第二話 俺の恋敵(下)

「あ、そうだ。初詣の後さ、陽さんと何話してたの?何か難しい話だった?」

「ん、何話してたっけな……」


 そう聞かれて素直に、旅行に誘えと言われていた、とは言えるわけがない。陽さんの観察眼と同性の目線を聞きながら、色んな意見を聞いていたのだ。緋菜のことを考えつつも、俺は俺で良い。その彼女の言葉は、今も俺を救っている。


「何とか心理学とかって言ってたけど」

「心理学?」


 それならば、アレだ。陽さんが緋菜の視線に気付いて、手を打った其の場凌ぎの話題。懸命に話に耳を傾けるだけの俺とは違い、彼女はありとあらゆる方向に神経を尖らせていた。きっと、緋菜がチラチラ見ていたのだろう。幼児教育はどうの、と話を急に始めたのだ。幸いにして、彼女の大学には系列の幼稚園が存在する。陽さんの視線を察して、俺も話に乗っかった訳である。


「あぁ、それか。おおれと陽さん、一応さ。教育関連の仕事してるから。だからまぁ、仕事の話だな」

「そうなんだ。いや、成瀬くんが気にするんじゃないかって、気になっちゃって。昌平と陽さんが仲良くしてたら」

「あ?そ、れは考えなかったな。そうか」


 緋菜がヤキモチでも妬いたのかと期待したのに、そういうわけではないようだ。ただそれは確かで、成瀬くんの気持ちが本当ならば、留意しなければいけないのだろう。俺の恋敵は何処へ行ったのだ、という疑問も湧くのだが。


「何かヒヤヒヤしちゃったよ。きっと好きなら気になるもんね」

「うん、まぁそうだよな。以後気を付けます」

「そうだよ。あの二人、ただでさえランチに誘うのがやっとなんだから。とにかく旅行をダシにして、顔を合わせる機会を増やさないとね」


 緋菜は楽しそうだった。何と言うか、誰かにお節介が焼けることが嬉しいのかな、と思っている。ただでさえ、四人の中では無意識のうちに子供扱いされがちだ。こういう機会だから、変にやる気を出しているのだろう。


「一泊出来れば、北関東とか伊豆とかも増やせるよね。日帰りなら、在来線で行ける範囲が賢明かなぁ。新幹線でわざわざ行くなら、ゆっくりしたいもん」

「確かになぁ。温泉に入って、地酒飲んで、ってしたら、帰るの嫌だよなぁ」


 体が温まったところで、急いで着替えて帰る。想像だけで、勿体ない。一泊出来れば、ゆっくり過ごすことも出来る。休みが合うかどうか、が一番問題になるか。


「緋菜は、週末とか休むの大変?」

「うぅん、どっちかなら大丈夫だと思う。土日休むのは、何となく気が引けると言うか。まぁそのレベルだけど」

「そっか。金、土より、日、月の方が宿は安いんだよな。月曜、休めるかな。成瀬くんたちは、事前申請すれば多分大丈夫だと思うんだよな。俺は行事が被らなければ良いんだけど」


 俺の話に、緋菜はメモを取る。今までこう言った部分は見たことがなかったが、旅行の計画に役立てたいのだろう。何だか、インタビュアーのようだった。ちょっとだけ、大人びて見える。


「予算もあるな。どのくらいの範囲で計画するか。大枠を決めとかないと」

「そうだねぇ。あっ」

「お待たせしました」


 キリッとした顔で書き留めては、悩んでいたのに。頼んでいたナポリタンが届くと、コロッといつもの緋菜に戻る。キラキラと目を輝かせて、それを見つめる様は、園児たちとさほど変わりがない。


「何よ」

「いやぁ。美味そうだなと思って」

「だよね。オムライスも一口ちょうだいね」

「はいはい」


 了承しなくても勝手に食べる気でいただろう。いただきます、と手を合わせた緋菜を少し呆れた目で見ている。大人びている、だなんて思った自分を訂正したい。


「美味しい。ナポリタンって、作るの難しいのかなぁ」

「ん、いや。料理の中では、パスタは難しい方ではないんじゃないか。どこまでこだわるか、で随分変わるだろうけど」

「へぇ、そうなんだ」


 この様子からすると、パスタを茹でたことがあるかすら怪しい。深く突っ込まないでおくが、緋菜も楓と同じようなものだろう。そう考えると、今後大変だろうな。


「昌平はあの店に行かない日は、自炊?」

「まぁな。それこそパスタ茹でて、ソースを掛ける程度だぞ。自炊してますって胸を張れるまででもない」

「そうか……そうなのか」

「難しく考えることはないさ。自分の食べたい物だとか、調理の手間だとか、そのバランスで買って帰ることだってあるしな」


 聞かれたから答えたが、馬鹿正直に言う物ではないな。でも、落ち込むかと思った緋菜が、何だか力強く頷いている。


「私、三十歳になるまでに、料理が出来るようになる」

「お、おぉ。頑張れ」

「うん。美味しいのが作れるようになったら、昌平にも食べさせてあげよう。うん。だから、オムライスの味見します」


 流れるように言い切って、言い終える前に俺のオムライスに手を伸ばしていた。いつもの緋菜である。


「こっちも美味しかったなぁ。ねぇ、オムライスとナポリタンって、作ったらどっちが難しいの?」

「うぅん、オムライスはこういう風に包まなければ、同じくらいじゃない?」

「そうか、うん……分かった」


 何が分かったのかは分からないが、緋菜はまた何度も頷いている。俺は自分のオムライスに目を落とす。所謂昔ながらのクルリと薄焼き玉子に包まれ、トマトケチャップがかかった一品である。フライパンでいとも簡単に包んでいる様は、何だか魔法のように見えたこともあったな。俺だって、可愛らしい時代はあったのだ。


「そうだ。さっきの話だけどさ。移動手段を車にする場合は、もう一人免許持ってる人が欲しい」

「あ、そうなのか。そうだよね。昌平一人じゃ疲れるもんね」

「慣れない車と慣れない道だろ?それに誰かを乗せて行くんだし、気も遣うからな」

「そっか、そっか」


 ナポリタンを食べる手を止め、緋菜はまたメモをする。食べ終えてからでも、と思ったが、旅行だったり、成瀬くんたちの世話焼きだったり、色んなことが彼女をやる気にさせるのだろう。


「緋菜、本当にそう言うの好きなんだな」

「ん?旅行ってこと?」

「そう。いっそのこと、転職とかしたら?」


 目を丸くした緋菜が、唖然としている。そんなに変な話でもない。高卒で十年近く。職場などに不満もないから続いているのだろうが、もっと楽しんでやれる仕事がある気がしたのだ。


「転職なんて、考えたこともないや。別に今の職場も楽しいし……それに私高卒だし」

「あぁいや別に無理矢理しろって話じゃないんだけどな。たっだ、楽しそうにやってたから、そう言うのが仕事に出来たらいいんだろうなぁって」

「そう、かなぁ。好きだけじゃ仕事にはならないよ」


 緋菜にしては現実的な物を見ていた。今や大卒が多い時代である。何なら、院卒も増えて、学部卒が肩身が狭くなることすらある。緋菜の中では、コンプレックスだったのかも知れない。簡単に口に出していい話ではなかったな。


「ごめん。あ、でも。転職じゃなくてもさ。資格とかでもいいんじゃない?」

「資格?」

「そ。公的な資格で仕事に繋げる物じゃなくても、プライベートで比較的易しい資格もあるだろうし。それこそ観光じゃなくたっていいし」

「そんなの。出来るかな……私に」


 緋菜が自信なさそうな顔を見せた。資格と言えば、俺には保育士があるけれど、そういうのって手にすると一つ自信になったりする。難易度によっても違うかも知れないが、緋菜の学歴コンプレックスには、少しだとしても役に立つ気がした。


「あ、緋菜。そうだ。陽さんに聞いてみたら?大学生って色々取ったりするから、詳しいかもよ」

「う、うん。急に変なこと言い始めたって思われないかな」

「陽さんは言わないでしょ。多分、緋菜に合った物を一緒に探してくれるんじゃない?」


 陽さん、と言う人を過信し過ぎているかも知れないが、彼女は人を鼻で笑ったりはしないと思っている。仮に緋菜が勉強をし始めて、投げ出しそうになったとしても、彼女は上手に軌道修正をしそうだ。戸惑っていた緋菜も、陽さんに相談してみる、と拳をギュッと握った。


「新年だし、いい機会だよ。俺も何か勉強するかな」

「昌平が?」

「大人になると、勉強しなくなるじゃん。仕事に追われてばっかでさ」

「まぁそうだね。こうなったら、成瀬くんも巻き込んで、皆で勉強しようか。何だか高校生みたいだけど」


 キャッキャと話を続ける緋菜は、さっきまでの不安の色を、あっという間に消していた。恋敵は何処を見ているのか分からないけれど、俺はこうやって少しずつでも、緋菜との距離を縮めていきたい。いつもの店で会う男、からの脱却は済んだはずだ。

 新年だし、いい機会である。自分で言った言葉だけれど、もう一度自分に言い聞かせた。無理に何かを変えるのではなく、強みになる何かを身に付ける。それはきっと、緋菜だけじゃなく、俺にとっても武器になる物だろう。食事を終えたら、資格のことを調べても良い。旅行雑誌や資格の本なんかを見に行ってもいいな。


 緋菜が最後のナポリタンをクルクルとフォークで巻き取る。あれを食べ終えたら、提案しよう。そう決めて、俺もオムライスを平らげた。


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