第四話 秘密を打破した私は(上)
「ほ、本日は……おめでとうございます。えっと……乾杯」
少人数のアットホームな結婚式。その乾杯の音頭という大役を、陽さんは私の彼――深見昌平に指名した。止めた方が良い、と私は何度も言ったのに、彼女は聞き入れなかった。もう、言わんこっちゃない。考えて来たことの九割以上、すっ飛んでるじゃないか。私まで恥ずかしくて、顔を赤らめる。でも……陽さんはニコニコと微笑んで、とても幸せそうだった。
私があの二人のことを知ったのは、まだ寒い日だった。転職をしてからなかなか会えないでいた陽さんと、久しぶりに会った年末の話だ。開口一番、彼女はこう言ったのである。私結婚するの、と。あの時の衝撃ったら、今思い出したら笑ってしまう程。しかも、相手は成瀬くんだと言うではないか。驚きよりも、嬉しさの方がずっと上だったかも知れない。
そして彼女は、私にこのパーティのプランニングを任せてくれた。本当は式とかしたくなかったらしいんだけど、成瀬くんのお母さんがやった方が良いって言ったらしい。それならば、と私に相談が来た訳である。私の転職した先は、ウェディングを専門とするレストラン。そこで、出来れば小さく友人達だけでお祝いをしたい。それが彼女の願いだった。春の大安、日曜日。一番小さなこの会場でなければ、きっとこんなに早くは叶わなかっただろう。
「緊張しちゃった……」
「まぁ、いいよ。陽さんも幸せそうだし。それに見て、成瀬くん」
「あ、あぁ。大丈夫だな」
隣に戻って来た昌平と、高砂席に座る二人を眺める。着物を着た綺麗な友人と談笑しているのだが、その隣にいる成瀬くんは完全に惚気た顔をしていた。昌平と見合わせて、フフッて笑ってしまう。そのくらいあの二人が幸せそうだった。
「なぁ、いつかさ」
「ん?何」
「いや、あ。親とかは来なかったんだな」
何かを言い掛けた昌平が、直ぐに口籠る。こんな時にまさかな、と思うような言い出し方をするから、少しドキッとした。もう変な言い方しないでよ。一人プリプリしてるけど、何も気付かない顔をした。
「あぁ、陽さんには居ないから。成瀬くんのご実家の方だけ、先に挨拶済ませて、写真とか撮ったって言ったかな」
「あぁ、そっか。お母さん亡くなったんだった」
「そう。お父さんも、居ないんだって。私、何も知らなかった」
「えっ、あぁそうなんだ」
昌平が少しシュンとする。それはきっと、彼が彼女の気持ちが分かるからだ。昌平には母親が居なかった。片親で育った思いなど、立場の違う私が分かる訳ない。簡単に寄り添えるとも、思ってはいけない。昌平の拳に、私の掌を乗せる。今は私が隣にいることを、忘れないで欲しい。その気持ちを分かち合うことは出来ないけれど、それだけは覚えていて欲しい。
「さ、昌平。陽さん達のとこ、行こう」
「お、おぉ」
昌平はいつも、何かあると直ぐに下を向いてしまう。その背を叩くのは簡単だけれど、私は出来るだけ、そうしないようにしている。その原因は、結局昌平が解決しなければならないこと。私はこうして彼の手を取って、傍にいるよ、と伝え続けるだけだ。
「陽さん、成瀬くん。おめでとう」
「緋菜ちゃん。昌平くん。有難う」
シンプルなウェディングドレスを着た陽さんは、今まで以上に綺麗だった。やっぱり、花嫁って綺麗なのよね。それはこの仕事に就いて、初めて知ったことだった。初めの打ち合わせに来てから、どんどん、どんどん、花嫁が綺麗になるのだ。あれこれ決めたり、向こうの家族とのことで緊張したり、色々あるはずなのに。当日になれば、内側から幸せが溢れ出しているように綺麗になるんだ。
「あ、ねぇ。もう籍は入れたの?」
「うん。入れた。なので、成瀬陽になりました」
おぉ、と昌平と声が被った。何だか幸せを見せつけられているようで、ちょっと羨ましくなる。やっぱり、幸せを纏ってドレスを着られたら、と思うけれど。今は仕事が一番。折角やってみたいところに飛び込めたんだ。あと数年は、このままで居たい。でも、昌平はどう思っているんだろう。次の誕生日で、彼は三十歳になる。自分の気持ちだけで、突っ走ってはいけないのかも知れない。もし、その時が来たら。私は。
「成瀬くん、ニヤ付いてるから」
「えっ、嘘。結構普通じゃない?」
「いやぁ……なぁ、緋菜」
「そうだね……」
二人でちょっと呆れて見せると、成瀬くんが慌ててキリッとした顔を作る。今日は同僚も来ているはずだ。惚気てばかりもいられないのだろう。
「緋菜ちゃん、昌平くん。ごめんね、これ朝からなの」
陽さんが、誰よりも呆れた顔をする。成瀬くんは不服そうに見えたけれど、彼らの関係性はずっとこんな感じだ。結局成瀬くんは、陽さんに子供扱いされる。対等に並んでいるように見えて、そういう関係性が見事に構築されていた。もうそれが可笑しくて、昌平とつい噴き出せば、また成瀬くんが剥れる。私達四人は、本当に良い友人だと思った。
それから、どちらかの同僚の人が歌い始めて。会場全体が大笑いして。陽さんのお友達が泣き始めて。もう、忙しかった。何だか皆、楽しそうだったから、私はそれだけで嬉しかった。自分が計画した式が、こうして行われる。正式な挙式でなかったとしても、皆が新郎新婦を祝福して笑っているのだ。この仕事を選んで良かった、と一人で満足に浸っている。今回は流石に先輩に就いてやったが、いつか独り立ちをした時にも同じように列席者の笑顔を見たい。それが新しい私の目標になった。
「今日は有難うございました」
扉の前に二人が並んで、一人一人に頭を下げている。着物のお姉さんはまだ涙が止まらないみたいで、陽さんに抱き付いた。余程親しい友人なのだろう。何だかそれも羨ましいな。
「緋菜ちゃん、今日は有難うね」
「うん。もう隠し事はないよね?実は子供生まれましたとか、急に言うの止めてよ」
「あはは。それはない、ない。大丈夫よ」
目尻に涙を溜める程、ない話らしい。そう言われている成瀬くんがまた不満そうで、ちょっと可笑しい。それを見て陽さんがまた笑うから、つい私も笑ってしまった。
何か憑き物が取れたように、陽さんがこうしてスッキリとした笑みを見せるようになったのは、いつからだったか。私たちが出会った頃は、こんなに笑う人じゃなかったと思う。もっと大人しくて、自分の気持ちを前面に出さないような、そんな人だった。きっと、成瀬くんと一緒に居て変わったんだな。愛はいつか人を変える。良くも、悪くも。それは私にだって、同じことが言えるはずだ。
「あれ?昌平は?」
「さっきまでは、ねぇ。居たけど」
「もう。じゃあ、私は挨拶とかしてくるから。今日はここで。本当におめでとうございました。また、後で飲もうね」
「うん。有難うね」
ヒラヒラ手を振る二人に見送られて、私は昌平を探す。会場に戻っても見当たらない。先輩に挨拶に行きたいんだけど。もう、何処に行ったのよ。
「三山さん。無事に終わって良かったね」
キョロキョロしていると、先輩がやって来た。私よりも少し上の先輩。何でもすぐに答えてくれるような、出来る人だ。
「あ、先輩。色々と有難うございました。あの、片付けとか何をしたら良いですか」
「何言ってんの。今日は出勤じゃないでしょう?来客者、よ。いいの、いいの。あれ?彼氏は?」
「あぁ、一緒だったんですけど……何処に行ったんだか」
大きな溜息を吐きながら、もう一度会場を見渡した。まだお洒落な音楽が、静かに聴こえている。もう、と苛立ったところで、シュッと会場の電気が落ちた。え?と小さく声を上げると、フワッと灯りが戻る。そして私が見たものは、さっきから探していた彼、昌平である。
「ひっ、緋菜。あの……その」
「何よ。もう、何処に行ってたの」
「俺と、その……結婚してください」
「は……はい?」
昌平は小箱を差し出して、私に頭を下げた。何が起こっているのか分からない。ここは、私の職場……
「いや、え?何。ここ、私の職場なんだけど……」
先輩がニコニコして私を見ている。何なら、扉の陰に隠れて、成瀬夫妻も覗き込んでいるではないか。これは……、一体。
「どういうこと?」
昌平はまだ顔を上げてくれない。恥ずかしいのと、嬉しいのと、見ないで欲しいのと。色んな気持ちがぶわっと湧いて、卒倒しそうである。見兼ねた陽さんが、ゆっくりと歩み寄って来ていた。え?え?と小さく口から出る驚き。陽さんは私の所へ来ると、静かに背を摩る。
「落ち着いて。緋菜ちゃんは、どう思う?昌平くんの気持ち」
「気持ち?それは……嬉しいけど」
「けど?」
「でも、仕事は辞めたくない」
昌平が顔を上げて、仕事は続けてください、と微笑んだ。先輩もゆっくりと頷く。これも全部、先輩は知ってたってこと?
「昌平くん、色々考えたのよ。騙した訳じゃないの。緋菜ちゃん、今仕事頑張ってるから、大袈裟な時間取れないしって。ね?」
陽さんの説明に昌平が頷く。そしてまた、昌平が肩を丸めた。
「ごめん。本当は嫌だろうなとか思ったけど。俺は、どうしても今伝えたかったんだ」
あぁそんな顔しないで。私は昌平のその顔が一番嫌い。苦しそうに耐えている顔。私が放っておける訳がない。
「もう一回だけ言います。緋菜、俺と結婚してください」
「……はい」
私はその小箱に手を伸ばす。震える手で。音楽と皆の拍手が聞こえる。それに触れると、昌平がグッと私を抱き寄せた。幸せにする、と耳元で囁いて。
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