぐ側から呻き声が聞こえた。そこには女が壁に背をもたれて座っていた。


 群青色のショートヘアで、背はセラリアの頭一つ分高く、クロイスより少し大きいくらいだ。細身で手足が長い。凛とした顔つきだが、憔悴しきっているせいで台無しだった。


 原因は腹部に深く突き刺されたナイフ。地面に血だまりができるほど出血している。ナイフに見覚えのある気がしたけれど、思考を中断した。傍らに投げ出された剣の柄に女が手を伸ばしたからだ。


 クロイスは剣を抜き払った。あのパーティーの仲間だろうか。手負いといえど油断はできない。

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