第二話 私の優しさ

「はぁ。本当に分かってるのかなぁ、成瀬くん」


 そう零すと、私は休憩室に置いてある煎餅に手を伸ばした。昼ご飯を食べたばかりなのに、何となく食べたくなる。太ったら、少し運動すれば痩せるし。そこはあまり気にしていない。反省しているようでしていない私が見ているのは、携帯電話だ。朝、成瀬くんから着た返信のメッセージである。


『おはよう。僕は大丈夫だよ』

『もしも彼女に彼がいたって、僕の気持ちが変わる訳じゃない』

『心配してくれて有難うね』


 そう書かれた画面。どことなく呑気で、本当に心配になる。こんなんじゃきっと、陽さんに騙されてしまうじゃないか。私にとって、陽さんは優しいお姉さんに違いない。フラれた後、誰よりも心配して慰めてくれたのは彼女だ。今でも感謝している。けれど、私は彼女のことを良く知らないのだ。

 結婚していないことは、部屋に行ったから分かっている。でも今朝、私はフッと思い出した。生活感が何処かない部屋なのに、数個あったマグカップ。今朝ミルクを飲んでいて、私の部屋には二つしかそれはないことに気付いた。五個も六個も、持っていない。それから、写真立て。何だか不自然に倒されていたのだ。成瀬くんのことが気になって、忘れてしまっていたけれど、確かにあった。あれはきっと、彼と写っているのだろう。そして、極め付きにこの間の言い訳。あの日、陽さんから連絡が着たのは夜遅くになってから。理由は、電源を切っていた、と言う。映画でも見てたの?って聞いたら、違うって。それ以外に電源を切ることなんてある?だから私は、ピンと来て直ぐに成瀬くんにメッセージを送った。色々話が進んでからでは、遅いんだ。


「そもそも、どうして陽さんだったんだろう」


 私からしてみれば、陽さんって見た目も普通。多少は可愛らしいけれど、彼よりも年上のおばさんだ。何が良かったんだろう。それでも友人としては好きだし、成瀬くんが同じように言うのなら理解出来るんだけれど。

 昌平もそうだけど、何で私じゃ駄目なの?改めて思うと、凄く屈辱的だった。陽さんにしても、ルイにしても、同じこと。私の方が若いし、綺麗なはずなのに。


「年上が好みだってことかな」

 

 そう考えれば納得は出来る。私はその時点で、年下として除外されているから。だから昌平にとってみれば、ただの妹。成瀬くんにとっても、同じようなものか。

 自分を納得させて、また携帯を弄る。表示させたのは、陽さんとやり取りをしたメッセージ。『ごめん、電源切ってた』と送って来てからも、何度も彼女は謝った。悪いことをしたな、とは思っているのだろう。


「さて、これはどうしよっかなぁ」


 トークの最後は、夕べ陽さんから送られて来たメッセージ。『後でゆっくり時間作って、話聞くね』と書かれている。明日は休みだし、面と向かって話をするには今夜が丁度良いか。私は色々考えを巡らせた。

 彼女に彼氏がいるのなら、いるで良い。それは嬉しい話だ。問題は、成瀬くんの誘いを受け入れたことにある。だって私は、陽さんよりも成瀬くんの方が付き合いが長い。彼を傷付けるのは、本当にやめて欲しいのだ。


『陽さん、今日会える?』


 そう打ち込んで送信した。これが戦いになっても、それはそれで仕方ない。成瀬くんには、別の良い人を紹介したら良いだけ。まぁ私にパッと思い付くような人はいないけれど。


「三山さん、ちょっと良いかな」

「あ、店長。はい、何でしょう」


 休憩室の扉がノックされ、開けて入って来たのは、店長だった。彼は四十代半ばか。私が入って来た時からここに居るが、少し腹回りがだらしなくなって来ている。それを突っ込めば、奥さんからも言われるんだ、と笑うだけ。改善する様子はない。


「あのねぇ。三山さん、今日ちょっと不機嫌だよね?」

「えっと……そうでもないですよ」

「うぅん、あのね。そういう不機嫌な顔で売り場に立たれると困るんだ。ウチみたいなところは、ご年配のお客様が多いだろう?無理にとは言えないけれど、もう少し和らいだ顔が出来ないだろうか」


 彼は真面目な顔をして、私にそう言う。今日は確かに、ちょっとだけ苛ついていた。成瀬くんが私の優しさを真に受けてくれないからだ。何だか適当に流されたような気がして、子供扱いされた気分でいた。それ故の、ちょっとした不機嫌である。


「すみません。ちょっとだけ苛つくようなことがあって。顔に出さないように、気を付けてはいたんですけど」

「うぅん。三山さん。あなたももう十年になるよね。プライベートなことは、公序良俗に反することが無ければ、あなたの自由。だけれど、仕事には全く関係がありません。あの店の店員が怖いとかって、おばあちゃんの間で広まってしまったら良くないよね。それは分かる?」

「はい……すみませんでした」


 ちょっと不機嫌な顔をしたからって、休憩時間に注意に来なくたっていいのに。また少し苛立ちを溜めながら、私は一先ず頭を下げた。悪いと思っているような、いないような。その位の感情である。


「三山さん。僕は先日お願いしましたね?若い子が入って来るから、色々教えてあげてくださいって」

「はい。確かに」

「今日のあなたの態度を見ていると、同じようにしたらいいんだって思われたら困る。そのくらいの態度でした」


 あぁ接客って向いてないのかな。勉強も苦手で、進学はしたくなかった。だから、字は上手いから、と勧められたここを受けてみたのである。仏具屋は掛け紙を書く。その特技は良い強みになる、と先生はあの時言っていた。高校生で社会を知らなかった私は、それだけを信じて飛び出した訳だ。接客自体が向いていないなんて、考えていなかったのだ。


「君はもう新人じゃないんだから。若い子に教えられるくらいのベテランですよ。お願いしますね」

「……はい。すみませんでした」


 また深々と頭を下げて、私は固まっていた。もう新人じゃないことは分かっている。ベテラン、かぁ。でも、若い子って何よ。私だって、まだ若い子なのに。

 何だか今年は上手くいかない。災難なことばかりだ。未だ今年が始まって五日目。あと三百六十日。あ、今年は閏年だから三百六十一日。ずっとこんな風に上手くいかない日々が続くのだろうか。


「はぁぁ」


 肩を落として座り込んだ私は、また煎餅に手を伸ばした。

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