第二話 新しい僕のバレンタイン

「成瀬さん、今夜はデートですか」

「は、何だよ。藪から棒に」


 仕事の合間に、コーヒーを飲んでいた僕に、後輩がそう話し掛ける。そう聞いて来た理由は、片手に携帯が収まっているからだろう。ただ残念なことに、これは見ているだけで連絡など来ていない。欲しい連絡は、何一つ来ないのだ。陽さんからも緋菜ちゃんからも。暇つぶしにニュースサイトを見ていただけである。


「いや、だって。一応バレンタインじゃないですか」

「あ、あぁ……そうか」


 別に毎年楽しみにしていた訳でもない僕は、特別な思いもなく『ごく普通の平日』として過ごしていた。今時は女子社員もチョコレートを配ったりはしないし、彼みたいな若い男性社員がその売り場に行っていたりする。時代は変化するものだ。

 で、その彼は、聞いて欲しそうな顔をして僕を見る。きっと触れて欲しいのだろう。今夜の予定を。


「そう言う自分はどうするの」

「俺っすかぁ。今日は彼女と会うんですよ」

「おぉ、良かったな」

「そうなんすよ。だから、高級チョコレート買っちゃいました」


 時代の変化は、こういう事らしい。そもそもは大切な人に贈り物をする日だから、これで正解なのだろう。チョコレートである必要がないだけだ。 

 でも悲しいかな。バレンタインだと言われると、ついチョコレートが食べたくなる。僕が彼のような新しい感覚を得るのには、相当勇気が必要だな。確か三つしか離れていないはずなのに。随分と彼が若々しく見えた。あぁそうか。年の差が三歳とは、このくらいの感覚なのか。実際にはそこまでの差はないのに、何だか凄く若さを感じることがある。陽さんが僕を子供扱いするのも、そう言う感覚なのかも知れないな。きっと僕は、いつまで経っても彼女の中では『男の子』のままなのだろう。


「成瀬さん、最近ちょっと良さそうな人いましたよね?」

「ん、そんなこと言ったっけ」

「いや、聞いてないですけど。でも顔見てれば分かりますよ。クリスマスの頃とか、どことなく楽しそうだったし」

「そう、か。そうだったかなぁ」


 クリスマスなど遠い昔の様な気になる。あの日は、仕事終わりに急いでプレゼントを買ったな。自社製品の寄せ合わせ。落ち着いて考えれば考える程、プレゼントと呼べるような代物ではない。でも、陽さんは喜んでくれた。あの笑顔をもう一度、見られる日は来るのだろうか。


 あれから僕は、陽さんと会えていない。何度か誘ってはみたものの、年度末に向けて忙しいらしく、なかなか首を縦に振ってくれない。電話には出てくれるから、拒否されている訳ではないだろう。ただ返事が芳しくないだけ、だ。

 それに、緋菜ちゃんのことも引っ掛かっていた。連絡は入れ続けている。大丈夫?とか、元気にしてる?とか、その程度だけれど。そっちの様子も何の変化も見られない。昌平くんも焦っていて、僕らは強行突破するしかないような考えになり始めていた。


「ねぇ、女の子が会いたくない時ってどんな時だろう」

「何ですか、急に。嫌われてるとかじゃなくて?」

「まぁそれが普通なんだけどさ。それ以外って何かあるかなって」


 あまりこういう話は会社でしないのだが、たまには若い子の話も聞いてみたかった。何かヒントをくれるかも知れない。そんな希望を少し持っている。


「それ以外……ですか。何だろう。俺も一応男なんで、まぁ想像ですけど。例えば、別の男とこう……天秤にかけてる最中だとか?」

「別の男、か。あぁなるほどなぁ」

「成瀬さん。そんな難しい恋してるんですか」

「は?あぁそういう訳じゃないよ。僕と言うか、友人の助太刀しててね。どうも上手くいかないんだ」


 本当はどっちの為に聞いたんだろう。どうにもならなくなっているのは、僕も昌平くんも同じ。表向きはそう答えるが、僕に浮かんでいるのは陽さんだけだった。


「なんだ、成瀬さんの話かと思ったのに」

「おぉ、それは残念。僕は別に……まぁ普通だよ」


 溜息を零しそうになって、コーヒーを口に付けて誤魔化す。普通って何だよな。自分で言っておきながら、苦笑いした。

 陽さんに会いたい。彼女は大丈夫だろうか。あの男に、何かされていないだろうか。本当は、心配で心配でたまらないのに。僕は今、待つことしか出来なかった。


「何すか、普通って」

「いや、何だろうな。まぁいい。今日は早く帰るんだろ。さ、仕事戻るぞ」

「はぁい。あ、成瀬さん。会いたくないって言うか、本当に仕事が忙しいかも知れないじゃないですか。職種によっては、年度末近いし。だとしたら、チョコだけ渡して直ぐ帰るってのも、ありだと思いますけどねぇ」


 なぁんてね、と彼は笑った。少し僕に意地悪な顔をして。


「あのさ。僕の話じゃないからね」

「分かってますよ。さ、仕事しましょ」


 明らかに僕に向けられていたその提案。呆れ顔を作って彼に向けたが、どう思ったろうか。

 あぁでも、チョコレートを買って、か。陽さんに会えなくても、それをポストに入れても良いかな。結局彼の思い通りに、僕はそんな考えを張り巡らせる。可能性があるなら、何でもしたい。多分、僕と昌平くんは今そんな思いで一杯だ。帰りにチョコレートを買ってみようか。男一人で行くのは、恥ずかしくないかな。堂々としていれば、気にならないだろうか。


「あ、成瀬さん。俺がチョコレート買ったお店、送っておきますね。きっと一人でも入りやすいから」

「え、あぁ有難う。でも僕の話じゃないからね」

「まぁまぁ。そんな話してたら、食べたくなったでしょ」

「まぁ……確かに?」


 何だか思惑通りに動かされている感があるけれども、有難いことだ。だって簡単に僕は、帰りにそこへ行ってみようと思い始めている。少しだけ、ワクワクする気が湧いたのも確かだ。恋の相談とは面と向かってしたことはないけれど、誰かに違った考えを貰うことは、良いことなのかも知れないな。僕らは、仕事頑張りましょ、と笑って背を向け合った。


 自席に着くと直ぐに、彼からメッセージが届く。『もし持って行くならメッセージも付けるといいよ、ってご友人に伝えてくださいね』と付け加えられて。僕は、『ありがとう』と返し、仕事に気持ちを切り替えた。

 それに、僕はきっと、早くあの男と別れて欲しくて焦っている。今はまだ友達。自分でそう決めたのに。でもチョコレートを渡すのは、ただ友人として。お疲れ様、という意味ならば許されるはずだ。そう言い聞かせた。


「ん?」


 携帯が二度震えた。一度目は後輩からの返事だろうと思ったが、二度目は何だ。僕は確認だけしておこうと、携帯に触れる。もしかしたら、陽さんからかも知れない。そんな淡い期待を持って。

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