第一話 私の願い

「荒川さん。ごめん。ここの在庫確認して来てもらえる?」

「えっ、あ。はい」

「うん。ゆっくり、慌てなくて良いから」

「はい。行ってきます」


 確実に間違っている在庫表を、荒川さんに手渡す。彼女はそれを不思議そうに見てから、直ぐに、と駆け出した。落ち着いてね、と私が声を掛ければ、ハッとして振り返る。それから、その赤い顔で、勢いよく頭を下げて背を向けた。それが何だか可愛らしくて、私にもあんな頃があったかなぁなんて、ちょっと懐かしく思っている。


「あらあら。緋菜ちゃんも、随分お姉さんになったわねぇ」

「ちょっと先輩、冷やかしならいりませんよ。褒めてくれたなら、有難く頂戴しますけど」

「褒めてるわよ。最近良い顔するようになったもの。何か良いことあったんでしょ」

「特に……ない、ですけどね」


 苦笑いをする私に、先輩は「本当に?」と覗き込んだ。でも残念ながら、絞り出したってないのだ。彼女の期待するは、今の私にはない。だってそれは、良い男と出会っただとか、彼氏が出来ただとか、そういうこと。既婚の先輩は、独身の恋愛話を聞きたがる傾向にある。私だって聞いて欲しい話があれば、いつだってそうするけれど。今の私は闘っている最中。残念ながら、期待には添えない訳である。

 プライベートは、色々と充実し始めていた。でもその反面で、苦しみの中でもあるのだ。自分で設けたハードルが高過ぎて、今にも昌平へ連絡を入れてしまいそうになる。私だって、会いたいのだ。彼に色んな話を聞いて欲しい。頑張れ、って言われたい。でも、本当に変わらなければいけない私は、何とか友人に鼓舞されながら、挑み続けている。昌平に会うと決めた期限までは、何度転んだって良い。そう思いながら。……でも本当は、今直ぐにでも会いたいんだけれど。


「三山さん。こんにちは」

「いらっしゃいませ。こんにちは」

「ふふふ。今日も良い笑顔ね」

「え、あ。有難うございます」


 私をそう褒めたのは、常連の婦人とその彼氏。笑っていたら良いことがある、と教えてくれたあの婦人である。そして急に褒められた私は素直に礼を述べたが、耳の辺りが熱い。まだこうして素直に受け止めることに慣れていないのだ。えへへ、っと何とか誤魔化して見せると、彼らはまた穏やかに微笑んだ。


「今日はね。来月のお彼岸に、お線香取り寄せておいて貰おうと思って」

「かしこまりました。いつもの白檀のもので宜しいですか」

「そうね。それの贈答用を二つ、お願い出来ますか」

「はい。少々お待ちください」


 上品に婦人は、そう願い出た。きちんとお辞儀をして、私は注文票に記入を始める。昨日、陽さんと一緒に買ったペンで。

 陽さんの話では、成瀬くんがこれを作っている会社に勤めているらしい。そういう話をしたことがなかったから、ちょっと驚いたんだ。ちゃんとした会社で働いてそうだとは思っていたけれど、こんなに有名なメーカーだとは思わなかったから。それを陽さんは、とても優しい顔をして教えてくれた。これは成瀬くんが考えた商品なのよ、と。あの二人は、上手くいっていたのかな。私が変なことを頼んでしまったから、もしかして彼らも会えていないんじゃないか。ようやくその思考に辿り着いて、少し青褪めた。ダメな私を頼ってくれた成瀬くん。その恋を応援すると言ったのに。私は邪魔しかしていない。いつだってそうだった。私は自分のことしか考えていないんだ。成瀬くんが何をしている人なのかとか、興味すら持っていなかった。相手の話を聞こうとすることが、まるでなかったように思う。

 あぁまた一つ見つけてしまった。昌平に会うまでに、もっと大人になっていたいこと。こうしてどんどん、昌平に会える日が遠のいていく。それも全て、私自身のせいだけれど。


「掛け紙はどうされますか」

「いつものように、三山さんお願い出来る?」

「かしこまりました」


 そしてまた思い出す。字が綺麗だと言ってくれた成瀬くん。見過ごしても良いところを、ちゃんと褒めてくれた。私は、彼を何も知ろうとしなかったのに。そんなことに気付けば、またひっそりと自己嫌悪に陥る。このひと月は、こんなことを毎日のように繰り返していた。


「三山さん。良い顔しているわね」

「そ、うですかね。有難うございます」

「そうよ。笑って。あなたは美人さんなんだから」

「へへへ。有難うございます。お恥ずかしいです」


 これはやっぱり上手い返しが見つからない。でも、ちょっと素直に受け取ってみようと思っている。同年代の人間に言われることは、その裏に何かあるかも知れないけれど。こうして年配の人が微笑みながら言うことは、そうするのが正解だと思ったのだ。


「では、承りました。来月になれば、届いておりますので。いつでもご予定の合う日にお越しください」

「分かりました。お代は引き取りの時で良いのかしら」

「はい。大丈夫ですよ」


 入口へ近づく二人の脇に付いた。前は店内で見送るだけだったけれど。そんなに忙しい店ではないのだ。丁寧に一人ずつ見送ったって、罰は当たらない。


「有難うございました。お気を付けて」

「こちらこそ、有難うね」


 今日はこれからあんみつを食べるの、と私に身を寄せて、悪戯に笑った彼女。可愛らしく、幸せそうだった。紳士も穏やかにそれを見つめる。とても羨ましい、私の目標だ。出来ればこの二人が夫婦なら、まぁきっと、もっと良かったのだろうけれど。有難うございました、と深々と頭を下げ、去って行く彼らに小さく手を振った。仲良く並んで歩く二人の背中。それは寄り添い合って、時々視線を合わせた。幸せそう、と零すと、私は少し伸びをする。外はまだ寒いのに、何だかそれがパリッとして清々しかった。


「よしっ、頑張れ」


 小さく自分を鼓舞する。こうしていれば、上手くいくような気がするのだ。自分に掛ける暗示だろう。昌平に会いたい気持ちが顔を出すと、私は直ぐに焦ってしまうから。一日に何度も何度も、こうして自分を鼓舞している。

 本当は今朝だって、昌平に連絡しようと思った。ちょっと今は会えないけど頑張ってるよ、って。それから、あの時叱ってくれて有難う、って。でも簡単にそうしない程に、私の決意は固かった。一度気軽に連絡してしまったら、昌平に今直ぐ会いたくなってしまう。それじゃ駄目なんだ。本当は、不安だよ。不安になると直ぐに、頭の中でルイが不敵に笑うんだ。ハテナマークの取れたルイ。もしかしたら、もう既に昌平の隣にいるかも知れないルイ。頭をブンブン振って、私は恋敵を消した。

 そんな怪しい行動をしていた私を訝しむように、荒川さんが立っていた。いや、申し訳なさそうな顔、なのか。


「三山さん。すみませんでした。在庫間違ってました」

「うんうん。確認出来たね。いいよ。次は気を付けようね」

「はい。有難うございます」


 彼女は、昔の私よりもずっと素直だ。真っ直ぐに、未来を見ながら生きている。負けていられない。


「さ、今ね。商品取り寄せの依頼があったから、それをやろうか」

「はい。お願いします」


 もしかしたら、昌平はルイに靡いてしまうかも知れない。でもそれも仕方ない。例えそうなったとしても、変わった私を彼に見せたい。その思いは変わらずに在った。あの婦人のように、年を老いても、幸せに微笑んでいたい。その隣に昌平が居ても、居なくても。

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