第一話 私が崩れる音(下)

 キリッとした顔を保って、荒川さんを案内している。心内は動揺していて、ニコニコ笑顔を絶やさない彼女に、恐怖を覚え始めていた。その表情の裏で、本当は何を思っているのだろう。今まで気にしたことのない感覚が、次第に大きくなり始めていた。


「やっぱり東京だと、小さめのお仏壇の方が多いですか」

「地方によっては大きな物が当たり前のようだけれど、都心は置くスペースも限られているから、比べたら小さい物が多いのかな。最近は小さめのモダンな物も沢山出ているしね」

「なるほど。そうなんですね」


 どうでもいい様な雑談まで、彼女はメモに取っているようだった。それだけでも、入社時の私とは違う。彼女がしてくる質問だって、随分としっかりしている。それに比べて、何も考えずにフワフワと働き続けている私。何だか試されているみたいで、生きた心地がしない。「随分、勉強熱心ね」と、ぎこちなく問いかけた。いつもなら言わないようなこと。ただ、間が怖かったのである。


「お家にお仏壇があるの?良く知ってるわね」

「お仏壇……と言うか、本堂があって。私、寺の娘なんです」

「あっ、へ、へぇ。そうなんだ。じゃあご実家を継ぐの?」

「いえ。実家は兄が。私もって手は上げたんですけどね。やっぱり兄には適わなかった。だからと言って、直ぐに別のお寺に嫁ぐのも嫌でしたから」


 彼女は苦笑する。今少し聞いただけでも、まるで私の知らない世界の話だった。確かに高卒十八歳で嫁ぐのは嫌だろうな、と言う位は理解出来るが。まぁ寺の娘なら、贅沢をして暮らして来たのだろう。


「大学とかは考えなかったんだ」

「考えましたけど、行くならば自分で貯めたお金で行きたいと思っていて。田舎の小さな寺なので、そんなに裕福じゃないんですよ。檀家さんも少なくなりましたしね。なので、早く自立がしたいんです。二十歳まではしっかり働いて貯めて、それから次のステップを考えます」

「ステップかぁ。偉いねぇ」


 希望した訳でもないここに就職をして、何も考えずに生きて来た。社会人になって興味のある仕事はあったけれど、学歴や何かで直ぐに諦めた。そんな私との差に、冷や汗が出るようだった。勿論、置かれた状況の差もある。彼女の実家は寺、私はただのサラリーマン家庭。それでもそれ以上に、考え方や意識、違うものが大き過ぎた。私が十八だった時、こんなに考えたことがあったろうか。目の前に並べられた選択肢をチョイスして、のらりくらりと生きて来たようなものだ。ちゃんと考えろ、と言われたって、社会のことなど良く分からなかったから、知ろうともしなかった。それと比べて、彼女はどうだ?二十歳までは貯めて、それから次のステップ。段階を踏んで、きちんと何年も先を見据えている。私は?ズルズルと何も目標もないまま仕事を続け、貯蓄があります、と胸を張れるほどの貯金もない。あれ……私、今まで何をしていたのだろう。目の前がドンと暗くなる。そして一気に、血の気が引いていくようだった。

 ふら付く自分を奮い立たせるうちに、中身を磨け、と言った顔がフラッシュバックする。忘れていたのに。あの時の悔しさまで、ぶり返して来る。外見を整える、努力は惜しまない。それは自信を持っているけれど、こうして他人に堂々と言えるだろうか。比べる物ではないのに、自分があまりに薄っぺらく感じ始めた。私にだって、それ以外に誇れる物や目標にしたいことがある。あるはず……だ。


「偉くはないですよ。友人たちの方がしっかり考えてて、恥ずかしいくらいです。目標を持って、大学受験を頑張ってる子ばかりで」

「そっかぁ……そうだったっけなぁ」

「三山さんのは分からないですけど、私の周りは結構そういう子が多いですね」


 とどめを刺されたようだった。。そう若い子に線を引かれるくらいの差が、ここに在ることを実感する。そんな些細な言葉に、頭を鍋で殴られるような衝撃があったのだ。若さでは、確かに彼女に勝てない。外見は負ける気はしないが、二年も経てば二十歳と三十路。肌の張りも化粧のノリも、きっと違う。あれ……?誰か助けて。私が誇って来た物が、壊れてしまう。少しずつバランスを失った心が、ぐわんぐわんと揺れた。バラバラと私の中身が崩れ始める。その音を聞きながら、私は凍り付いた笑顔を浮かべている。

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