やり直しスタート
「いやー、食った食った。寿司で腹が膨れたのなんて滅多にねーよ」
「ほんとだねえ。美味しかった。あんなにいい店なんて入っちゃって、お前、大丈夫だったの?」
「おいおい、自分の息子の出世を喜ばない母親がいるなんて驚きだな。大丈夫に決まってるだろ」
「そう? じゃあ、遠慮無くご馳走さまでした。本当に美味しかったわ」
母さんが律儀に頭を下げてきた。
てれくせーな。
それと、なんつーか、親に褒められるのって嬉しいもんなんだな。
忘れていたはずの幼少期の記憶の欠片がつついてくる。
「じゃあ、俺、帰るよ」
「え、もう? お茶飲んで行けばいいのに」
「いや、もういいよ。帰って仕事しないと」
「そう? わかったよ。どうもありがとうね」
「年寄りの一人暮らしなんだから戸締りちゃんとしてくれよ」
「はいはい、わかってる。お父さんが亡くなってからは、ちゃんと戸締りしてる」
父さんが生きていた頃は寝る時くらいしか戸締りしなかった。
この辺で戸締りする家自体がなかった。
みんな知った顔で夜も鍵をかけないで寝てしまう家もあるほどだった。
でも、だんだん年寄りが増えていって葬式が続いて、一人暮らしの家が増え始めたら、それぞれが鍵をかけるようになった。
新築の家が次々と建ち、知らない人が半分以上になった。
もう俺の知っている街ではなくなってしまった。
母さんが年取るわけだ。
そういう俺もすっかり中年だもんな。
それから。
母さんの未来を知っている俺は母さんの体調を管理することにした。
さんざん苦しんだのを見たし何と言っても死に顔を見たんだ。
あんな姿に黙ってさせるわけにはいかない。
出来る限りのことはさせて貰う。
未来が変わることだってあるかもしれない。
違う病気になるかもしれない。
俺がいない内に倒れるかもしれない。
真っ暗な部屋で冷たい床に蹲っている母さんを想像するといてもたってもいられなかった。
母さんにスマホを持たせた。
嫌がったけど、一番簡単なやつにして使い方を教えて、俺の番号を登録した。
近所には母さんの兄妹が住んでいる。
仲がいいから頻繁に会ってるみたいだけど、それでも母さんは死んだんだ。
親戚の近くに住んでるからって、おじさんおばちゃんには悪いけど、安心できない。
家にWi-Fiを引いて安心システムを導入した。
これで何かあったらすぐにわかる。
やっと少しだけ安心した。
俺の家から実家まで車で40分くらい。
近いようで遠い。
前の俺は盆暮れ正月しか帰らない息子だった。
それが今は三日に一度実家に行ってる。
嫁が疑い出した。
少し喧嘩になった。
ある日、母さんに言われた。
「何なの? ちょっと辺だよ、お前。心配してくれるのは嬉しいけど、やりすぎじゃない?
監視されてるようで、お母さん、嫌だよ。
今まで全然顔を見せなかったお前が急にどうしたの? 何かあったんでしょ?」
ヒヤリとした。
昔から勘の鋭い人だった。
何かあるとすぐにバレた。
霊感とか信じてたし、易とか占いが好きで、いろんな易者に見てもらっては札を貼ったり塩を盛ったりしていた。
人形が動いただの、夜中に足音が聞こえただの言う人だった。
胡散臭いとバカにしていたが、この人の勘の鋭さだけはバカにできない。
でも、俺はもう成人だ。
親の顔色を窺ってオロオロする子供じゃない。
「何でもないよ。親の心配して悪いのかよ!」
「そういうわけじゃないけどさ。姉ちゃん達にも笑われて、お母さん、ちょっと恥ずかしいんだよ」
「おばちゃん達にちょっと言われたくらい気にすんなよ」
「何かあったら、すぐに連絡するから大丈夫だよ。心配してくれるのは嬉しいけどね。
それより、お前、お嫁さんにも同じことしてないだろうね? ちょっと怖いよ。ストーカーみたいで」
「え、俺、気持ち悪いか?」
「うん、怖いよ。そういう男は嫌われるよ。お母さん、嫌だ」
いや、あんたの好みは聞いてない。
嫁と同じステージに立たんでくれんか。
「いいよ、わかった。母さんの好きにしていいよ」
「あー、よかった。息苦しかった」
そうか、俺の知らないところで、母さんは一人暮らしを満喫してたんだ。
なんだか、勝手に、寂しく暮らしてるんじゃないかって思い込んでたな。
母さんには、母さんの日々がある。
それを壊しちゃいけない。
それに気づいた俺は、今までの振る舞いを恥ずかしく思い返し、やり過ぎなところは独りで赤面し、前の俺に戻ることにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます