第2話後編.決意宿る瞳 - 5

 気がつけば、ここねとつきねは美癸恋町の街中に放り出されていた。

 さきほどとは明らかに別の場所。頭上の白い満月が不気味に紅く染まっていた。

(二年前とそっくりだ……)

 ここねの視線の先に立っているつきねは着ている服さえ、変わっている。見慣れない可愛らしい服装。胸のあたりには大きな鍵がついている。アーティストのステージ衣装だと言われれば納得するかもしれない。

 ここね自身もさっきまでと身にまとっているものが違う。通りにある店舗のウィンドウのガラスに反射した自分の姿を見ると、ファスナーを思わせる装飾が目を惹く。そして腰のあたりで結ばれた大きなリボンにはどういう構造か分からないが、南京錠もついていた。

 以前に体験した紅い月の夜と明らかに異なる点がもう一つ。

 あの時は何もしていないのに乱れていた呼吸が、平常と変わらないということだ。

(あんなに息苦しくて……死ぬような思いもしたのに、どうして?)

 むしろ今身体が軽くすら感じて、ここねは何とはなしにその場でジャンプしてみる。

 その刹那、ここねの跳躍はビルの数階分はあるかという高さに達する。

「えっ!?」

 驚きも消えぬうちにした着地も完璧で、ここねは足腰に痛みもない。明らかに尋常ではない身体能力であり、超常の力を思わせる。

(こんなに風に身体を動かせるなんて——)

 この不可思議の連続と紅い月が、ここねに告げている。

『死』の呪いの実在性を。

(この町で起きる呪いはやっぱり本当に……)

 そんなことを考えていると、ここねは妹が一言も発していないことに気づいた。一瞬で別の場所に移動したり、急に服装が変わったり、極めつけはこの身体能力だ。驚かないはずがない。

「つきね?」

「…………」

 さきほどは見慣れない装いに気を取れていて、ここねはつきねの異変に気づくのが遅れたのだ。つきねは目の焦点が合っていないのか、ぼんやり視線を泳がせている。

 時間の猶予はない、とここねは強く感じた。

 妹を抱きしめるためでもなく、妹の手を引くためでもなく、妹から『死』の呪いを絶対に奪うためにつきねの心臓に届く距離まで近づく。失敗はできない。

 ここねの真剣な瞳に光が宿る。その瞳の色に似た桃色の幽かな光だ。つきねの左胸の、さらにその奥に黒い靄が渦巻いているのが見えた。まだここね自身は知らないが、魔眼を発動させた証であり、彼女につきねの肉体に存在する呪いの位置を知らせるものだった。

(できる……きっと私にもできる……!)

 思い浮かべるのは夢にあった、妹の胸を手で貫くあのシーンだ。

 呪いを取り除くことだけを強く意識するここねの手の内に、一つの鍵が現れる。

「……!?」

 その鍵に導かれるように、ここねは鍵を握った手でつきねの胸へと一突きを繰り出すべく、脇を引き締める。

「つきねは……絶対守ってみせるから……っ!!」

 ここねの突きは寸前のところでつきねに払われる。今までのつきねでは考えられない反応速度だ。

 諦めずにここねは同じ一突きを繰り出した。

「……!」

 一瞬のうちに後ろに引いて距離を取るつきね。

 身体能力が向上しているのはここねだけではないようだ。

 ただ抵抗を示しても、やはりつきねの瞳には生気らしきものが感じられなかった。ここねが攻撃したというのにつきねは無言のまま、つきねがつきねではないような別の存在に思えるほどに。

 ここねは焦燥感を抱えながらつきねに迫る。

 逃げられないようにつきねの動きを封じるため、ここねは攻撃を重ねていく。今でもまだ自分で自分の俊敏な動きに驚いてしまうが、つきねからの反撃も本来なら女子高生の筋力で実現できるものではない。

 鈴代姉妹の攻撃がぶつかり合う音が周囲に響いては消える。

(つきねと、こんなことしたくない……したくないから)

 繰り出されたつきねからの一撃を避け、ここねはその腕を掴んだ——身体能力が激変した妹の心臓を確実に狙うために。

 ここねは鍵を持った右手でつきねの胸に触れる。すると、そのまま鍵と手が中に入っていく。

「痛かったら、ごめんね……つきね」

「んっ……」

 つきねの心臓にまとわりつく呪いに鍵を差し込むと、ここねはゆっくりで鍵を回す。

「これで——」

 カチリという音がここねの耳だけに届いた。

「……っ」

 吐き出してしまいたい重苦しさがここねの内に溜まっていく。『死』の呪いを実感していく。

 不快感を覚えつつ、ここねは脱力し前のめりになった妹の身体を抱き留める。

「つきねはもう大丈夫だからね……」

 次にここねが周囲を見渡した時には紅い月の夜は明けていた。服装も元に戻っていて、今二人がいるのは流れ星を見てきた公園の高台だ。どれくらい時間が経っているだろう。

 遠くから聞こえてくる人々が生きる音にここねは少しだけ安堵していた。

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