第二話 私よ、笑え(下)
昼休みにでもメッセージを送ってみよう。そう思ったのは一時間くらい前。私は今、おにぎりを齧りながら携帯電話と睨み合っている。
『昌平、昨日はごめん』
そう打ち込んだ画面を見つめて、また溜息を吐いた。あのお婆さんのように幸せな笑みをしていたい、と思えど、どうしても送れないままでいる。理由は簡単だ。昌平がルイを好きだということを、やっぱり認めたくないのだ。ごめん、と謝って、またいつも通りの友人に戻って。それから、昌平の恋を応援出来る?どうも私には、それが出来る気がしなかった。
「あぁぁぁ……」
大きな溜息と共に、一人で机に突っ伏した。昌平は今、何してるだろう。まだ、休みだっけ。あぁ実家に帰るとかって、言ってたな。私のこと、考えてたり、しないかな。
「しないよなぁ」
小さく零れた声。思っていた以上に、昨日直面した現実に落ち込んでいる。それだけ昌平のことが好きなんだ、と妙に実感しては、また溜息を吐いた。良い感じじゃない?って思ってたのは、私だけだったみたい。昌平にしてみれば、やっぱり妹と同じ。それは仕方ないけれど……
「どうして……私が負けた?」
どう見ても、私の方が若かった。どう見ても、私の方が綺麗だと思う。何が足りない?私にはなくて、ルイが、あのブルーのニットの女が持ってる物って何?頭の中がパンパンになりそうになって、必死に振ってみる。延々と考え続けても、何一つ答えらしき影は見えてこなかった。
「あぁ……もうっ」
こんな自分が嫌になる。私は、昌平がこっちを向いていなかったから、機嫌を悪くした訳じゃない。彼が選んだのが、あんな女だったことに苛立ったのだ。だって、私が負ける要素が、何も見当たらなかったから。それも、笑っていた方が勝ちってこと?髪をぐちゃぐちゃに混ぜ、懸命に顔を上げたのに、また直ぐに項垂れた。
「陽さん、助けてぇ……」
誰かに吐き出してしまいたい。そう思う私が思い付く相手など、陽さんしかいない。外に出してはいけない感情を堪えながら、私は泣き言を打ち込んでいた。『陽さん。昌平と喧嘩しちゃった』と。事実を伝えたいのに、自分で文字にしてしまったら、また受け止め切れない程の苛立ちが起きてしまいそうで止めた。私はただ、受け止めて欲しいのだ。陽さんはきっと、直ぐに連絡をくれる。確か彼女も、まだ休みのはずだから。
「緋菜ちゃん、元気になったぁ?」
陽さんに送信をして直ぐ、先輩が休憩室に入って来た。今日は珍しく、休憩が被る日だったらしい。彼女は小さな弁当包みを抱えて、私の横に腰掛けた。
「元気ですぅ」
「本当?別に無理しなくていいってば」
「すみません……」
そうして、また項垂れる。表向きの顔が維持出来ず、直ぐに魂の抜けた私になった。昌平とどんな顔をして会ったらいいんだろう。もう何も分からない。
「あ、ねぇねぇ。この春、新人さん入って来るみたいよ」
「あぁもうそんな時期かぁ」
「ね。どの店舗になるかは、私も知らないんだけど」
先輩は綺麗に詰められた弁当箱を前に広げ、玉子焼きを食べていた。弁当って作ったことがないけれど、どれくらい時間がかかるんだろう。ご飯を詰めて、玉子焼きを焼けばいいだけじゃない。朝の自分のルーティンと想像で比較してみたが、青褪める程、私の朝が情けないと感じるだけだった。
「ねぇ、先輩。お弁当って、作るの大変?」
「お、料理したくなった?」
「いや、全然」
だよね、と先輩に笑われた。確かに今まで、おにぎりすら、自分で作って来たことがない。家に包丁はある?と彼女に聞かれたのは、ここに入って何年目だったか。包丁、まな板、薬缶、フライパン。当時持っていた物と変わらない装備で、今も生活している。あれ、もしかしたら私って、何も成長していない?
チラチラと携帯を見るが、メッセージが送られて来た様子はない。陽さんにしては、珍しいな。何時も直ぐに返って来るのに。
「さて、午後も頑張りますか」
「さっきのお婆さんみたいにね。緋菜ちゃん、笑顔、笑顔」
「はぁい」
朝よりは柔らかい表情を作ってから、私は席を立った。先輩は、その調子、とガッツポーズをして見せる。こういう先輩がいてくれて、私はラッキーだったな、と思っていた。自分でも分かっている。私は変に気難しい人間だ、と。美人だから、と形容されることが嫌で、心を閉ざし、誰とも深く交じることはなかった。だから、私は素直に相手に向き合うことが苦手だ。あぁ、もういい年なのにな。
「はぁぁ」
わざと溜息を吐ききって、顔をパシンと叩いた。午後の仕事へ向けて、気持ちを切り替えなければいけない。それに、これ以上考え続けてしまったら、立ち直れない程の谷底に落ちる気がしている。初めは、昌平のことだけが気掛かりだったはずなのに。いつの間にか、自分の内側に対して嫌気が差し始めていた。
そんなに忙しい訳ではないこの店では、在庫整理をしながら、頭で別のことを考えてしまうことが多い。だから今日はその作業を止め、客とゆっくり話をしながら、何とか笑顔を保っていた。そんな中でもとりわけ気分が上がったのは、線香を送る客に掛け紙を頼まれた時だった。成瀬くんに褒められたことを思い出したのである。字が上手だね。ちょっと前に言われたその言葉が、今、私に自信を取り戻させた。
人生の大半、どうでもいいや、どうにかなるだろ、と思って生きている。だけれど時々、酷く悶々としてしまうことがあるのだ。たまたまそれが、今日だった。一つに躓いて、ドミノ倒しのように、全てに躓いてしまう。何をやっても上手くいかない。そんな日なんて、誰にでもあるって言うのに。
「今日はもう定時で帰ろう」
「そうですね」
閉店が近くなり店長がそう言うと、ばらばらと賛同の声が上がる。商品説明のカードを整え直しながら私も、その言葉に笑顔で返事をした。今日は美味しいイカフライが食べたい。そう思ったが、あの店に行って昌平が居たら気不味い。ケーキでもいいな、と思い直せば、また浮かぶのは昌平の顔だった。結局は解決させないとダメだな。先ずは、陽さんに話を聞いてもらおう。メッセージはきっと返って来てるはずだ。
「そうだ、三山さん」
「はい?」
店長が私を手招きする。手に持っていたパンフレットを置いて、私は彼に駆け寄った。何か改めて言われるようなことは、何もしていない。
「あのさ、今度ね。新人が入るんだけど」
「そうみたいですね。どこの店舗なんですか」
「とりあえずは、ここ。三月まではアルバイトとして、入って貰うことになったんだ。それで、担当を三山さんにお願いしたいんだけれど」
「え、私?」
「そう。三山さんも、もうベテランだしね。でも若いじゃない?年は一番近いことになるんだ。そろそろ教える側に回るのはどうかな」
店長はニコニコしながら、そう言った。今までそんなことを任されたことがない。いつだって、緋菜ちゃんじゃ危なっかしい、と避けられていたのは知っていたが、流石にそうもいかなくなったのか。何だか『ベテラン』と言う響きが、ガツンと頭を殴ったようだった。
「が、頑張ります」
「うん。困ったら、ちゃんと相談すること。いいね?」
「はい」
新年早々、色んな重荷が圧し掛かって来る。そういう年齢なんだろうけれど、年が明けてまだ三日。もう少し心に休息をくれてもいいのにな、と思った。
「お、緋菜ちゃん。頑張れよぉ。困ったら、私も助けるからね」
先輩が嬉しそうに私にそう言う。助けてくれる人が居るということは幸せなのだ。先輩と、どんな子が来るんだろうねぇ、なんて話しながら閉店の支度をして。店を閉めたら、皆で「今年も宜しくお願いします」と言い合った。開店前はバタバタしていたから、改まった挨拶をする時間がなかったのだ。何とか今年も頑張ろう。私はそう自分に言い聞かせていた。
先輩と「新人がイケメンだったらどうする?」なんて馬鹿話をしながら、更衣室に入る。仏具屋にイケメンが入って来るとは思えないが、そう考えたくなるのも、何となく分かった。ちょっとだけ、生活に明るい何かが欲しいのだ。
「携帯、携帯」
「お、彼氏?」
「違う、違う。女友達って……あれ?」
ロッカーを開けて真っ先に確認した携帯は、何のお知らせもなかった。陽さんからのメッセージが着ているはずだったのに、既読にすらなっていない。陽さんまで、何で?また一段と私の心が沈んでいた。
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