第三話 それは、俺のせいなのか(上)

『おはよう、成瀬くん。あのさ、陽さんとのランチってどうなった?』

『陽さんがどう返事したか分からないけど、多分あれは男がいるよ』

『だから、気を付けて。騙されたりしないようにね』


 俺に手渡された成瀬くんの携帯電話には、今朝、緋菜から成瀬くんに宛てられたメッセージが表示されている。その画面をスクロールしながら、俺はゆっくりと彼らのやり取りを確認することにした。緋菜の棘のある言い方に苛々しながらも、何故こうなったのか、を冷静に考えようとしている。正月に皆で会った時は、普通だったし、楽しそうにしていた。と言うことは、二日以降に陽さんと何かあったのだろうか。


「成瀬くん、その……初めに一つ確認をしたいんだけれど。いい?」

「あ、はい。何でも。答えられることなら」

「そもそも、成瀬くんは緋菜のこと好きだったんじゃないの?」

「あ、えぇと。それなんだけど……」


 メッセージのやり取りの中で、彼は『もしも彼女に彼がいたって、僕の気持ちが変わる訳じゃない』と返していた。緋菜から話は聞いていたが、今の問題を俺たちで話し合う前に、きちんとクリアしなければならない問題だと思ったのだ。成瀬くんはちょっと気不味そうに目線を外すと、キュッと唇を結ぶ。何かの覚悟を決めたように。


「昌平くん。ごめん」

「えっと……何を、ごめん、な訳?」

「あぁえっと……実は、あの時。緋菜ちゃんがフラれたって、陽さんと初めて会った時。僕は、昌平くんに自分の気持ちに素直になって欲しくて、緋菜ちゃんを好きなんでしょ?って聞いたの。僕が狙っても良い?とも言ったかな」


 成瀬くんは、申し訳なさそうに眉尻を落として、力ない笑みを作った。

 あの日、緋菜がフラれた日。成瀬くんが、僕が緋菜ちゃんを狙っても良いんだね?と真面目な顔をして俺に言ったことは、今でも良く覚えていた。街灯のぼんやりとした薄明りの中で、彼の放った言葉に心臓が大きな音を立てたんだ。


「本当はね。昌平くんって、緋菜ちゃんのこと好きなんだなぁってずっと思ってたから、チャンスだよって言うつもりだったの。でもそう素直に言っても、認めないだろうことは分かってた。だから、嗾けるようなことを言ってしまったんだ」

「けし、かける?」


 つまりは初めから、成瀬くんは緋菜のことを好きだった訳ではない、と?俺はちょっとずつ、パニックになった。初めは、緋菜のことを好きだったのだろうと思っていたからだ。それから心変わりをして、陽さんを好きになった。そう思っていたのに。


「そう。ごめんなさい。本当は、そう嗾けて、直ぐに訂正するつもりだったんだ。今それはヤダって思わなかった?って。でも、そのタイミングを逃しちゃって」

「緋菜のことは、好きな訳じゃない」

「そうだね。そう思ったことはないんだ」

「そうなんだ……そうなんだぁ」


 ここ数ヶ月。俺は彼を勝手に恋敵だと祭り上げて、敵対視していたところがあった。それでも成瀬くんには勝てない、と直ぐに負けを認めてしまうんだけれど。本人の口から、それが真実ではないと聞いた今、急激に安堵が押し寄せる。緋菜とのことは置いておいて、成瀬くんと闘ったりしなくて良くなったことがそうさせているのだ。大人になって出来た友人。ちょっと年上の頼れるお兄さん。それだけの関係に戻れることが、本当に嬉しいのだと思う。


「もう……早く言ってよ」

「そうだよね。ごめんなさい」

「いや、うん。言ってくれて有難う」


 二人して変な顔して苦笑して、ジョッキを小さくぶつけた。目の前に置かれたキャロットラペをつまみながら、成瀬くんはまた「本当にごめんね」と謝る。いつもの、俺が思っていた通りの、優しい彼だった。


「あぁ、もうホッとしたからさ。ちょっと終わった感じになってたけど、それ。緋菜のことなんだけど」

「う、うん。何か知ってるの?」


 俺の切り出しに背筋を伸ばした成瀬くんは、真面目な顔でこちらを見た。だから、正月二日の出来事を素直に話すことにした。瑠衣先生に会ってしまったこと。でもその前は、ちょっと楽しかったこと。成瀬くんには言えなかったけれど、このまま上手くいけば良いなぁと思っていたこと。順を追って話す俺に、成瀬くんは茶々を入れることなく、相槌を打ちながら聞いていた。


「昌平くんが分かっているのは、そこまでってことだね」

「うん。で、その後は、俺には何も連絡がない」

「そっか。緋菜ちゃんのことだから……きっとそのことを陽さんに相談しようとしたろうね」

「そうだと思う」


 緋菜はきっと、陽さんに泣き付いただろう。でも陽さんから俺に、何も連絡などはなかった。喧嘩しちゃったって?大丈夫?彼女なら、俺にもそう聞いてきそうなものだ。俺が首を傾げる反対側で、成瀬くんも同じようにしている。彼もきっと、何も思い付かないのだ。


「昌平くんが、緋菜ちゃんと喧嘩したのって二日って言ったよね?」

「喧嘩って言うか……まぁそうだね。二日だよ」


 別に喧嘩をした訳じゃないんだ。俺がただ、緋菜に呆れてしまっただけ。まぁそこを突っ込むのは、今は止めよう。


「二日……じゃあ違うかなぁ」

「何かあった?」

「あぁいや。僕もね、ちょっと用事があって。陽さんに連絡したんだ。でも電話に出なくって。電源切って、忘れてたみたいで。それが関係あるかなぁって思ったんだけど、それは三日のことなんだ」


 そうなんだ、と返したけれど、やっぱり成瀬くんたちは意外と仲が良いんだな、と思った。

 そう思うと次に気になるのは、「ランチに誘いたい」と緋菜に相談をしたことは嘘だったのか、と言うことだ。だって、用事があってスルッと電話を出来る関係ならば、別に意を決してランチなんて誘わなくていい。もしかして……


「成瀬くんさ。陽さんと手を組んでた?」

「ん?なんのこと?」

「いや、俺と緋菜のことで」

「あっ……いや、その」

「ほぉ。そうですか」


 また何度も頭を下げて、ごめん、と成瀬くんは泣きそうな顔をする。つまりは二人で、俺たちをくっつけようと画策してくれていたと言うこと。それは違いないのだろう。


「秘密って良くないね。隠し事はすぐにバレちゃう」


 成瀬くんは苦笑いして、また謝る。俺は別に怒ってはいないのに。


「僕が昌平くんの気持ちに気付いてて。そうしたら、陽さんも気付いて。それだからこっそり、年寄りのお節介と言うか……ごめんなさい」

「いや、謝らないでよ。陽さんに相談してたんだけどさ、言われたんだ。緋菜ちゃんのこと好きなの丸見えって」

「うん。初めて会った日に、もう見透かしてたよ。女の勘って鋭いんだなぁって思ったもん」


 あれこれと隠しごとなく言えるようになった俺たちは、すっかり本題を忘れて、脇道に逸れていく。動物園の時も、何もかも、上手いこと踊らされてたようだった。でも不思議と嫌な気持ちはしなかった。それは成瀬くんも陽さんも、真面目に俺の恋を応援してくれていたからだと、分かっているからだ。


「でも、こう言ったらなんだけどね。昌平くんの恋の応援をするのに、二人で会って、あれこれ相談して。連絡を取り合って、フォローしたりして。その時間が在ったから、僕は彼女を好きになったんだと思うんだ」

「お、じゃあ役に立ったってことですかね」

「とても。有難うございます。って言っても、上手くいった訳じゃないけど」


 ケラケラ笑いながら、俺たちは男同士で恋愛話を続けている。本題に戻らなければ、と互いに思いながらも、今まで言えなかった話を溢れさせているのだ。


「ねぇ。ってことは、クリスマスも一緒だったでしょ?」

「えぇっとね……」

「成瀬くん。隠せてない」


 目を泳がせながら、懸命に言い訳を考える成瀬くん。面白いくらいに動揺していて、俺はまた腹を抱えていた。


「一緒でした……陽さんに怒られるから、黙ってて」

「付き合う前から、尻に敷かれてんの?」

「そう言うんじゃないんだって。そう言うんじゃ」


 必死に訂正した後で、成瀬くんがフッと寂しそうな顔をした。でも一瞬だけ。だから、深くは問えなかった。

 二人で、今まで出来なかった話をして。男の友情を妙に感じて、酒は進んで行く。互いに、明日も仕事だって言うのに。


「あ、陽さんと連絡が取れなかったのって、三日って言ってたよね?」

「うん。三日だね」

「三日……」


 一月三日。俺は実家に帰って、父さんと初めて酒を飲んだ日だ。楓にクッキーを教えて、奏介と遊んで。それから千代さんにホットケーキの焼き方を教えた。緋菜のことは脇に置いて、久しぶりに幸せな時間だったと思っている。数年ぶりに父さんとじっくり話が出来たのは、俺にとっては大きなことだった。絡みつくように重荷になる女は捨ててしまえ。父さんは飲みながら、俺にそう言った。そこに、俺の母親のことが含まれているのかは分からない。相談した訳じゃない息子に、急に父さんがそう言ったのだ。ズンと胸に響いたのは、言うまでもない。酔っぱらって実家に戻って、千代さんがちょっと涙目だった。俺は何も言わなかったけれど、目を合わせて何度も頷き合った。それだけで、戦友としては十分だったのだ。

 その日、緋菜から連絡が来るかとも思っていたが、何も来なかった。きっと自分から折れるのが嫌なのだ。今頃、陽さんに泣き付いているんだろうと思ったんだ。そして昨日も、何の連絡もなかった。今も、だ。


「緋菜が陽さんに連絡を入れたとしたら、三日かも知れない。二日の夜は、俺が謝って来るのを待った気がするんだよ。でも何も送らなかったから。自分から謝りたくなくて、次の日に陽さんに泣き付いた。それは有り得るよ」

「そうかぁ。何時くらいから電源切ってたのかは知らないけれど、助けが欲しい時に返って来なかった、のか」


 なるほど、と言って、成瀬くんは腕を組んだ。彼の知っている陽さんの事情とを、組み立て直しているのだと思う。眉間に皺を寄せた彼は、うぅん、と唸って唇を噛んだ。

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