第99話 選挙戦の終焉

 区長が呼んでいるというので事務所に入ると、区長を筆頭に地区の役員が酒を飲んでいた。

 区長と副区長に酒を注いでから、ひとり一人にお礼を言って酒を注ぎ、座卓を一周した。元校長である区長は教師が生徒を諭すように、地区に対する議員としての務めについて懇々と説いていたが、すでに聞く耳を持たなかった。

 昼間、坪田さんから電話があったことを、父から聞いた。

「私の携帯電話に、この番号で着信があったから」

 そう言って、事務所に電話をかけてきたのだという。

 誰も知るはずのない番号だ。ふと携帯電話の嫌がらせの一件が脳裏をかすめたが、立候補を断念せざるを得なかった心境を考えると、ただ気の毒に思えた。

 だが自分なら、負けることを覚悟してでも立候補しただろう。前回の選挙でも、地区から推薦を受けることなく、父と二人だけで運動を始めたのだ。

 最後に、親戚だけが残った。食事の前に、父と僕と母が並んで座り、僕からお礼の挨拶を述べた。

 急に頭の奥が熱くなり、涙が込み上げた。

 前回選挙で敗れた悔しさ、三年四ヶ月にわたる活動が報われたという思い。

 前回応援してくれた人に恩返しができた喜び、足を引っ張った者への意趣返しが叶った嬉しさ。

 ただ独りで続けた長い選挙運動が終わったという解放感。

 過去に失ったものは、もう二度と得られないという虚しさ。

 そんな分類が適しているのか、自信はない。

 すべてが複雑に入り混じっているようにも思えるが、今自分が泣いている理由を、正確に言い表すことはできそうにない。

 ただ涙があふれるばかりである。その涙の奥には、「これですべてが終わったんだ」という思いだけが、確かにあった。

 涙で胸が詰まって、何も話せなくなった。最後に、かすれる声を絞り出し、「ありがとうございました」と深く頭を下げた。

 そのあとで父が僕のこれまでの活動を振り返り、当選の礼を述べた。

 こうして選挙戦のすべてが、幕を閉じた。

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