第11話 第一層通過
「わかったから、服を着てくれ……」
「あ、は、はい。ごめんなさい!」
慌てふためく彼女は、まるでクロイスの機嫌を損ねたら取って食われると思っているようだ。そんな化け物に見えるのだろうかと、クロイスは苦笑した。
「君に危害を加える気はないから、安心して」
妹にするように、彼女の頭を撫でる。最初は恐怖に怯えていたようだが、徐々に彼女の震えは収まった。
「はい。助けてくださり、ありがとうございます」
「ああ。いいから、服を着て?」
今度は顔を真っ赤にして、少女はバックパックを抱き寄せた。
「あっちで着替えよう」
岩陰の方を指すと、少女は首を縦にぶんぶんと振った。
念のため安全を確かめてから、二人は岩を挟んで着替え始めた。
クロイスは死んだ男のバックパックに入っていた服に着替える。あまりいい気はしないが、魔物の血に塗れた服を着ているよりはマシだった。
全身の服を脱いで、適当な布で身体に付着した血を拭う。そこで違和感を覚えた。
「こんなに筋肉あったか?」
肉体労働に従事しているものの、栄養のあるものを食べていないせいか、あるいは体質なのか、あまり筋肉がつかなかった。まさか、大黒狼の肉を食べたから筋肉がついたわけではあるまい。
クロイスは口の中にわずかに残る獣臭さに顔を顰めた。原因が分からないので、とりあえず疑問を棚上げする。
着替えを済ませ、白銀の少女を待った。声がかかり、彼女のいる方へ向かう。
「あ、あの……そんなに見つめられると、その、恥ずかしいです……」
「あ、悪い。つい……」
つい、なんだ。クロイスは自分で自分にツッコミを入れる。少し前にも同じようなやりとりをした記憶があるけれど、思い出すのを止めた。
今回は胸を凝視していたわけではなかった。単純に服を着た彼女を美しいと思ったのだ。
黒を基調とした修道服。動きやすさのためか左足側に深いスリットがあり、そこから覗いた白く細い足が鮮烈に映る。
胸に抱く長い杖は金属製で、先端は菱形。中心に澄んだ緑色の宝石が埋め込まれ、それを包むように四方が刃となっている。攻撃的な武器は容姿とかなりアンマッチで、見るからに頼りなかった。
気まずい空気が流れ、互いに機を窺い合う。初対面なのだから、相手との距離感を図りかねているのも無理はない。まして、出会いは衝撃的。クロイスは獣の如き姿を見られ、少女は裸体を見られた。スムーズに会話が成り立つ方が難しいというもの。
だが、迷宮はそんな二人を悠長に待ってはくれない。
「なんだ!?」
突如揺れた地面に、クロイスは声を上げる。揺れているのは地面だけではない。空間全体が振動している。遠くから何かが崩れる音がした。それは徐々に大きくなっていく。
慌ててバックパックからコンパスを取り出すと、光は既に一番外側の円に到達していた。
自分たちが通ってきた道の奥が崩れるのが見えて、クロイスは目を見張った。慌てて少女の手を掴む。
「まずい! えっと……いや、やっぱいい。走って!」
「私っ! セラリアといいます!」
クロイスの手を強く握り返し、懸命に足を動かしながらセラリアが叫ぶ。
「セラリア!」
「はい!」
「もっと早く走れない?」
「――っ、ご、ごめんなさい! 私、運動が苦手で!」
セラリアの足よりも、崩壊の方がわずかに速い。このままではギリギリ間に合わないかもしれない。
「あっ、あの! 置いていかないでください! もっと速く走りますから!」
涙を浮かべて叫ぶセラリア。薄情な人間だと思われていることに肩を落としながらも、繋いだ手を強く握り直す。
「絶対に放さないから安心して!」
「はい! ありがとうございます!」
心の底から安堵した笑みを浮かべる彼女だが、その実、先ほどから速度が上がっていない。それどころか、落ちているように思える。心なしか息が荒く、走るフォームも崩れてきている。
下心なしにセラリアの裸体を思い浮かべる。ほっそりとした身体には筋肉など少しもついていないように見えた。日頃から身体を動かしていないのは明らか。既に体力の限界が来ているのだろう。
通路の入り口まであとわずか。けれど、崩壊も背後に迫っている。このままでは生き埋めだ。
クロイスはセラリアの身体を下から上まで確認する。見るからに軽そうだ。
「悪い!」
「きゃっ!」
有無を言わせずセラリアを引き寄せた。背中を支え、膝裏に腕を差し入れる。そのまま抱え上げ、全力疾走。速度はぐんぐん上がり、それがいつもと違うことに動揺した。
未だ体験したことのない速度。速すぎる足に感覚が追いつかず、もつれて転びそうになった。
ここで速度を落とせば、崩壊に飲み込まれる。咄嗟に前へ跳んだ。天井から降り注ぐ瓦礫がつま先を掠める。
「いってて……」
身体にのし掛かる重さに、間に合わなかったのかと一瞬落胆する。だが、それが温かいことと、弾力があることに気づき、瞼を開いた。
首元に見える青みがかった白銀の髪。抱きしめているものを確認するように手を動かすと、それはびくりと震えた。
顔を上げたセラリアは、クロイスの顔が鼻先にあることに動揺し、もの凄い勢いで身体を起こした。
「ご、ごごご、ごめんなさいぃぃぃ!」
横に飛び退いて、距離を取る。先ほどの走りとは打って変わった俊敏さだ。
顔を真っ赤にして何度も頭を下げるセラリアに、クロイスは苦笑する。
「あ、あの、その……」
「どうした?」
「ええっとですね……その……」
見る見るうちに顔の赤みが増していく。すっかり俯いてしまったセラリアは、ぼそぼそとした声で言った。
「……く…………たですか」
聞き取れなかったので聞き返すと、彼女は胸の前で両手を強く握り、声を絞り出した。
「重く、なかったですか?」
「何が?」
無神経に尋ねると、セラリアはキッと彼を睨んだ。目尻に浮かぶ光に、クロイスは自分が間違ったことを悟る。
「私の体重です!!!」
少女の悲痛なる叫びが石畳に木霊する。何度も繰り返される自らの声に、セラリアは両手で顔を覆い、うずくまってしまった。
そう言えばと、クロイスは思い出す。一年ほど前のことだ。
妹のアイリスはよく抱っこをねだった。とても機嫌がよくなるので、クロイスはいつも抱き上げてやっていた。ほぼ毎日していたので、アイリスが日々成長していることは実感していた。ある日、ふとそれを口にしたことがあった。
「重くなったね」
クロイスにとって、それは成長したという良い意味の言葉だった。だが、アイリスは見るからに不機嫌な顔をして、降ろせと大暴れしたのだ。
それからしばらくの間、口をきいてくれなかった。
彼女の機嫌は時間が解決してくれたけれど、以来、抱っこをねだることは一度もなかった。
一年越しにようやく、クロイスの中で疑問が氷解した。同時、言葉選びを誤り、妹を傷つけてしまった自分を呪う。同じ轍は踏むまい。
クロイスは慎重に、何度も反芻してから口を開いた。
「い、いい感じだったよ」
「へ? ――ど、どういう意味ですかっ!」
余計に彼女の心を掻き乱してしまったようで、セラリアは自分の身体を抱きしめ、クロイスの視線から隠すように身をよじった。
強まる軽蔑の視線に、クロイスは大慌てで弁明する。
「ち、違う! 間違えた。軽かったって言いたかったんだ」
「……本当ですか?」
セラリアは疑いの眼差しを向ける。それはまったくクロイスを信用していない目だった。
実際、彼女は軽かった。抱き上げてもほとんど気にならなかったくらいだ。それよりも硬い感触に意識が行った。金属のような硬さだったから、修道服の下に何か着ているのかもしれない。さすがに、それを聞くほどデリカシーがないわけではかった。
必死に頷きを繰り返すと、ようやく納得してくれた。安堵した表情で、彼女は立ち上がった。クロイスに手を差し伸べるその姿は、まるで聖女のような尊さを感じさせる。
「改めまして、私はセラリア。セラリア・エンティマイアと申します。あなたのお名前は?」
一瞬、その美しさに呆けていたクロイスだが、すぐに我を取り戻し、その手を取った。
「僕はクロイス。クロイス・ラックス」
クロイスは立ち上がり、二人は笑みを交わす。
無慈悲な戦場で、こうして二人は出会った。
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