第2話前編.待ちに待ったスタートライン - 4
姉がそっと閉じたドアをつきねはしばらくぼんやりと見ていた。
——つきねが元気になってくれれば、それでいいから。
自ずと先ほどかけられた言葉を、つきねは思い出していた。その優しさに胸が苦しくなる。
(本当は……一緒に歌の練習をしたり、まね先輩に協力してもらって歌の動画を作りたいに決まってるよ……)
ここねはほとんど毎日お見舞いに来てくれる。すごく心配をかけてしまっている。
どうしてこんな病にかかってしまったのだろうか。
高校生になったら、ここねやまねと軽音部の活動ができると思っていたのに。
病院で過ごしているという思わぬ高校生活の始まりに、つきねはため息をつきそうになる。
「…………」
けれど、別れ際見たここねの顔がよぎり、ゆっくり顔を上げる。
「明日はおねーちゃんと色々話がしたいな」
つきねはスマホを手に取ると、ブックマークに触れてYouTubeにアクセスする。桜ヶ丘まねが作って管理しているチャンネルだ。
つきねとここねが歌っている動画の再生数を見てみると、以前に見た時より増えている。
初めて動画の存在を知らされた時は驚いたし、なんだか恥ずかしかったのをつきねはよく覚えていた。
「まね先輩も心配してるだろうなぁ。早く元気にならないと」
しかし——
つきねの意思とは裏腹に、なかなか病状は回復に向かわなかった。
深夜の空調の効いた病室で、つきねはもう何度目だが分からない高熱に苛まれていた。
「はぁ……はぁ……」
身体が熱い。汗で髪がまとわりつく不快感。息も苦しい。
荒い呼吸に合わせて、つきねの胸が上下する。
(苦しい……このまま死んじゃうの、かな?)
自分の熱さに蝕まれるような感覚から逃れたくて、つきねは窓のほうに寝返りを打つ。
「うぅ……」
瞼を開けると、視界の隅に月があった。半月が少し膨らんだような不格好な月だ。眺めていても、身体の気怠さが紛れるわけでもない。そんな印象もつきねの八つ当たりのようなものだ。
つきねはもう一度身体を動かし、天井を見つめる。
「おねーちゃん……」
スマホのロックを解除して、つきねは動画のブックマークに触れた。ミュートのまま去年の文化祭で歌っている様子を眺める。
今にして思えば大胆なことをしたものだと、つきねはぼんやり考える。
それでも、あの時の気持ちが蘇ってくる。
楽しかった初めてのライブ。もっともっと歌いたいとここねは感想を口にしていたし、つきね自身も同じ気持ちだったのだ。
「元気になって……おねーちゃんと……」
歌いたい。
姉の夢が叶うようにその一番近くで力になりたい。
動画を見ていると音を消していても、ここねとの二重唱が、聴こえてくる気がする——つきねの弱気を払ってくれる。
つきねは額の汗を手で拭って、瞳を閉じた。
その日。着替えなどの必要なものを準備している最中に、つきねがまた高い熱を出したと病院から家に連絡があった。
ここねが母と病室に着いた時はすでに医者による処置は済んでいて、つきねは少し疲れたような笑顔を向けてきた。
「大丈夫……これでも熱が出る回数は減ってるんだよ?」
「でも……」
「すぐ元気になるから……待ってて」
見舞いに来たと言っても、つきねの熱がろくに下がらないままでは話をすることは許可してもらえず、数日分の着替えと以前に二人でリストアップした曲を入れた携帯音楽プレイヤーを置いて、ここねは家に帰ってきた。
「音楽で元気になったらいいんだけど」
病気のことは医師に任せるしかないと分かっていても、ここねは強いもどかしさを感じていた。
辛そうにしているつきねのために何かしてあげたい。けれど、ここねにできることが多くない。
(大好きな妹のためになら……何でもしてあげられるのに)
何かないだろうか。
食事をしていても、入浴をしていても、ベッドに入ってからも——ここねは考え続けた。つきねのために。
その夜、ここねは気づかないうちに眠りに落ちていた。
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