第98話 茜色の空

 夕方、車は事務所に向かう。

 窓から出して振っていた左手が、日に焼けて赤くなっていた。きっと顔も焼けていることだろう。選挙焼けである。

 初日の選挙戦を終えて、運送会社の駐車場に選挙カーが到着した。

 父がゆっくりと車に歩いて近づいてきた。

「誰も他に出んかったでな。当選や」

 結局、坪田さんは出なかったのだ。掲示板に行き会う度に気になっていたが、ようやく心から安心できた。

「これで、親父を越えたな」

 父の言葉が、胸に響いた。父親から認められたことが、素直に嬉しかった。

 しかし、この選挙は、父の存在がなければ勝てなかった。選対本部に区長と役員がいたから勝てたのではない。僕がさまざまな人との付き合いを広げてきた結果でもない。すべては父がいたから勝てたのだと、心の底から感謝した。

「あとは、おまえの思うとおりにすればいいでな。他のもんの言うことは気にせんでいい。自分自身が決めればいいことやで」

 目を細めて、嬉しそうに父は笑った。

 見上げれば、夏らしい茜色の空が広がっている。この空から、重く覆い被さるような冬空は想像できない。

 朱に霞む夕日が、雲の底を桜色に染める。灰色の空は、どこにもない。

 無投票が決まった時点で、当選を祝うために助役が事務所を訪ね、僕の帰りを待っていた。握手を交わし、お礼を述べた。

 事務所前に区長が立ち、全員で万歳三唱をする。終わってから、万歳のときは候補者を事務所の前に立たせるのが常識だと聞いたが、これから地域のために議員を働かせていくのだという区長の力強いアピールになったんじゃないかと、ひとり心の中で微笑んだ。

 事務所前の道路の真ん中で万歳をした僕は、道路脇に立つ佐久間君を見つけた。

 そばに行くと、佐久間君は

「おめでとう。良かったなぁ。本当に良かった」

 と繰り返す。赤くなった目には、涙が浮かんでいる。

 誰も根っから悪い訳ではない。それぞれに複雑な事情があるのだろう。もうすべて終わったことだ。そして、もう仲の良い幼馴染に戻れない。

 しっかりと手を握り、「ありがとう」と笑顔で応えた。

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