23 第一話最終戦 土曜日の帝大附属病院

《Echo World》での打ち上げも終わり、特に設定したわけでもないカウントダウンもあと40時間分以上残っている今、俺は心を落ち着かせてゆっくりと今日の事を思っていた。


 今日の午後からは、氷華の最後の手術だ。これまで合併症などが原因で手をつけられず、薬で抑えていた癌を外科的手法で取り除いてクローン臓器へと置換するのだとか。


 それを乗り越えれば、彼女はようやく健康体になれる。


 リハビリは多分必要になるだろうが、あのダイハードな女なら笑って乗り越えるだろう。


 これでようやく、おれはこの恋へのスタートラインに立つ事ができる。今までのように約束を盾にした関係ではなく、ただ1人と1人の人間として。


『そのような事、考えるだけ無駄かと具申しても?』


 気持ちの問題なの! 中学生のピュアハートの関係なんだよ! 


『まぁ構いませんが、そろそろ出なくても?」

「それもそうだな」


 そうして、朝食を食べ終わった俺は片付けをして、ベビーカーに乗り、いつものように病院へと向かう。


「そういえば、なんか気が楽だな」

『それは、マスターがリラックスしているからだと』

「緊張してたの? 俺」

『はい。初めて狼と会ってから、ずっと“いつまた戦いになるかわからない”という緊張感にありました』

「……VRでは割といつものことでは?」

『現実ではたまにしかしてませんでしたよ? そんな無駄な警戒』

「え、たまにしてたの?」

『古典にある、学校にテロリストが来たらどうしようか。という妄想でしょうか?』

「やめろや、リアルに来たら1人くらいしか殺せないだろが」

『反論が予想通りで残念です』

「しまった、テンプレだったか」

『単純ですからね、マスターは』


 などと緩く会話しつつ、ネットニュースを流し見する。するとそこには、《Echo World》の事が取り上げられていた。なんだかんだで第一話RTAは動画映えしたのだろう。多分。


 尚、トップの動画がドリルさんの奴なあたり、ちゃっかりしてるなーと思う。ドリルさんなんだかんだと人気なのな。


「……なんやねん“たらし明太子”って」

『さて、辛子明太子とかけたのでは?」

「嫌にうまいあたりムカつききれないな」

『まぁ、たらしたのが氷華様以外全て男性だと嗤われていますが』

「そこはいいんだよ。そこは」


 ドリルさんの動画のコメントにあったのが、俺の明太子を弄ったその名前。今度ドリルさんの動画撮影に協力するときは登場ネタとして使うとしよう。


『着きましたよ』

「……うし! 頑張ろう!」

『マスターが頑張る必要はどこにもありませんけどね』


 うっさいわメディさん。あ、駐輪場まで頼むなー


『了解です』


 そうして、いつものように面会手続きをして、氷華の病室へと入る。


「あら、お帰りなさいタクマくん」

「ただいま、氷華」

「乗ってきたのね、珍しい」

「たまにはな」

「なら、お茶にしましょうか。ARだけど」

「お前も珍しいな」

「もう手術が終わるまでのカロリーは点滴で取ってしまったからね。口寂しいのよ」

「なら、お茶にでもしようか」

「ええ、玉露というのは悪くなかったわ。だからそれに合うお茶菓子を貰えないかしら?」

「また高いもんに手を出して……だけど、どうせだし高級羊羹とかにするか」

「ええ、良さそうね。早くリアルで食べたいところよ」


『では、そのように。港区にある老舗の和菓子屋に予約を入れておきましょうか』

「ちなみにそのお金は何処から?」

『マスターの氷華様の為の貯金からです』

「あら、嬉しい事をしていたのねタクマくんは」

「やめて下さい氷華様、メディ様、私めの恥を晒さないで下さいませ」

「嫌よ。私タクマくんの困っている顔も割と好きなんだから」

『私は最適な行動を取っているつもりです』

「悪意と善意のハーモニーですね!」


 そんな俺の姿を見て、クスクスと氷華は笑った。

 それに釣られて、俺も自然と笑顔になった。


 なんというか、いつも通りだった。


 これが、多分最後の事だけど。


「なぁ、氷華」

「ええ、この手術が終わったらあの日の約束は終わり。だから、私たちの関係はリセット。そう言いたいのでしょう?」

「……ああ」

「そんな事だと思ったわ」


「だから、手術が終わったらちゃんと話をしましょう。私たちの関係について」


 その言葉にある強さを感じて、もう氷華は大丈夫なんだと確信した。


 だから、この関係はもう終わりにしよう。


 その先で今までのようになれるかはわからないけれど。それでも間違った始まりのこの恋を始めるために。


 ⬛︎⬜︎⬛︎


「それじゃあ、手でも握ってくれないかしら?」

「珍しく弱気だな」

「仕方ないじゃない。成功するって言われる手術なんて初めてなんだから」

「だよなー」

「だから、ハグしてくれても良いのよ? 私は不安なんだから」


 その言葉に応えて、しっかり氷華を抱きしめる。


「何よタクマ、幸せで私を殺すつもり?」

「心配で悪いか」

「……大丈夫よ、私は死なないもの」

「ああ、頑張ってこい」


 そう言って、氷華の身体をストレッチャーに戻す。


 見ていた看護師さんたちにニヤニヤされながら。それでも「よろしくお願いします」と声と共に頭を下げる。


 その声に、しっかりとまっすぐ応えてくれるあたりが、この人たちの命を救う覚悟があった。


 そうして数時間が経ち、手術が始まった。


 そして、それからすぐに


 一瞬で、残り時間が数分以内になると理解できるほどに。



「は?」

『マスター⁉︎栗本様とじゅーじゅん様への連絡は私からします! マスターは今から3分以内に武器を……いえ、もう間に合わない!』

「メッセージは⁉︎」

『送りました!』


 そうして、世界が切り替わる。力が満ちて、心臓が落ち着き、意識が冴え渡る。


『マスター、どうしますか⁉︎』

「……氷華の確認! 今どうなってるのか調べないと!」

『ならば?』

「どうせ直る! こじ開けるぞ、この扉!」


 そうして、風の生命変換ライフフォースを用いての貫手でドアに両手を突き刺し、円形に回してドアに穴を開ける。


「何⁉︎」

「氷華はどうなってますか⁉︎」

「息子くん……今、氷華さんの手術は……」


 そうしていると、親父の叫び声が聞こえる。命を繋げという声だ。


 その声から、氷華の現状は把握できた。


 やはり今回もアイツは死にかけている。


 だから、ドア越しに声をかける。俺が何をするべきか納得したいが為に。


「親父!」

「タクマ! 何やってる外に居ろ!」

「何分以内にこの現象が治ったら、氷華は生き延びれる!」

「……わからん!」

「何が原因!」

「メスも針も通らんのでインオペができん! そして、腹を開けたままでは輸血が保たん!」

「わかった! 俺が10分以内にこの件を終わらせる! だから死ぬ気で命を繋いでくれ! 親父!」

「待っ、て! タクマ!」


 その声に、仰天した。氷華の麻酔が切れてる⁉︎


『出血性ショック死の可能性があります!』

「クソが、何なんだよこの空間は!」


「なんだ⁉︎、傷が、治っていく⁉︎」

「馬鹿ね、私が、そんな簡単に、死ぬ、わけ、ないじゃない。Mrs.ダイハードを、舐めない、で」


 そうして、呼ぶ声に引かれて手術室に向かう。

 そこには、息も絶え絶えで、痛みに苦しみ続け、しかし命を諦めていない女がそこにいた。


「これは、前に言ってた空間ね?」

「……ああ」

「なら、任せるわ。私の力を持って行って。私は残りを全て生きる力に注ぐ。だから、私を助けて」


「私の、婚約者様ダーリン


 その、呪いのような言葉に俺は答える。まだ、約束は残っているから。


「任された」


 そうして、氷華の生命転換ライフフォースを貰い、ダイハードモードのままに走り出す。


 今回、完璧にヒントはない。だから、自分の出来る事を考えて動く。


 警備室に意味はない。どうせカメラでの監視はできないのだから。


 そして、窓から周囲を見回すことに意味はない。ほぼ間違いなく中心はこの病院だからだ。というかそう決め打ちしてないと賭けになんて出られるか


 だからこそ、その姿を見た時に驚いた。


 壁をぶち抜いてきたその狼の群れは、明らかに俺を狙っていたのだから。


「上等! 餌役やってやるさ!」


 襲ってくる6匹の狼と2人のゴブリン。2人のゴブリンはゲートを開く気配がしたので、割れた窓ガラスに命を込めて投げつけながら、距離を詰める。そして、その手に持っていた無骨で雑そうな剣を盗み、高まった身体能力に乗せて放った剣によりその全てを斬り殺す。


 そして、そのまま敵の現れた方向にまっすぐ進む。そこは病院の中庭であり


 俺が氷華に契約を持ちかけた約束の場所だった。


 そこに、大魔シリウスは、数多の狼や人狼、巨狼などを従えて立ち塞がっていた。


 互いに、言葉はなかった。


 ただ、俺は1人で。奴は数多の数で、殺意だけをぶつけ合った。


 俺の約束を、守ると決めたから。


聖剣抜刀ゲートオープン!」


 そうして氷華の命を内側に大切に仕舞い込み、己の風と剣で奴を殺す為に走り始めた。


 いつのまにか変化した、臆病者の剣チキンソードを握りしめて。


 ⬛︎⬜︎⬛︎


 俺は、多分人間じゃなかった。


 いや生物学的には人間だったし、超能力が使えるとかそういう特別はなかった。


 ただ、両親の死に何も感じなかったという事だけが、自分を人非人として形作っていた。


 だからこそ、親父は俺に「誰かを助ける男になれ」と命令をくれた。寄るべのなかった俺に、生きる指針をくれた。


 その結果、俺は氷華と出会った。出会えた。


 俺と同じように両親と死に別れ、特別な病を抱えて、その手術を受けても死ぬ確率が高く、しかしそもそも手術を受ける資格を持っていない。


 そんな彼女に、俺は多分ものすごく間違った形で手を差し伸べた。しかし、彼女は最終的に笑ってそれを受け入れてくれた。


 それは、そんなところからの約束の話だった。


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