第四話 私の苛立ち(中)

「遅くなってごめんね。先に食べててくれた?」

「うんうん。待てなかった」

「良いんだよ。ごめんねぇ。私も何か食べようかな」

「あ、ここね。トマト系のパスタが美味しいみたい」


 へぇ、と言いながら、メニューを覗いた。成瀬くんから着たメッセージが引っ掛かりはするが、相手も着席から同時に殴り合うことはしないだろうと踏んでいる。現に、私が遅れて店に着いても、緋菜ちゃんは特にいつもと同じだった。それならば、私もいつも通りにすればいい。それだけだ。


「緋菜ちゃんは、何にしたの?」

「私はねぇ、このトマトスープのヤツ。美味しかったよ」

「本当?じゃあ同じのにしよっかな」


 ニコニコする彼女と笑い合って、店員を呼ぶ。同じパスタとビール。それだけをとりあえず頼んだ。話が長くなるのかどうかは、まだ読めない。


「緋菜ちゃん。この間、ごめんね。前の日からバタバタしてて。直ぐに返せなくって。それで大丈夫?」

「あ、うん。流石に落ち込んだけど、ちょっとは復活した。まさかルイに会うとはなぁ」

「そうだよねぇ。偶然って怖いね」


 ホントだよ、と緋菜ちゃんは大きな溜息を吐く。長い睫毛が、愁いを帯びたように、わざとらしく揺れた。

 緋菜ちゃんは、昌平くんの態度を見て、ルイという同僚に恋をしていると思ったようだった。だけれども、そんなことはない訳で。つまりは確実に、彼女の誤解なのである。そして私の想像では、その面白くなさが緋菜ちゃんの顔に出ていた。態度にも出たのかも知れない。それで昌平くんが苛立った、と予想している。

 私に話す様子からして、緋菜ちゃんが面白くなかったのは確かだ。それを隠せたかと言うと、私の印象では五分五分。いや、七三で隠せなかっただろう。それでも大人として、同僚の先生には喧嘩を吹っ掛けたりはしてない。それだけは信じている。


「それにしても、昌平から何の連絡もないの。あの時だって、一度も振り向かなかったし。ちょっと良い感じだなって思ったんだけどなぁ」

「私もそう思ってたんだけれど」

「でしょ?昌平は、何考えてるんだろ。あの女……年も上だし、そんなに美人って感じでもないの。普通。本当に普通の人なんだよ」

「そ、そう、なんだぁ」


 これは何?私に、緋菜ちゃんの方が魅力的なのにね、とでも言わせたいのか。

 あの女、なんて言い方、一体何様のつもりなんだろう。だって、相手はただの好きな人の同僚に過ぎない。その先生の方が昌平くんを好きだったとしても、だ。何だか嫌な気持ちが、腹の底で蠢いている。先に運ばれて来たビールを流し込んで、少し気を紛らわせた。


「ねぇ。陽さんにも、昌平から連絡着てないの?ほら、成瀬くんから何か聞いてるとか」

「あぁいや、二人からは……何も」


 僅かにそれを期待していたのだろう。私の答えに、明らかにムッとした感情が表に出た。何だよもう、と彼女はビールを飲み干し、また同じ物を頼んだ。


「昌平くんもさ、謝るタイミング逃してるのかも知れないよ。そう言うのって、ほら、私よりも成瀬くんと話してるんじゃないかな」


 彼らが今日示し合わせているのは、どんな要因かは知らない。純粋に恋愛相談をしたのかも知れないし、さっき私に送って来たメッセージの件を話していたのかも知れない。仲直りがしたい、とは言っていたが、本当だろうか。私の感覚では、それは……ない。

 でも緋菜ちゃんは素直に、私の意見を受け入れた。それから、普通は男同士で相談し合うよね、と納得している。そんな二人の間に運ばれて来た、新しいビールとパスタ。緋菜ちゃんが無言でグイっと口を付けると、これは何杯目なんだろう、と不安になった。


「いただきます。……あ、本当。これ美味しいね。モッツアレラとトマトってホント合う」

「でしょ。寒かったし、こう言うの良いよね」

「うんうん」


 味に共感したのが良かったのか、緋菜ちゃんはニコッと笑った。でもその可愛らしい笑顔は、長くは続かない。直ぐに考え込み始める。それは、あからさまに。私は悩んでいます、とアピールするかのようだった。


「陽さん。私の何がいけなかったの?」

「えっ?いけなかった……と言われても、その時の様子を見てたわけじゃないからなぁ。緋菜ちゃんが思ったこと、感じたことは聞いたけれど、昌平くんがどう思ったかは分からないでしょう?」

「それはさ、そうだけど」

「緋菜ちゃんの気持ちに、昌平くんが気が付けなかったとか。そう言うことはあるかも知れないけどね」


 何とかフォローする言葉を探った。心構えが問題なのでは?と思っていても、落ち込んでいる彼女の傷口に塩を塗るようなことは、流石に言えない。バッサリ言ってしまえば私は楽だろうが、彼女はそれを望んではいない。緋菜ちゃんの方が素敵なのにね、と慰めて欲しいのだ。


「じゃあさ。私の良さって何?」

「そうねぇ。私はね、言ったことはちゃんとやるとか。結構可愛らしい所があるとかね、色々思うけど。緋菜ちゃんは、自分ではどう思う?」


 パスタをクルクル巻き付けながら、私は問い直した。残念ながら、美味しいと感じたパスタの味は、もうちっとも分からない。


「まだ若いし、それと美容は頑張ってる」

「うん……そうか」

「ん?違う?」

「いや、そうだよね。頑張ってるもんね」


 私の同調に、彼女は満足気に頷いた。何に引っ掛かって、何を言おうとしたのかは、気にならないらしい。これは本当に、誰かが彼女に気が付かせる必要があるのではないだろうか。もう二十七歳。若いと形容され、それだけで許されるような時間は、もう終了間近だ。


「そうなの。頑張ってるの。それなのに、どうして?あんなに冴えない女の方が良いの?私の方が若いし、私の方が……」

「私の方が?」

「あぁ、いや。何でもない」


 多分続けたかったのは、綺麗なのに、だろう。そう思えてしまう感情は、私には残念ながらないので、共感は出来ない。ただ緋菜ちゃんは、それを躊躇う気持ちはあるのか。他人に曝け出してはいけないと、内側でストップを掛けている。

 何だかちょっとだけ、可哀相だな、と思った。今まで自信にして来たであろう『若さ』と『外見の良さ』が、昌平くん――初めての片想いの相手に通じなかったのだ。自信を失くしてしまったのかも知れない。そして同時に、私の中に苛立ちも芽生えていた。彼女は直接は言わないが、その自信を讃えて欲しいのだろう。初めて会った時にも感じたことだが、若さや外見だけに自分の良さを見出すのは危険だ。そろそろ気が付かなければ、本当に手に負えなくなる。いつまでも若い訳ではない。美人だって内側から輝けなければ、それはきっと直ぐに窄んでしまう。パスタを絡めながら、私は悩んでいる。ここは言ってあげるのが友人だろうか、と。


「何か今年は上手くいかないんだよ。色々」

「そうなの?まだ始まって五日だけれど」

「今日は仕事でも怒られた。もう新人じゃない、ベテランだとかって。たまたま高卒で、年数が長いだけ。私だって、まだ若いのに。酷くない?」


 あぁ会社でも同じなんだ。そうだろうな、と思わないでもなかったが、それでも社会人として、線引きはしているのだろうと思っていた。それすら出来ないのか。高卒でも、立派な人はいる。これは完全に緋菜ちゃんの心の問題だ。


「酷いかどうかは、ちょっと分からないかなぁ。その時の様子は、私は分からないからね。それを知らずに、酷いねって同調するようなことはね、ちょっと出来ないかな」


 やんわりと彼女の言い分を突っ撥ねた。当然、緋菜ちゃんは面白くないだろう。はぁ?と言わんばかりの顔をして、こちらを見るのだ。私は反論もしなければ、いつでも全てを受け止め、褒めてくれると思っていたのだろう。だから気に入らないのだ。どんどんその感情が露わになる。眉間に皺を寄せ、片眉を釣り上げ、今にも怒りを口にしそうな表情だった。


「ねぇ、友達が落ち込んでるのに、そんな風に言う?普通」

「うぅん、そうねぇ。落ち込んでるかもしれないけれど、正しいことを言ってあげるのもお友達だと思うけれど」


 ここで緋菜ちゃんを落ち着かせる為に、まぁまぁ、と言ってしまったら良くない。初対面の時に私が感じたことは、きっと彼女の周りにいる人も感じているだろう。けれど指摘をするに至っていないのか、指摘を避け、スルーして来たのか。

 彼女は今にも、弾けてしまいそうだ。別に言い合いになっても、彼女が理解をしてくれればそれで良い。


「あぁぁ。成瀬くんも、どうして陽さんを選んだんだろ」

「えっ?」

「だってそうでしょ。私の方が先に知り合ってたの。陽さんよりもずっと若いし。それに」

「はぁ……それに私の方が美人なのに?」

「そんなこと、言ってないじゃない」


 折角お友達が出来たと思ったのに。腹を割って話せるような仲には、今は到底なれそうにない。事実を伝えてあげることは、誰の為でもない。彼女の為だ。緋菜ちゃんは何も答えず、ただ凄く嫌そうに私を睨み続けている。


「でもずっと、そう思ってたでしょう。私だけじゃない。昌平くんの同僚の先生にも、それから別れた彼が選んだ女性にも。私の方が若いのに。私の方が美人なのにって。流石に口には出さなかったと思っているけれど、心の中ではそうやって、いつも誰かを見下して来た。違う?」


 緋菜ちゃんはまだ、私をギロッと睨んでいる。威圧のつもりなのか。でも何も言わないのは、事実を突かれたからだろう。もうオブラートに包んでいる場合じゃないのだ。成瀬くんたちが来たのかどうか見えないが、もう事実を伝えてあげるべきだ。


「だから、許せなかったのよね。どうして私を選ばないのって。自分に楯突いて来る人間は、皆嫌いなのよね」

「そんなこと……そんなことない」

「本当?じゃあどうして、成瀬くんは陽さんを選んだんだろうって言葉が出るの?今、私があなたの気持ちに同調しなかったから、面白くなかったのよね?」


 努めて冷静に言葉を選んだ。フォークを静かに置き、彼女を真っ直ぐに見る。睨みはしない。同じ土俵に立つのは嫌だから。ただ僅かに優しく微笑んで、彼女の反応を待った。視界の端の方で立ち上がろうとする影が、もう一人に力づくで止められている。

これはもう、変に濁してはいけない。事実を伝えてあげる、だなんて、結局は私のエゴだけれど。そのせいで、恋も仕事も上手くいかないのなら、友人として伝えなければいけない。


「違った?緋菜ちゃん。答えなくても良いから。けれど、自分の中で心当たりがあるのなら、それは正した方が良いと思う。今からでも遅くない。大丈夫よ。ね」


 コテンパンにやり込めたい訳ではない。こんな私の唯一の女友達なのだ。心から幸せに生きていて欲しいと願っているだけ。でも緋菜ちゃんは、そうではないようだ。私を親の仇のように睨み、強く唇を噛んでいる。そのうち、何よ、と小さく言った。


「陽さんは、間違ったことは言わないの?ねぇ。彼氏がいるくせに、成瀬くんにもいい顔して。あんたのしてることって、最低じゃない。私に説教出来る立場なの?」

「え……?」


 緋菜ちゃんは一気に、私に対してのどす黒い感情を吐き出した。ただ、何を言っているのか分からず、返す言葉が見つからない。彼氏がいるくせに、って何?一体何のことを言っているの?

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