第7話 御辞儀の連夜

 十一月は、選挙対策本部を組んだり、公約を記した名刺を作成したり、その他さまざまな下準備で過ぎていった。十二月に入ると、夜六時から九時過ぎまで、父や母、親戚に連れられ、それぞれの知り合いの家々を回るようになった。

 雪が降り積もった道を、長靴で踏むようにして歩く。鋭利な夜の空気が、冷たく頬を刺す。深い闇と重い雪の毛布が周りの雑音を包み込み、この世のすべてを眠らせたかのような幻想の世界で、踏み締める雪の感覚だけが現実に感じられた。

 電柱の街灯を頼りに、町や村を回る。会話の度に、顔の前に白い息が広がった。冷え切った玄関先で、両親や親戚の紹介に続いて、「この度、市議会議員に立候補させていただくことになりました倉知豊と申します。どうぞよろしくお願いします」と挨拶する。ただそれだけのことを言うのに、寒さですぐに口がこわばり呂律が回らなくなる。そのため、次の家に向かうあいだ、口を大きく開けたり閉じたりして唇の運動を繰り返した。

 名刺を渡し、頭を下げて、次から次へと回って歩く。公約を伝える時間はなく、ただ「お願いします」と頭を下げ、「がんばっての」という言葉に「ありがとうございます」とまた頭を下げる。これが票につながっているという実感はなく、機械的に頭を下げ続けるだけの姿に自尊心が傷つくばかりであった。

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