第一話 私の為に
「ハッピーバレンタイン」
「……はぁ?」
テレビから聞こえて来た声に苛ついて、つい声を出した。まだ潤いのある肌をした若い女の子が、チョコレートの宣伝をしているだけだ。それを微笑ましく見ることも、気にしないことも出来なかった私。溜息を吐きながら、テレビを消した。今日というイベントを考えないようにしているのに。実際は、そう簡単にはいかないものだ。
「あぁ……バレンタインかぁ」
結局、頭にこびり付いてしまった。ホットミルクを口に運んで、零れるのは溜息。自分で決めたことなのに、昌平のことを考えると、直ぐその気が緩みそうになる。あぁ、ルイにチョコレート貰ったのかな。やっぱり……嬉しいんだろうな。悪い方向にばかり発達する妄想に、乙女心はしゅんと萎れる。何の連絡も着ていない携帯。その寂しい画面に映る動物園で撮ったゴリラが、アイコンの隙間から私を見ていた。
「ルイは近くに居るんだもんなぁ」
彼女は、昌平の同僚。ほぼ毎日顔を合わせているのだろう。それに比べて、私は飲み屋で友人になった程度の女。比べてしまうと、何だか情けない関係だな。自信を失くし始めた私に、化粧っ気のない顔が勝ち誇ってニヤリとする。可愛らしい訳でも、美人な訳でもない。そう思った彼女が今、昌平の隣に居るのかも知れない。
外見だけは、今外でも負けると思っていない。それを維持する努力は、今だって怠っていないのだ。だけれど、私は選ばれなかった。外見ではない部分が、負けたのだ。彼女がどんな人なのかは知らない。夢を持って就いた仕事の先輩。昌平が憧れ、彼女から得ることも多いのだろう。敵は、何歩も何歩も先を歩いている。
「敵、か」
違う、そうじゃない。恋敵であることは変わりないけれど、勝ちや負けだとか、そう言うことじゃないんだ。気にしなければいけないのは、結局、自分が自分らしく生きていけるか。そうすればきっと、輝けるのだと気付いた。前に常連のお婆ちゃんに言われたこと。笑っていれば良いことがある。それも心の底から笑っていられた時、それが多分『幸せ』ということなのだ。
こんな風に考えるようになった私を、昌平はどう思うかな。まだ、変わったと思って貰える程ではないだろうけれど、それでも少しは成長を感じて貰えるだろうか。自分で決めたゴールは四月。それまで、私は色んな知識や経験を得ていたい。昌平に認めてもらえるように。
「会いたいよぉ……」
声に出すと余計に寂しくなる。思わず表示させた昌平の連絡先。発信は押せない。あぁこんなに昌平のことを好きになるとは、思いもしなかったな。もっと早く気付けていれば、と思うこともあるけれど、こうなったから得た感情でもある。自分に素直に生きると決めた今、心は少しだけ軽くなった気がしていた。
会いたいと思うことは、より彼への想いを強くさせる。自分の中にくっきりと、昌平への気持ちが存在していた。ホント、笑ってしまう位に。それでも、こうすることは自分で決めたこと。陽さんは何度も、本当にそれで良いのかと聞いて来たけれど。それでも私は、その意思だけは固いのである。自分では成長していると感じているけれど、昌平が見たら何も変わっていないかも知れない。溜息を吐かれて、呆れた顔をされたらどうする?そうしたらきっと、もう恋愛対象にはなれないだろう。『反省して、変わった私を見て』と胸が張れる程に、まだ私は達していない。会いたいから、とここで妥協しては駄目だ。それじゃ意味がない。焦って、表面を変えただけじゃ意味がないんだ。きちんと根本から立て直しをしないいけない。急ごしらえに表面を繕うだけでは、直ぐにメッキが剥げるだろうから。
これは昌平の為でも、何の為でもない。ただ私自身の為の我慢で、成長の時間なのだ。
「よしっ」
自分に気合を入れて、帰宅後何度目かのメール画面を見た。『申し込み完了しました』と書かれたそれは、私をまた鼓舞するのだ。
今日は陽さんに、自分の意志を宣言した。々と、という程ではないけれども、私なりに、悩み抜いた結果だ。陽さんはそれを笑ったりしなかったし、見守って、背を押してくれた。ブライダル業界への転職に有利だという資格に申し込んだ時なんて、私だけじゃなく陽さんまで、緊張で気持ちが悪くなったくらいだった。私は、良い友人が居る。大丈夫だ。
カフェを出て、本屋に行って、雑貨屋でノートなんて買って。私一人じゃ出来なかっただろう準備を、二人でした。楽しかったし、何より心強かった。帰宅した時は歩き疲れて、そのまま寝てしまいたかった位だ。きっと今までならば、そのままベッドに潜り込んだだろう。でも、今の私は違う。きちんと湯に浸かり、ストレッチもした。そして酒を飲まずに、ホットミルクを飲んでいる。
「成長したなぁ、私」
自分で零して、フフッと笑った。自分のことは、まず自分で褒める。褒められるのを期待したら、そうされなかった時にがっかりするから。誰の為でもない、私の為に。私のことは、私が一番味方で居てあげないといけない。
「あぁ……昌平、元気にしてるかなぁ」
自分に素直でいたい。そうするとどうしても、こういう気持ちが漏れ出してしまう。でも本当に、昌平はどうしているだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます